不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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アルヴァマー序曲

明日の大フィルの演奏会にはぐすたふくん、行かないんですけれど、大フィルのブログを見ていると、アルヴァマー序曲に関する熱い文章が載っていました。

ブログを検索しても、なかなかみなさん熱い!!

「そのバーンズ様の世界的代表作にして、青春時代を吹奏楽に捧げた人なら恐らく誰もが一度は演奏した(もしくは憧れた)であろう、この『アルヴァマー序曲』は、「聞くよりも、自ら奏でて初めて輝く曲」であり、どんな部員をも熱くさせる不思議な魔力を持っている。

「吹奏楽コンサートなんかでたまたま聞いた人の耳には、「ああ、カッコいい曲だな」ぐらいにしか思わないかもしれないが、実際に演奏した者には――とりわけ、吹奏楽コンクールの自由曲として日夜練習に取り組んだ者には、不滅の輝きをもって心に刻みこまれる、まさに「永遠の青春賛歌」なのである」

You tubeにも一杯アップされていて、良い曲ですねえ。初めて聴きました。熱くなるのもわかります。青春の熱さと、切なさを併せ持った、胸に甘酸っぱいものが去来する曲。

ぐすたふくん、ブラバン経験者じゃないので、こういう曲全然知らないんですよ。そう言えば、大学のオケの時には、ブラバン経験者との間でどうにもこうにも違和感がありましたねえ。リードもバーンズも、ぜんぜん知らない作曲家ですもん。(でも、ブラバン経験者のこすもすも知らないのはどういうわけかしら?)

でもね、中学・高校とオケだったぐすたふくんにも、「永遠の青春賛歌」とも言えるものはあります。ただ、これが全国のどんな中高オケ部員をも熱くさせる、不滅の輝きをもつ曲かどうかは、わかりませぬが。

それは、エルガーの「威風堂々」第1番!!さあ、どうでしょうか?みなさん、賛成していただけますでしょうか?あとは、アルルの女組曲、特に終曲の「ファランドール」!!これなんかも、みんなと共通の思いがあるんじゃないかしら。

シンフォニーでは、前にも書いたけれど、チャイコの5番だけれど、これは普通中高オケでは手を出さない(このごろは違うのかなあ)から、ちょっと、かしら。

どっちかというと、ドヴォ8番なんかが、経験した人が多くて、思いを共有するのにぴったりかもしれないなあ、と思ったりしますが、その辺、みなさんいかがですか?

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大阪に今おこっていることは、日本の未来である

センチュリーに引き続き、公的助成の削減で大フィルも経営危機になることがおそらくは確実でしょう。

この経過を見る時、ソ連崩壊後のロシアのオーケストラの混迷をまざまざと思い出させられます。その時、ロシアのオケも次々に潰れ、新しいオケができ、少しでも金を稼ごうとして日本に出稼ぎに来、スポンサーを目当てに日本の指揮者を迎え・・・・

でも、こうしたことは、遠からず我々自らの身に降りかかることではないでしょうか。公費助成が減り、医療サービスが低下し、生活保障が切り詰められ、税金はあがるでしょう。一人ひとりが「経営危機」になる。

その状況でも、私たちは「この街のオケ」を支えていける気概を持ち続けられるか?

ロシアでは、レニングラード・フィルもモスクワ放送交響楽団も名前は変わったが生き残りました。大フィルも生き残ってください。

これからの危機の時代、私たちも生き残らなければならない。「津波てんでんこ」、一人ひとりができることを必死にやるだけです。

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大植英次は約束を守る

大フィルの来季のプログラムが発表になりましたが、

・・・やはりマラ9を定期でやる!!

