不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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広上・京響の第9

いい演奏会でした。

京都 京都コンサートホール
京響特別演奏会「第九コンサート」
広上淳一指揮 京都市交響楽団
京響市民合唱団、京都市立芸術大学音楽学部合唱団
フルート独奏 清水信貴
ハープ独奏 松村衣里
ダマーズ:フルート、ハープ、弦楽のためのデュオ・コンチェルタント
ベートーヴェン:交響曲第9番二短調「合唱付き」作品125

この間の日記にも書いたけれど、33年ぶりの京都での第9、当然、広上さんの第9を聴くのも初めて。

まず、ダマーズが秀逸。フルートとハープがソロをとるフランスものなんて、まあ、京響のためにあるような作品。真冬だというのに、まるで春の温かな風がふううううっと舞台から吹いてくるような、華やかな色彩に満ちたその響きは、陶然とする瞬間に事欠かない。清水さんのフルートと松村さんのハープ、このペアが京響の中にある、ということの幸せを再認識させてもらいました。

第9については、一言、「広上・京響の第9って、こんな音がするんや」・・・なにをいっとるんやと思われましょうが、これが正直な感想。

それは、まず、最初の空虚五度から昂揚して最初のフォルテに至った時の響きで思い知らされる。これを、言葉で表現するのは至難の業。ただ、明らかに、僕がこれまで聴いてきたどの第9の音とも違う、と思う。大フィルの腹に堪えるようなサウンドでもなく、いわんや昔の京響の第9の音でもない。

終演後、京都百科さんとスコッチを片手に話しあった時に、互いに意見が一致したのは、おそらくは、この音が、広上さんがこれまで4年にわたって京響と創り上げてきた「京響のベートーヴェンの音」なんだろう、と。

これまで、僕がこのブログで繰り返し書いてきたが、広上さんが来るまでの京響のベートーヴェンなんて、一人ひとりの奏者が頑張っているのはわかるけれど、それが決して良い結果につながっていない、というサウンド。硬く硬くなるばかりで、鳴らない、開いて行かない。うちの母親も、いわんやこすもすまでもが「京響、ベートーヴェンなんてやめたらいいのに」とまで言い切った音。

それが、ここまでになったんだ。

広上さんは、1楽章の複付点を、2楽章の付点八分を明瞭に振り込む。そのことで、音の輪郭が立っていく。そのくっきりしたフィギュアのなかに、整理された立体的な響きが立ちあがって行く・・・・こう表現するのが、僕としてはやっとだけれど、ああ確かにこれこそが、今の「広上・京響」の音なんだな・・・そうぐすたふくんは何度うなずき、何度その響きを聴ける幸せというものを想っただろう。

今日は、このことだけでも十分すぎる演奏会だなあ、そんな風に思いました。

総勢200人になんなんとする巨大な合唱団は、圧倒的な音圧。ただ、ソプラノがいまひとつ濁っていたのが残念かなあ。ただ、男声は60人余りの劣勢ながらなかなかに立派な歌唱を響かせていて、敢闘賞もの。拍手をおくるにやぶさかではありませぬ。

全席完売、満員御礼の会場は、第9に相応しい祝祭感を湛えたもの。でも、もうちょっと温かい拍手を盛大に送ってあげてもいいのになあ、と思ったのはぐすたふくんだけかしら。

今日の京都の第9を心にしまって、さあ、30日の大阪に向かいましょう。

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中学3年生の時の第9

僕の人生で最も幸せな時間があったとするなら、それは中学3年生の時だったんじゃないかと思う。

あの時のクリスマス、前の日記にも書いたけれど、24日のイブの18時からタブローがあって、中学生はその前にクラスで集まって、クラス会をするっていうのが習わし。どういうわけか、これは中学だけで、高校になったらなくなってしまったんだけれど。多分、中学一年生が全員参加でその日に出席することになるから、出席日数を合わせるために、中2と中3はキャストで出演する以外の人間については、クリスマス会で出席扱いにしてたんだろうな。これは想像だけれど。

クラス代表が、近くのマクドナルド(まだできたばかりで珍しかった)で、フィレオフィッシュとチーズバーガーを買ってきて、みんなで食べて解散。なんか、他にないんやろか、って感じだけど、それが70年代後半、だったんですよね。

