不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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来てよかったか、損したか・・・・関フィル定期

ううううむ、という演奏会

大阪 ザ・シンフォニーホール
関フィル第216回定期演奏会
藤岡幸夫指揮 関西フィルハーモニー交響楽団
ピアノ:シュー・ツォン
吉松隆:鳥たちの時代 作品25
サンサーンス:ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22
ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲

今年初めての関フィル。毎回書いていることだが、よっぽどのことがない限り、僕は関フィルを聴きに来ません。なぜなら、来て損した、と思うことが多いから。

記録をみると、なんと2008年は一度も聴きに来ず。2007年6月の湯浅さんが振ったエルガーの2番を聴いて以来、丸2年と半年ぶりですね。このときのエルガーの演奏で、もういいや、と思ったのが大きかった。

今回は、吉松さんの「鳥たちの時代」がどうしても聴きたくて、抑えきれずに馳せ参じた、のだが・・・・結論からいえば、「関フィルは関フィル、藤岡さんは藤岡さん」というところでしょう。

「鳥たちの時代」・・・僕は、吉松作品のなかで、生き残るのはこの曲と「朱鷺」と「サイバーバード」の3曲だと思っている。それくらい、好きな曲。心から感動するが辛さが身にしみる「朱鷺」や「サイバーバード」より、希望の光と飛翔する精神の気高さがほの見えるこの曲、僕はより繰り返し聴く気になれるんです。

CDにも録音している藤岡さん、この曲はいかにも知り尽くした、という感じで、うまく音を作っていました。吉松氏本人がライナーノートに書いているように、ここでは「翼を広げる様」「羽毛の柔らかさ」「群れをなして飛翔する姿」が音にされる。それが、実際にどのようにオーケストラを使って達成されているのか、それを実際に目の当たりにできたことは得がたい経験。これは、来てよかった、と素直に思いました。この作曲者、やはり只者でない才能の持ち主である(あった?)ことに、心から感服。

そして、これはライブでみないとなかなかわからないことだが、かなりの部分がチャンスオペレーションで書かれていて、それを絶妙にコントロールする藤岡さんのしぐさがなかなかの見もの。これも、見に来てよかった(笑)。

サウンド的にも、最後の「The Sun」のラスト、無数の鳥たちの羽ばたきと飛翔を思わせる音群、地平線から立ち上る神々しいばかりの朝日の輝きを思わせるコラール、この音を聞かせてもらえれば、もうなにもいうことはありません。

でまあ、どうしようかな、と思ったんですよね。ここで帰ろうかと。一番安い、3000円のB席、これで帰っても損はなかろう、とも。でもねえ、ここで、でもせっかく3000円も払ったし、と思いなおしたのが運のつき。居残ったのが間違いだったですね(そこまで言うか(^^;;)

サン・サーンスは、まあこんな曲ですし(どんなや、っちゅうねん)、ソリストも「グランド・マナー」でバリバリと弾き飛ばすし、楽しませていただければいいかな、と思いながら聴いてました。ある意味、ショーピース・映画音楽といってもいいようなエンターテイメント追求の曲、あまりごちゃごちゃ言わずに耳に心地よければそれでよし、だからこれはこれで悪くはない。

ところが、ルトスワフスキが、ねえええ・・・・・・以前尾高さんが京響を振ったのを聴いた時には、そのサウンド・スペクタクルに感動し、「音楽の精神性からは距離をおくものの、これはこれで」みたいな記事を書いた記憶がある。その時はそう思ったのだが、この曲をただサウンド・スペクタクルとしてとらえることがいかに皮相的なものか、思い知らされる演奏。これが「聴いて損した」と思わせた最大の原因ですね。

実に、藤岡さんの指揮、この曲を力任せにぶん回しているもので、聴いててしんどいことこの上ない。同じようなフォルテのTutti、がなりたてる金管の絶叫が繰り返されるだけでは、この曲のスケール感だとか、実は周到に組み立てられた構成感だとかが、全然聴いているこちらのほうに伝わってこない。表現が単調で、場当たり的なんですよ。これは、藤岡さんが振ったときにしばしば感じることだが、やはり今日も一緒。そしてまた、関フィルのサウンドも、どうにも収斂しない、どこに行こうとしているのかわからない、というものに終始。これもまた、演奏能力ぎりぎりの曲をやったときの、エキストラ満載背伸び関フィルにありがちなサウンドですね。

聴いて損した、って思うって、聴衆としては最低ですよね。

前にも書いたけれど、こんなことしてたって、単に演奏会をイベントみたいにぶち上げてるだけじゃないですか。どうしたいのか、どこへ行こうとしているのか。もし、それがあるのなら、それに相応しい選曲とメンバー構成があってしかるべき、と思うのは僕だけだろうか?そういうことをしない限り、いつまでたっても「関フィルサウンド」なんてできやしないと思うし、「関フィルの音を聴きたい」とは思わない、少なくとも僕は。

その意味で、まだシンフォニカーの方が姿勢がはっきりしてて偉いと思うけどなあ。

来年、創立40周年、そして新たにデュメイ氏を音楽監督を迎えるとのことで、大々的に大きなプログラムをぶち上げている関フィル。「復活」なりとも聴きにこようかとおもっていたぐすたふくんだったが、今日の演奏を聴いて、やっぱりやめよう、と思ってしまったのでありました。
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