男、大植英次は、約束を守るなあ・・・・しみじみと思った次第でありました。

絶対、二日ともいくぞ。

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りんりんと吉野に行く

りんりんと吉野に行ってきました。

京都駅から、橿原神宮で特急を乗り継いで、1時間半くらいでつきます。近いようで遠いところ。

娘は、近鉄特急に乗れて、駅弁を食べられてご満悦。そんな様子を見つつ、僕は遠い記憶をたどっていました。

12歳と13歳の時、二回僕はここを訪れた。

あのころ、僕はまだ何も知らず、親の言う通りにしていさえすればいいと思っていた。

ロープウェイを降りた吉野山は、時間が35年間止まっていました。山の中に、僕の時間もまたひっそりと眠っていたのでしょう。

さようなら、僕の少年から青年へと変貌する時代の記憶。

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大植・大フィルのブラームスチクルスのCDを聴く

昨日が発売日のこのCD、ぐすたふくん、演奏会場で買ってきました(^^)

さて、このシリーズを聴いたとき、ぐすたふくんがなんて書いていたのかを振り返りながら、今一度このCDを聴いてみることにいたしましょう(何をやっとるんや)

1番については、こんな風に書いてました

「1番のシンフォニーは、一言で言うなら「ダイナミックさにはあえて寄りかかることを避け」「歌を歌いきることに専念した」「深々とした色あいと、馥郁とした香りに満ちた」名品であった、と思います。(中略)それは例えば、1楽章の提示部で突如として落ちるテンポであるとか(提示部の反復を今日は省略していたのも、ここら辺をじっくりやるので、繰り返した時冗長となる、と思ったんでしょう)、3楽章の遅めテンポであるとか、4楽章の第1主題を最後までインテンポで歌ってアッチェレランドせずに突如アレグロの経過部に突入するとか、コーダのまえもアッチェレランドをほとんどせず、突然2倍のテンポのコーダが出現するとか、そういうところに顕著に表れていたように思う。だから、派手な演奏ではなかったです。でも、多分、これが大植さんの結論なんだろう、という気がしました。」

今聴いてみると、「極めて真っ当な」演奏ですね。大植英次と言われなければ、気が付かないくらい。オケも上手く聴こえる(大フィル、ごめんなさい(笑))。立派な演奏です。1970年代のヨーロッパのどこかの放送交響楽団の演奏と言われてもなんら違和感がない。これは、どこへ出しても恥ずかしくないと思いました。ただ、難を言えば、やっぱりライブで聴いたときにも書いた「4楽章の第1主題を最後までインテンポで歌ってアッチェレランドせずに」と「コーダのまえもアッチェレランドをほとんどせず、突然2倍のテンポのコーダが出現」のくだりで、ここは自然なテンポアップに任せた方が良かったんじゃないかなあ。これに代表されるように、4楽章が全体に重すぎるきらいがあって、ここは好き嫌いが分かれるところでしょう。でも、再現部の途中、拍節の頭を外した弦のパッセージが連続した後で、第1主題の動機に突入するところでの、大植さんの大きなブレスが唸り声とともに聴こえるあたり、いかにもライブ、であります。ブラボーも凄い(笑)。

次、2番。

「機首をあげよ、加速せよ、我に続け・・・(中略)・・2番は、前回の1番の延長線上にあり、大植さんの今回のチクルスを貫くパースペクティブ、いささかもぶれがない、ということを感じさせるに十分なもの・・(中略)・・2番、予想以上に速いテンポ。だから、今日は、1楽章提示部の繰り返しがありました。だから、1楽章は存外にあっさりとした、その一方で馥郁とした夏の花の香りをたたえたような、さわやかなもの。これで、コンチェルトの余韻や後味は、すうううっと僕の中から消えていく。そしてそのあとに奏でられる2楽章が、今日の1番。これは、最初から最後まで途切れることのない、長い長いながーい歌、唱、謡。大植英次の棒は、まるで一息でこれを歌いきるかのように音楽を紡ぎ、切れることのない滔々とした流れを創っていく・・・ぐっと胸にきましたねえ。この楽章が終わった時、会場から小さな拍手が飛んだが、気持ち分かったなあ。そう、拍手に値する音楽。・・(中略)・・一方、4楽章。初年度のあちゃちゃあを知っているものとしては、よくぞここまで、と涙をこぼしたくなるほど。良く練習されてましたねえ・・(中略)・・大植さん、この楽章はかなりテンポを揺らすんですよ。このアゴーギグに十分対応し、そしてここを外したら終わりや、という数か所のクリティカルポイントもなんとかクリアした、今日の大フィルはエライ・・(中略)・・突入したコーダ、最後のアクセルも綺麗に決まって、朝比奈御大が「終わりよければすべてよし」と言った最後のニ長調の和音、それがひときわ壮麗にシンフォニーを揺らした後の、地鳴りのような拍手・拍手・拍手。この拍手、最後の最後、団員が帰りかけるまでボリュームが落ちない!!久しぶりじゃないかなあ、ここまでの拍手を聴いたのは」