それで、そのクラス会の前に講堂でちょっとした演奏会なんかのイベントがあって、即席のバンドを組んで演奏なんかをしてたんですよ。その年、僕はオケの同級生に誘ってもらって、カルテットのセカンドを弾かせてもらったんですよね。

アイネ・クライネを全曲やって、そしてチャイコフスキーのアンダンテカンタービレをやって、クリスマスキャロルを数曲やって・・・・中2から始めた僕を他の3人(彼らは中1から始めてたんだけど)はホントに大事にしてくれて、僕が劣等感を持たないよう、どれだけ心配りをしてくれたかわからない。有難かったなあ。これが、僕の弦楽四重奏曲の初体験だったです。

オケを初めて2年目、聴くもの弾くもの初めての曲ばかり。でも、せっかくオケに出会ったからには、是非とも第9を実演で聴いてみたい。そう言ったら、その時、チェロをやってた友人が、教えてくれたんですよね。京響が何回か第9をやるけれど、その中で一番の聴きものは、市立芸大が合唱を受け持つ時だって。合唱が一番それがいいからって。

そう教えてもらった僕は、三条の十字屋に言って、生まれて初めてチケットを自分のお小遣いで買ったんです。でも、その時思ったのは、席ってこれだけしかないのかって。ホントに一列の一部しか十字屋には置いてなくって、ええええって思ったのを憶えてます。今から思えば、市立芸大がほとんどのチケットを抑えていた公演だったんでしょうけどね。

そして、予習に選んだレコードはグラモフォンのカラヤン・ベルリンフィル。これも高かった。何回、お昼を抜いて、弁当代をためたことだろう。買って帰ってからは、毎日このレコードを聴く日々。それこそ一日が、帰ってこのレコードを聴くためにあるかのよう。

クリスマスのコンサートも、そしてクラス会も終わって、その次の日だったんじゃないかな。学校は休みになってたけど、タブローの後片付けにつきあって、制服のままで学校から直接、京都会館に向かったんじゃないかと思います。

その日は、丁度今年みたいにこの時期にしては寒い日が続いていたときで、天気もあまりよくなかったと思う。雪でもちらつきそうな曇り空、三条京阪から歩いて京都会館に一人で(!)向かう僕は、生まれて初めて一人で疏水横の喫茶店に入って(よくまあ、制服で入ったもんだ)メニュー見てその高さに仰天しつつ、カレーだかサンドイッチだか食べたような記憶がある。自分で買ったチケットで行く初めてのコンサート、っていう高揚感が僕をそうさせていたんじゃないかしら。

指揮者は、小泉和裕(!!)。生まれて初めて実演で聴く、1楽章冒頭の空虚5度。制服姿で一人で京都会館の1階席、真ん中から少し右側によったところにちょこんと座っていた僕を、周りの人はどう見ていたのかしら。

生まれて初めて聴く、4楽章の合唱。vor Gott!!の昂揚・・・・中学3年の僕は、その時ずっとこの音楽の中に包まれていたい、と本当に心の底から思っていた。出会いの奇跡、心の震えと、少年からの青年への変容と。

今年は33年ぶりに、京都で第9を聴くことができそうです。

京都の冷気は、あの時と今も変わらない。一方で、京響は変わったし、指揮者も変わった・・・でも・・・僕の心があのころと変わらず、この曲に震えることができますように。



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クリスマス・タブロー

今年は、30年ぶりに母校のこの行事に行きたかったんです。でも、調べてみると、僕が在校していた時とちがって、今は16時から開始で18時に終わるとのこと。しかも、クリスマスイブではなく、23日。この時間、りんりんのピアノの発表会とばっちりかちあってて、残念ながら行けないです(涙)。なんでこんな時間なんだ。

時間が経ったんですね。僕が在校していた時、タブローはクリスマスイブの18時から。ほとんど21時近くまでかかる長丁場。そして、そのあと、修道会のクリスマスミサに途切れることなく続く一連の行事だったんですけどね。

でも、このキリストの生誕を無言劇で再現するというイベント、昔も今も画期的なのは、「学校行事」じゃないってことなんですよね。ミッションスクール独特の行事なんだけれど、絶対参加なのは中学一年生だけ。後のキャストもスタッフも、みんな「自主参加」。先生が、「お前やれ」と決めるんじゃない。それにもかかわらず、毎年毎年、百数十人の中学生・高校生が、自分から参加するんですよ。

