不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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小泉ダイナミズム、それを誉め言葉として今日は贈りたい・・・・センチュリー定期

立派。

大阪 ザ・シンフォニーホール
日本センチュリー交響楽団第169回定期演奏会
小泉和裕指揮 日本センチュリー交響楽団
ピアノ独奏 小菅優
シューマン:ピアノ協奏曲イ長調作品54
(アンコール:シューマン/リスト「献呈」)
ブルックナー:交響曲第2番ハ短調

終演後、初めて定期会員席の一番端のおじさんと二人(僕は反対の端)、スタンディングで拍手をしました。そのとき二人交わした言葉が「いやあ、この人数でここまでの音が鳴るとは!!」

これまで、ぐすたふくん、小泉ダイナミズム、という言葉を、どちらかというと否定的な響きで使うことが多かったかもしれないけれど、今日のブルックナーの演奏に対しては、最大級のほめ言葉としてこの言葉を使いたい。

センチュリーに小泉さんがやってきて(実は大植さんが大フィルに来たのと同じ2003年だったんですね、全然意識してなかったけれど)、センチュリーには不似合いにしか思えないダイナミズムを振りまわし、それこそ身の丈にあわない大曲をぶいぶい言わせてやり続けた。そのことを僕が時に苦々しく思っていたのは、この日記を読んできた人ならみんなご存じの通り。

でもまあ、それもここまでやり通したら、立派です。ここまでの演奏を聴かせられては、何も言えません。参りました、としか言いようがない。何物も、貫き通す、ということの重みを凌駕するものなし。

この演奏をして、締ったプロポーションから重い重い球を繰り出すプロ野球のエース、に例えるのにやぶさかではない。実に一級のブルックナーです。

特に1楽章と2楽章が秀逸。1楽章は早めのテンポで、それこそインバル・フランクフルトを彷彿とさせるような熱いリズム感。久しぶりに、背中が熱くなりました。そして、一転、二連・三連のリズムが複雑に錯綜し絡み合い、音楽が無重力空間に浮遊するかのような時間を作りだす、二楽章の主題再現前のクライマックスの美しさ。まるでタルコフスキーの空中浮揚の映像を見ているかのようで・・・小泉さんの棒が、こんな宗教的な音楽と時間を紡ぎ出してくるとは。

3楽章も、びしっと締った格好のいいもの。4楽章はまたこれ、滅茶苦茶難しいアンサンブル(今日は改めて、この曲が難曲であることを再認識しました)。これをしっかり決めてくるあたりは、流石はセンチュリー。センチュリーだからこそ、ここまでクリアに音が聴こえてくるんやなあ、と思いましたねえ。やっぱり上手いオケだ、このオケは。

実は、客の入りは良くは無かったんです。正直なところ、6割くらいかなあ。だから、僕の定期会員席の列は、僕とそのおじさんともう一人おばさんだけ。僕とおじさんの間は、3席とも空席だったんですよ。だから、最初に書いたみたいなことになったわけ。

そう言っている僕も、今回でこの席、最後になるんだよなあ・・・・ちょっと寂しくなりました、自分で決めたこととは言え、ね。

でも、ただただ、立派、という言葉を贈りたいです。僕が聴き続けたセンチュリー、よくぞここまでの演奏を、と。定期会員として臨む最後の定期演奏会で、この演奏を聴かせてもらったこと、本当に感謝します。

さようなら。そして、ありがとう。

追記:
シューマンも実は良かったです。

ホントのこと言えば、ぐすたふくん、小菅譲はあまり好きじゃない。がんがん弾くばかりで、どれを聴いてもみんなベートーヴェンに聴こえてしまうような気がして、これまでも散々に書いてきたと思います。1楽章と2楽章については、やっぱりこの人はこんなかんじなんやなあ、と。もうちょっとシューマンの陰影というか、陰りというか、そういうものが出てこない。極道ぐすたふくん、まあ小泉ダイナミズムとは丁度いい組み合わせなんかなあ、なんて(不遜にも)思ってたんですけど・・・ところがところが、3楽章が何とも小気味のいい秀演。花が咲き乱れるが如くの若さと香りあふれるもので、この魅力、抗することは不可能、でしたね。完全にノックアウト、でした。

そのあとに弾かれた「献呈」の歌の素晴らしさ・・・なかなか、泣かせますねえ。

ちょっと、小菅譲、見直しました。また、次の機会、楽しみに待ちます(^^)
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