長い記事だなあ(笑)。いかにこのとき、ぐすたふくんが興奮していたかがわかろうというもの。でも、今聴いてみると・・・1楽章、どこが早いテンポやねん!!!めっちゃ遅いじゃないですか。よっぽど、その前のVnコンが濃い演奏だったんだろうなあ、これで早く聴こえたんだから。これで提示部繰り返されると、CDで聴くとなるとちょっとしんどいですね。ここでも、大フィル、上手く聴こえます。この録音、優秀ですねえ(なんちゅうことを・・・大フィルさん、ごめんなさい)。でも、この1楽章でなんと22分。あとの3つをたしても、28分なので、半分くらいこの1楽章を聴いてたことになるんですよ。この演奏、あっさりだ、と聴いていたとは・・・人間の感覚っていうのは不思議なもんです。上にも書いてるけれど、1楽章の長さに辟易さえしなければ、2楽章はなかなかの聴きもの。このいつ果てるともしれないアダージョ、これをこの緊張感で演奏した大フィルはエライ(ところどころアンサンブルがほころんでいても、このテンションのせいできになりませんもの)。頑張ったなあ。ただ、1楽章との間にあまりにコントラストがないので、続けて聴くとなると、CDではくどく思えるのも事実かもしれない。3楽章についてのコメントが無かったのもうなずける。特徴ないもん。4楽章は、上では凄いアクセルがかかったようなことを書いているけれどCDできくと、全然そんなことはなくって、むしろずっと整理されて綺麗に鳴っている演奏に聴こえる。確かに最後の最後のコードは本当に綺麗に鳴っていて、これに感動したとは、よっぽど「あちゃちゃあ」定期のトラウマがぐすたふくん、深かったんでしょうな(笑)。

さて、問題のブラ3.

「これをして、大植英次を「策士」と呼ぶのが正しいのか、「山師」と呼ぶのが正しいのか・・・(中略)・・さて、コンチェルトが終わりました。ブラ3です。ぐすたふくん、この前の定期の、あの、重い重いブラ3を聴いてますね。コンチェルトが、こういう演奏でした。予想しますね。予想しますよね。こんなんになるかな、あんなんになるかな。さああ、どんなブラ3が来るのか・・・・身構えていましたね。すると・・するとですね・・まさかこんな演奏が待っていようとは。例えて言うなら、「外角低めに重いストレートが来ると思ってバッターボックスに立っていたら、いきなりど真ん中にフォークボールが来て、空振り三振」、って感じでしょうか。だってだって・・・だれがこんな速いブラ3が来ると思います?思っていた人います?予想が当たった、っていう人があったら手を挙げて下さい。いないですよね?・・・・・いきなり大植さん、煽る煽る、大フィル走る走る。そうかと思ったら、止まる止まる・・・え?は?へえ?てな感じであります。そうかと思うと、1楽章から4楽章までほとんどアタッカ。2楽章と3楽章は比較的落ち着いていたものの、4楽章になったら再び突撃!の進軍ラッパ。大フィル大変。だって、この4楽章、それでなくてもパート間のリズムの絡みが複雑で演奏至難の難曲(だから、アマチュアは滅多なことでは手がでない)、このテンポで押し切るのは、ある意味スリリングの極み。結論から言ってしまうと・・・ぐすたふくんの率直な感想としては、この行き方、ちょっと大フィルには荷が重かったのではなかろうか。オケの鳴りが悪く、前半のコンチェルトと比較すれば、明らかに音楽が腰高で安定に欠ける。別に早くても音楽が地に足を付けていれば、それはそれでかっと胸を熱くさせるところまでいくのだが、残念ながらそこまでは至らなかったですね・・・・ただしかし、この極端な差は一体何なのだろう?そして、大植英次は、どうしてここでこんなブラ3を持ってきたのか。・・・・好意的に解釈すれば、「大植英次のブラームス」はマンネリズムとは無縁なのだよ、という主張なのだろうか?確かに、朝比奈御大もそうだったかもしれない。同じ曲をやっても、出来不出来は極端、同じ演奏などありえない。だから、CDもいろんなテイク、いろんなオケ相手のヴァージョンが次から次から出てくる。大植英次も、そうだ、ということなのだろうか?」