僕は、この行事に高校1年生と2年生の時、照明のスタッフとして参加しました。同じ学年の友人3人と、わいのわいの言いながら。高校一年生の時は、当然2年生の人がいて、色々と教わって。そして高2の時は高1の後輩ができて、いろいろと話し合いながら。同級生の一人が演劇部の部長で、でも演劇部の他の人間は参加しなくって・・・・別に僕は彼を助けようと思ったわけじゃない(彼は、口には出さなかったけれど、すごく感謝してくれていたらしい)。ただ、参加したいな、なにか裏方で手伝いたいなって思ってたら、たまたま彼がそこに居たから。僕の親友と二人、いつの間に彼の横で、舞台を照らすスポットライトのスイッチを握り、そして舞台照明の電源コードを引きずりまわしていたんですよね。

誰かが何を言うわけでもない。それでも、何かこの行事に関わりたいなっていう生徒が、自然発生的に集まってきて、そして祈りの輪ができ上って行く。その経験が、学年から学年へと引き継がれていく。生徒から、生徒へと。バトンを渡すように。

クラブでもない、クラスでもない、この行事でしか知りあうことが無かっただろう先輩が居て、そして後輩が居る。そして、24日が終わると、みんなそれぞれの日常に戻って行く。何も言わずに。ただ、じゃあ、と挨拶をかわしただけで。

・・・神の御子は今宵しも
ベツレヘムに生まれたもう
いざや、友よ、諸共に
急ぎ行きて おがまずや
急ぎ行きて おがまずや

最後の客席も含めた全員の合唱、これが終わって舞台に幕が下りると、照明が全部落ちる。僕は、息を潜める。キャンドルサービスの中学一年生だけが浮かび上がり、O Holly nightを口ずさみながら退場してく音を遠くに聴きながら、ふとそのわずかな明りに浮かび上がる舞台の上をみやると、そこには中学1年生から高校2年生まで、あるものは衣装に身を包み、あるものはジャージ姿で、同じように粋を潜めて座っている。

誰にやれと言われたわけでもない、ただそこに居たいから。その輪の中に居たいから、僕たちはそこに居たんだ。

今年もまた、彼らのそんなささやかな思いが、そこに集う人々の祈りを神のもとに運んで行くのだろう。

頑張れ、みんな。



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アルヴァマー序曲

明日の大フィルの演奏会にはぐすたふくん、行かないんですけれど、大フィルのブログを見ていると、アルヴァマー序曲に関する熱い文章が載っていました。

ブログを検索しても、なかなかみなさん熱い!!

「そのバーンズ様の世界的代表作にして、青春時代を吹奏楽に捧げた人なら恐らく誰もが一度は演奏した(もしくは憧れた)であろう、この『アルヴァマー序曲』は、「聞くよりも、自ら奏でて初めて輝く曲」であり、どんな部員をも熱くさせる不思議な魔力を持っている。

「吹奏楽コンサートなんかでたまたま聞いた人の耳には、「ああ、カッコいい曲だな」ぐらいにしか思わないかもしれないが、実際に演奏した者には――とりわけ、吹奏楽コンクールの自由曲として日夜練習に取り組んだ者には、不滅の輝きをもって心に刻みこまれる、まさに「永遠の青春賛歌」なのである」

You tubeにも一杯アップされていて、良い曲ですねえ。初めて聴きました。熱くなるのもわかります。青春の熱さと、切なさを併せ持った、胸に甘酸っぱいものが去来する曲。

ぐすたふくん、ブラバン経験者じゃないので、こういう曲全然知らないんですよ。そう言えば、大学のオケの時には、ブラバン経験者との間でどうにもこうにも違和感がありましたねえ。リードもバーンズも、ぜんぜん知らない作曲家ですもん。(でも、ブラバン経験者のこすもすも知らないのはどういうわけかしら?)

でもね、中学・高校とオケだったぐすたふくんにも、「永遠の青春賛歌」とも言えるものはあります。ただ、これが全国のどんな中高オケ部員をも熱くさせる、不滅の輝きをもつ曲かどうかは、わかりませぬが。

それは、エルガーの「威風堂々」第1番!!さあ、どうでしょうか?みなさん、賛成していただけますでしょうか?あとは、アルルの女組曲、特に終曲の「ファランドール」!!これなんかも、みんなと共通の思いがあるんじゃないかしら。

シンフォニーでは、前にも書いたけれど、チャイコの5番だけれど、これは普通中高オケでは手を出さない(このごろは違うのかなあ)から、ちょっと、かしら。

どっちかというと、ドヴォ8番なんかが、経験した人が多くて、思いを共有するのにぴったりかもしれないなあ、と思ったりしますが、その辺、みなさんいかがですか?

