不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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ルトスワフスキをこのオケでやるか?・・・・センチュリー定期

でも・・・・熱演の極み。

大阪 ザ・シンフォニーホール
センチュリー第155回定期演奏会
小泉和裕指揮 大阪センチュリー交響楽団
モーツァルト:ディベルティメントニ長調K.334
ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲

実は、ぐすたふくん、今日は仕事が押して1曲目のモーツァルトには遅刻。途中から1階の一番後ろに入れてもらい、休憩時間になって定期会員の席に移動したのだが、そうすると、会員になって以来(もう丸5年!!)お隣さんのおばさん(多分50代)が自分の席に戻って来て、僕を見るなり開口一番、「いやあ、こんな曲やのに、来はれへんなんて変やなあ、おかしいなあ、って思ってたんですよお。お好きでしょう、こういう曲?」と言われたのには、思わず大笑いしてしまいました。そんな話、いままで一回もしたこともないのに!!(いや、ほとんど会話なんてないんですって、いつも挨拶程度)。よっぽど、隣で「こんな曲」のとき、身を乗り出して聴いてるんでしょうかねえ。なんか、ちょっと恥ずかしかったです。

それはさておき、肝心の演奏ですが・・・・演奏が終わった瞬間、僕の周りで、おじさんたちが一斉に溜息をつくように「Bravo!」の声を絞り出した、というのが非常に印象的。その気持ち、すごいわかりましたね。熱演、ここに極まれり、というような演奏。

ただ、正直言って、タイトルにも書いたような懸念が的中したのも事実。だって、3管フル編成かつ4本ずつのペットとボーン・5本のホルンを擁する管セクションに、12型の弦セクション(バスはたったの6本)をもってしてこの曲で対抗しようなんてのがはなから無理があるんですって。

だから、1楽章のブラスの咆哮の下を踏みならす弦の渾身のダウンボウ・トゥっティも迫力不足だし、そのあとの螺旋のようにブラス・木管・弦が絡み合っていくところも、身をよじるようなというか、キングギドラが3つの首を振りまわしながら金星の空へと飛翔するような凄絶さだとか(なんちゅう例えや)が出てこない。むろん、最終楽章のコラールでも、管楽器群の音塊と弦楽器群の音塊が激突して、軋みとともに火花を散らしてほしいところで、火花が飛び散りきらない、ということも起こる。

その一方で、この弦セクションが供給するクリアな音像がこの曲の幾何学的な美しさを際立たせていたのも事実。特に、弱音部分での木管セクションとの室内楽的なアンサンブルから聴かれる澄んだ美しさの魅力は、なんともいえなかったですね。

しかも、弦セクションは最後尾プルトまで全員が体を揺らしての気合の入れよう。欲を言えばペットがもう少し安定して輝かしい音を響かせてくれれば、というところはあったが、管セクションもまた名技性を十二分に披歴した見事な演奏で応え、聴き終わってみれば、実に満足な演奏、とするにやぶさかではないです。

ただまあ、やっぱりこの曲はもうワンサイズ大きなオケでやるべきやろ、ということもどうしても思ってしまうけどなあ。なんで無理してまでやる必要があるのか、という疑問を呈されても仕方がないとは思う。もっと他に、ふさわしい近代の曲はあるだろうに、と。

ところがその一方で、10-8-6-4-2の十分すぎる弦サイズで臨んだモーツァルトのディベルティメントが、編成が大きすぎてつらい、とくるのだから、なんともはや。この曲の1stヴァイオリンを、こんな大人数でやっちゃダメですって。よっぽど超越的に巧いオケの弦セクションでもない限り、一本に聴こえないですもん、難しすぎて。その辺が、うううううううって思っちゃいます。でも、3楽章のメヌエットのアゴーギグなどとても面白く(すっごくゆっくりで始まってだんだん上げていく)、ここでは、こういうアゴーギグを大人数の弦で暖かく聴かせる魅力も感じはしましたけどね。あとは、ロンドも良かったけど、この二つだけ。あとは・・・多くを語りますまい。

オケの身の丈、というものについて、いろいろと感じさせられた演奏会だったかもしれないですね。

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