これも長い記事だなああ・・・・この時も、よっぽど興奮してたんでしょうねえ。でも、CDを聴いてみると、そこまで早いか?普通のテンポじゃん・・・ところが、コーダに入ると急にアクセルが入る!!なるほど、このことを言っていたのかと合点した次第。この演奏、ところどころで急にアクセルが入るんですよ。でも、ベースのテンポは決して速いわけではなく、むしろ遅め。中間の2楽章、3楽章など、先に書いた1番や2番で見られたのと同様のゆったりしたテンポだし、4楽章だって、トータルの演奏時間は9分分41秒と、ぐすたふくんの持っている他のCDと比較しても(カラヤン8分35秒、ドホナーニ8分43秒、小澤征爾9分35秒、チェリビダッケ9分52秒)とチェリに次いで長い。これはいかなることかと思って聴いていると、やはり4楽章の主部アレグロが、ドホナーニばりの怒涛のアレグロと、バーンスタインばりの粘っこいコラールの交代でできているからで、なるほどこれが僕をして上のように思わせたか、と大きくうなずいたのでありました。おそらく上のような感想、その前に重い重いブラ3を定期で聴いていたからこそと思われ、それが無ければここまでは驚かなかったかもしれませぬ。それにしても、この怒涛のアレグロと重いコラールの交代に、必死で食らいついて行く大フィル、立派(いや、正直上手い、ですよ)。

さて、大トリ、4番に行きましょうか。

「このチクルスの中では、一番印象深い演奏会だったです・・(中略)・・以前の記事でも、予想を裏切られっぱなしの今回のチクルスでのシンフォニーパートですが・・・・今回も、前半二楽章と後半二楽章でこうも変わるとは。だって、前半の二楽章を聴いてたら、このままで行くと思うじゃないですか。流れを大切にした演奏。不要な「タメ」は注意深く排し、楽章の最初から最後までを、大きなフレーズで歌いきるような「流麗」という言葉がぴったりとくる、そしてある意味「カラヤン美学」が透けて見えるような演奏。そうか、ブラ4のキーワードは、「美しき流れ」「旋律美」なのか・・・・と思ってたら、いきなり3楽章からマーラーが顔を出す。ええええええ?このスケルツォは、まるでブルレスケか、「煉獄」か?そして4楽章に至っては、仮面も衣装もかなぐり捨てたかのごとくに、まるでそれこそマーラーの9番・終楽章の冒頭のような慟哭でもって、パッサカリアの幕が切って落とされる。そしてそこからは、大きく揺れるテンポ・振幅の大きなダイナミクス・・・・グロテスクというまでではないが、世紀末的耽美一色に塗り込められた「後期ロマン派」音楽の濃密な時間。この曲が初演された後、シェーンベルクやウェーベルンが、夜の匂い漂う独特の音響色彩に満ちたパッサカリアを書くことになる、そのことの必然を思い知らされるような演奏。こんな4楽章が続くとは、だれが予想するだろう?」

確かにCDで聴いても、1楽章は意外なくらい「普通」の演奏。コーダのアッチェレランドも、もっとやっても良いくらいのもので、いわゆる「想定の範囲内」。でも、2楽章、中間部の最後、二つのコードとそのあとのティンパニの連打とともに畳みかけるくだり、相当に濃いテンションで、これをそんなでもない、と聴いていたぐすたふくん、一体何を聴いていたんだろう?「タメを排し」?どこがタメてないのよ、これの?てな感じです。いやいや、なかなか濃い2楽章ですよ、これ。