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大阪に今おこっていることは、日本の未来である

センチュリーに引き続き、公的助成の削減で大フィルも経営危機になることがおそらくは確実でしょう。

この経過を見る時、ソ連崩壊後のロシアのオーケストラの混迷をまざまざと思い出させられます。その時、ロシアのオケも次々に潰れ、新しいオケができ、少しでも金を稼ごうとして日本に出稼ぎに来、スポンサーを目当てに日本の指揮者を迎え・・・・

でも、こうしたことは、遠からず我々自らの身に降りかかることではないでしょうか。公費助成が減り、医療サービスが低下し、生活保障が切り詰められ、税金はあがるでしょう。一人ひとりが「経営危機」になる。

その状況でも、私たちは「この街のオケ」を支えていける気概を持ち続けられるか?

ロシアでは、レニングラード・フィルもモスクワ放送交響楽団も名前は変わったが生き残りました。大フィルも生き残ってください。

これからの危機の時代、私たちも生き残らなければならない。「津波てんでんこ」、一人ひとりができることを必死にやるだけです。

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今季のセンチュリーのベスト

巧い。

大阪 ザ・シンフォニーホール
センチュリー第167回定期演奏会
沼尻竜典指揮 日本センチュリー交響楽団
第1ピアノ 児玉麻里
第2ピアノ 児玉桃
プーランク:2台のピアノと管弦楽のための協奏曲二短調
バンテュス:シネマ・ラプソディー(2台のピアノのための協奏曲)世界初演
ショスタコーヴィチ:交響曲第6番ロ短調作品54

一言・・・こういうプログラムで、こういうセンチュリーの演奏をもっと聴きたかったなあ。今日ほどそのことを思った日はない。

プーランクのなんと「見事」なことか。軽妙、華麗、エンターテイメントの極致。この曲ほど、もたもたしていたら無様なものはない。児玉姉妹のあっけにとられるほどの名技に、さらにあっけにとられるほどの名技で応える、大阪が誇る高機能オケの面目躍如。この絢爛たる音、その遊戯性、そしてその愉悦。

バンテュスの新作は、映画音楽にインスピレーションを求めた、最近のポピュラー音楽の流入顕著な「ネオ・ロマンチシズム」の非シリアス現代音楽。ジャズあり、歌謡曲ありのエンターテイメント作品だが、プーランクと並べてしまうと、同じようにポピュラー音楽が流入したエンターテイメント作品とは言っても、その出来の差は一目瞭然。はっきりいって全然記憶に残らない作品ですね。大体、二台のピアノが必要だったんだろうか。おそらくは、作曲者、当然のことながらプーランクの曲のことは知っていて、それに挑戦してみたんだろうけれど、ぐすたふくんには少なくとも不評です。世界初演だというのに作曲者本人も会場に姿なく、その点でも印象悪し。でも演奏は素敵なもの。

そして後半、ショス6もまた見事の一言。この曲、1楽章をどれだけシリアスに演奏できるか、そして3楽章をどれだけばかばかしく、しかも唖然とするくらいさああああっと巧くやれるか、にかかっているのだが、そのどちらも十二分な出来。1楽章の冷涼な肌触りといい、3楽章のドンチャン騒ぎといい、これこれ、これでなくっちゃ、であります。センチュリーの木管の巧さ、今日の演奏を聴く限りでは、この間のパリ管にもひけをとらないですよ、マジで。ストリングセクションも、びちっとアンサンブル決めて、カッコイイのなんの。

この曲、藤岡さんと関フィルで一度聴いている。それはそれで、関フィルの技術の至らなさを藤岡さんの思い入れが上回った名演だったが、そんなものがアマチュアのそれに思えてしまうような演奏でしたね。

