不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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ブラームスの管弦楽作品を並べてみる

悪い癖で、やり始めるといつまでもやる、というところがあります、ぐすたふくん。

で、例によって、ブラームスの管弦楽作品を並べるとどうなるか、という風に思ってしまいました。

セレナードニ長調 作品11(1858)
ピアノ協奏曲第1番イ長調 作品15(1858)
セレナードイ長調 作品16(1859)
ハイドン・ヴァリエーション 作品56a(1873)
交響曲第1番ハ短調 作品68(1876)
交響曲第2番二長調 作品73(1877)
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77(1878)
大学祝典序曲 作品80(1880)
悲劇的序曲 作品81(1880)
ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83(1881)
交響曲第3番ヘ長調 作品90(1883)
交響曲第4番ホ短調 作品98(1885)
ヴァイオリンとチェロの為の二重協奏曲イ短調 作品102(1887)

ブラームスの作品目録を一度でも見たことのある人ならすぐに気がつくと思うのだが、この人、ほとんどの作品が歌曲と合唱曲なんですよ(ざっと数えてみたら、67曲。全122曲の半分以上ですな)。そして、そのなかに、ポツンポツンとピアノ曲と室内楽曲が、それぞれ何曲かクラスターを作りつつ顔を出す、そんな風景。管弦楽など、その膨大な歌曲と合唱曲にうずもれて見えなくなってしまいそうなほど。結局、最後となる作品122のコラール前奏曲集は1896年の作品、これもまたオルガン曲という体裁だが、本質は合唱曲、ですからね。その前の作品121は、名曲「4つの厳粛な歌」。最後の管弦楽作品を書いてから10年近く、ブラームスはこういう歌曲・合唱曲を書くことはやめず、ときどきピアノ・室内楽を書いて、そして死んで行ったんですよね。そう思うと、ブラームスという作曲家に対するイメージが、ちょっと違ってくる気もしないではない。

オペラを書いて成功することが作曲家として最高の栄達であったあの時代において(マーラーはコンサートホールに「交響曲」という名の彼の「オペラ」を築き上げることで、オペラハウスから独立した異形の帝国を目指した、ともいえると思う)、このような作曲姿勢を選択する彼の思いがいかなるものであったか、改めてしみじみ考えてしまいます。

で、管弦楽曲は、実はたったの13曲、全122作品の一割にしかならない。これを無理やり(作曲年の近さや間隔、調性などを参考に)関連づけて整理すると

セレナードーピアノ協奏曲1番ーセレナード
(ハイドン・ヴァリエーション)
交響曲1番
交響曲2番ーヴァイオリン協奏曲
序曲2つーピアノ協奏曲第2番
交響曲3番
交響曲4番
2重協奏曲

ハイドン・ヴァリエーションは、ピアノも存在していることから、これは習作とすべき、という立場をとることもできる。すると、やはりピアノ協奏曲第2番を転回点とすべきなのかなあ、と思いますね。でも、この曲がブラームスの星座のなかで中心を占めるということには、僕はうなずいてしまいますけれど。

それを挟んで1番・2番=Vn協の星座と3番・4番の星座が対峙し、一番端を大規模協奏曲の2曲それぞれが飾っている・・・これが、「シンメトリー理論」から見た、ブラームスの管弦楽が形作る星座なのじゃないかなあ、と思ってしまいます。

調性も、変ロを挟んでニとヘという変ロ長調の三和音が群の中心を形作り、その外をハとホの短調がはさみ、さらにその外をイの短調と長調が挟む、という構造ともとれる。

いずれにしても、冷静になって俯瞰してみれば、交響曲をことさら特別視することは間違いで、むしろ協奏曲にこそこの人の作品の意義と重みがあるような気がしますね。

今回の大植さんの企画も、そこらへんに実は力点があるのかもしれないです。


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