でもまあ、そのあとの3楽章の異様なテンションに比べれば、ってことなんでしょうかねえ。最初から最後まで、レッドゾーン振りきれみたいな演奏で、まるでショスタコみたい(前は、マーラーって書いてましたよね)。それからまた、続く4楽章のテンションも尋常でない。CD聴いてること、忘れちゃいますもん、引きずり込まれて。コーダで、休符のあと、ファーストヴァイオリンがこらえきれず、感極まったように突っ込むところなんて、ゾクゾクっときます。やっぱり、このチクルスの中で、ひとつ選べ、と言われたら、この4楽章を選ぶなあ。ブラボーも一番よく入ってます。

でも、全体を聴き終わって思うのは、どれをとっても、少々の傷はあっても気にならない、緊張感がひと時も途切れることのない(内的にピンと張りつめた!!)、非常に良い演奏だ、ということです。CDとしての完成度も、上々と聴きましたが、如何か? 大植さん、ベートーヴェンにはオーケーを出さずに、ブラームスにはオーケーを出した、その気持ちわかるなあ。その意味では、今年のチャイコフスキーは、4番が一番良かったが、5番は大きなミスがあり、6番はもっと行けたはず・・・きっと録音してたとしても、オーケーは出さなかったかもしれないなあ、なんて思いました。

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センチュリーの会員をついに止める

来年のセンチュリーのラインアップが届いた。そして、その内容を見た瞬間・・・

僕は定期会員を止めることを、最終的に決めた。

カルミナ・ブラーナ、ドヴォ4、ブラ3、ブル1、グレート、ショス10、ロメジュリ、火の鳥、ブル7なんて・・・

センチュリーで聴きたいと、誰が思うというのか!!・・・少なくとも、僕は全然思いません。京響や大フィルで聴きたいとは思いこそすれ。

唯一食指が動くとすれば、ドビュッシーの夜想曲全曲(シレーヌを含む、のがミソ)に、ベルクのヴァイオリン協奏曲とデュティユーの交響曲 第1番を合わせた、沼尻君の回くらい。

ソリストの名前で客を集めようとするのが見え見えの回がやたら目につくのも(パユのモーツァルト、神尾真由子のラロ、パスカル・ロジェのサンサーンス、小山実稚恵のラフマニノフ、今井信子のウォルトン)、なんとも悲しい。潰れかけたデパートが必死でバーゲンで客を集めようとしてるみたいで。

オケに共感できない定期会員なんて、続けてても意味ないです。

7年間温めたこの席から、僕は居なくなる。

さようなら、センチュリー。

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僕にとっての、チャイ5

明日、大植英次のチャイ5があります。ブログによれば、ぐすたふくんの予想どうり、チャイ4以上の入りの模様。補助席完売の祝祭的演奏会なりそうな予感。

で、今いろいろとチャイ5を聴き比べているのだけれど・・・ムラヴィンスキー・レニングラードフィル、カラヤン・ベルリンフィル、デュトワ・モントリオール響、チェリビダッケ・ミュンヘンフィル、マタチッチ・ザグレブフィル・・・・

でも僕にとって、最高・無二の演奏は・・・

1980年4月の京都、R高校交響楽団の演奏。これを超える演奏は、空前にして絶後・・・・だと思う。少なくとも僕にとっては。

僕は、その時、客席でその演奏を聴いていた。本当なら、僕はこの曲を舞台で、一番客席に近いファーストヴァイオリンのアウトサイドで弾いているはずだった。

僕の高校のオーケストラが、チャイコフスキーの交響曲を取り上げるなんて、それこそ「空前にして絶後」のことだった。だからこそ僕たちは、いつもなら夏休みが終わってから取り組み始めるはずの春の演奏会のための曲目、この曲だけはそれこそ特別に夏休み前から取り組み始めていたのだった。

その前年にこの曲を定期演奏会にのせていた京大オケから、先輩のコネをつかって楽譜とパート譜を取り寄せ、それこそこかしこに書き込みのある楽譜を穴のあくほど僕は読んだ。4楽章のコーダ、「まだ後がある!!熱くならない!!余力を残して!!」の書き込みには、共感を禁じ得なかった思い出がある。