見よ、これぞ、センチュリー・オーケストラ・・・・聴衆諸兄、喝采したまえ。

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ショスタコの6番

今週の木曜日にセンチュリーでタコ6、27日に広上・京響で第9.30日に大植・大フィルで第9。これで、今年は終了の予定です。

今年は、はっきり言って最悪の年だったです。地震もあったし、原発はまだ続いているし、プライベートでも良くないことばかり。

だから、タコ6で思いっきり悪いことを笑い飛ばして、第9を大好きな指揮者二人で聴いてお祓いして、来年に行きたいです。

だから、センチュリー、期待してますよ。

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村上・小澤の対談集を読む

話題の新刊本です。今日、買って読みました。

いつも思うのだけれど、村上春樹という人はどうしてこうも真っ直ぐでいられるのだろう、と。その姿勢にまた真っ直ぐに応える小澤さんも凄い。この二人の姿勢が、やはりこの本を一級の読み物にしているように思います。

願わくば、僕もこのように生きることが出来たなら、音楽に対して、このように真っ直ぐに向かいあえて行けるなら、と思います。

ただ、マーラーのくだりは、マーレリアンとしては、何をいまさらこんなことぐだぐだゆっとんねん、という思いもしましたが(笑)。

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いやいや、御見それいたしました・・・大響定期

正直なところ、楽しめました。○です。

大阪 ザ・シンフォニーホール
大阪交響楽団第161回定期演奏会
児玉宏指揮 大阪交響楽団
バリトン 小森輝彦
プフィッツナー: スケルツォ ハ短調
プフィッツナー: オーケストラ伴奏つき歌曲集より
          (作品2-2,15-2,18,25-1,25-2,26-2)
グラズノフ  : 交響曲 第4番 変ホ長調 作品48

プフィッツナーが聴きたかったのが一番。この作曲家、大学オケの後輩のホルン吹きが絶賛していたんだけれど、それくらいの認識。でまあ、この数十年、気にはしていたものの、出会いなく過ごしていたわけですよね。あと、グラズノフの4番が好きなので、この二つがそろった演奏会、ということで、今季のシンフォニカの演奏会の中では当初からチェックしていたものの一つ。

最初のプフィッツナーの曲は、まるで出来の悪いメンデルスゾーンみたいな曲。若書きの習作、とプログラムで読んで、むべなるかな。

で、やっぱり歌曲が良かった。特に、作品2-2「春の空はそれゆえこんなに青い」と、作品25-2の「嘆き」が出色。前者は、まるでマーラーのリュッケルト・リーターを思わせるような透明な抒情があり、後者の劇的な内面の表出もなかなかの聴きもの。オーケストレーションも、世紀末の同時代性を湛えていて、なかなかに聴かせます。ただ、マーラーにありそうな題材の作品25-1「ラッパ吹き」を聴いてマーラーの「少年鼓主」を思い出しつつ比較してみると、どうも表現がマーラーほどには徹底していない嫌いがあるし、作品18「月に寄す」や作品26-2「夜に」のふたつの夜を扱った歌曲も、確かに魅力的ではあるものの、同じように夜を扱った諸作と比較して、マーラーほどには透徹せず、R・シュトラウスほどには華麗ではない、ように思えてしまう。ここらへんの「不徹底さ」(プログラムには、「生真面目さ」「渋さ」とありましたが、まあ似たようなイメージです)、それが忘れられてしまった原因なんでしょうかねえ。ただ、ナチスとの関係さえなければ、ここまで不当に扱われることもなかったでしょうに、と思わされるに十分な佳曲であることは確か。これが聴けただけでも、ここに来た甲斐がありました。

グラズノフは、ちょっとびっくりするくらいの佳演。シンフォニカ、前回のフランス山人を聴いて、あまりの弦の響きの薄さとブラスのやかましさに、少々辟易して、もし今回もこんなんやったら金輪際来るのをやめようかとも思っていたのだが、今日は同じオケとは思えないような響き。やはり、これ、児玉さんの力量なんでしょうねえ。14型の弦はなかなかにふくよかな旋律を聴かせ、ブラスも抑え気味に響きを作っていて、1楽章などなかなか泣かせる演奏に仕上がってました。児玉さん、旋律の歌わせ方がとっても上手くって、このロシアの叙情交響曲、完全に手中に修めている、といった感じ。ぐっとくるんですよねえ。ただ、3楽章で、最後のティンパニがもうちょっと節度ある打ち込みをしてくれたらもっとよかったんだけどなあ。

でもまあ、満足、です。児玉さん、ありがとうございました。

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大植英次は約束を守る

大フィルの来季のプログラムが発表になりましたが、

・・・やはりマラ9を定期でやる!!

男、大植英次は、約束を守るなあ・・・・しみじみと思った次第でありました。

絶対、二日ともいくぞ。

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