夏の合宿、志賀高原ではそれこそ、必死になってこの曲をさらった。なんて難しい曲なんだろう、と思った。それこそ、山のように、克服しなければならない音があった。でも、それを遥かに凌駕する美しさがそこにあった。オケの響きの中に自分の音が溶けて行くたび、胸が震えた。

僕はこの曲とどこまでも付き合いたかった・・・・友とともに、春の演奏会の最後の瞬間まで。それに値する曲だった。そして、僕も最大の力をそこに注いだ。

でも、僕は途中で降りた。否、両親によって無理やり僕はそこから降ろされてしまった。それは、結局のところ、自分の至らなさに起因することだったかもしれない。でも、僕は、両親を恨んだ。両親は知らなかったかもしれない。その時、僕は両親に殺意さえ抱いたのだ。

僕は、僕の人生の最大の後悔を挙げろと言われたら、今でもこのことを挙げる。このとき僕は、自分の全てをなげうって、この曲にしがみついていればよかったのだ。そうすれば、僕の人生は、もしかしたら全く違ったものになっていたかもしれない。少なくとも、このことを悔い続け、その呪縛にしばられたものにはならなかったはずだ。

演奏会、2楽章の旋律が全弦楽器のTuttiで万感の想いをもって奏でられるとき、僕は客席で号泣していた。これ以上美しい音楽がこの世にあるだろうか・・・そして、4楽章のコーダ直前のアッチェレランド、友が全員指揮台に向かって前のめりになって、それこそ一つの炎と化していく音の凄まじさ・・・これ以上の音楽を、僕は、おそらく今に至っても、知らない。

最後の年に、この曲の、それこそ記念碑的演奏会に立ち会うことができるのも、何かの縁、なのでしょう。

願わくば、明日の演奏によって、僕が魂が救われんことを。

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オニオングラタンスープと海の幸ピラフ

我が家は、ぐすたふ・こすもすが結婚前の交際時期からずっとロイヤルホテル(あえてリーがロイヤルとは書きませぬ)のファンで、特に、コーヒーハウスのコルベーユには山のような思い出がある。というより、人生の節目、節目で、僕たちはここで食事を摂ってきたと言っていいくらい。

こすもすがお気に入りなのは、タイトルにも書いたオニオングラタンスープと海の幸ピラフ。この二つを目の前に置いた、彼女の幸せな顔見たさに、僕は何度彼女をここに連れてきたろう。

そして、ろんろんが生まれて、彼のお気に入りは牛肉の煮込みもしくはヒレステーキ。最も、彼に言わせれば、最初に食べて感動したのは、尾頭付きの海老フライだったとか。りんりんが生まれてからは、彼女のたのむハンバーグ・デミグラスソースが同じテーブルに並ぶことになる。

ぐすたふお父さんは、そんな家族の料理と表情を見ながら、ローストビーフを肴にビールで思う存分酔っぱらう・・・・それが、ぐすたふ一家の、20年の間変わることのない、最高に幸せな時間だったのに。

・・・・愚かなリーガロイヤルは、このコーヒーハウスを閉じるという前代未聞の愚行を敢行した・・・・・

8月10日にオープンした新ダイニングなるものの中に、僕たちの居る場所はない。

さらば、あの素晴らしきロイヤルホテル。

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今年のPMFO

結局今年は、PMFOを聴きに行かなかったのだけれど、いろいろブログを見て回ると、今年のPMFOの出来はあまり良くなかったようですね。

去年のあの忘れがたい演奏を定点としてもつぐすたふくん、ちょっと寂しいです。

ルイジが来てくれたこと、このことはホントに感謝してもし足りないとは思いますけれど・・・・それでも、やはり、原発のせいなんでしょうね。

ここまで積み上げたものが、ここでもまた、崩れていっている・・・・その光景を、僕たちは痛みをもって見なければならないのでしょうか。

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小松左京

一つの時代が終わる。

この人の、日本における存在、というものはこれから、時間をかけて検証されるべきであろう。

中学から高校にかけて、心酔した作家に

こころからの敬意をこめて、

敬礼したいと思う。

そして、

今この時にこの人がこの世を去ることを

日本人なら、

格別の思いで受け止めるべきだ、と思う。

左京さん

僕は、あなたが日本に託した思いを

決して忘れない。

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