不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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感銘深い演奏・・・聖トーマス教会合唱団&ゲヴァントハウス管弦楽団演奏会

生まれて初めての、マタイの演奏会。

大阪 ザ・シンフォニーホール
聖トーマス教会合唱団創立800周年記念公演
ゲオルグ・クリストフ・ピラー指揮
聖トーマス教会合唱団&ゲヴァントハウス管弦楽団
ウーテ・ゼルビッヒ(ソプラノ) シュテファン・カーレ(アルト)
マルティン・ペッツォルト(テノール:福音史家&ソロ)
マティアス・ヴァイヒェルト(バス)
ゴットホルト・シュヴァルツ(バス)
J・S・バッハ:マタイ受難曲BWV244(全曲)

このごろアクシデントには慣れっこになってしまって、半ばあきらめ気味なのだけれど、今日も演奏者降板のお知らせから始まって、いきなりテンションダウン。テノールソロをやるはずだった、クリストフ・ゲンツ氏が体調不良で参加見合わせとのこと。「演奏参加見合わせ」ということは、来日はしておられる、ということなのかな、と思い直し、それなら原発がらみではなかろうとちょっと気持ちを取り直したのだが・・・・毎回こんな気持ちにさせられて、現実を突きつけられて、いささかげんなり。でも、聖トーマス合唱団の少年たちがちゃんと来てくれたという事実には変わりはないし、ゲンツ氏の降板が仮に原発のせいであったとしても、他のソリストはちゃんと来日してくれている、と言う事実にも変わりはない。そのことには、素直に感謝しなければならない、と思います。まだ、日本が見捨てられたわけではないと。

で、それでなくても全編歌いっぱなしで大変な福音史家のペッツォルト氏、さらにアリアまで歌わなければならなくて、これがやはり大変。明らかに、アリアの所は練習不足がわかってしまうのだけれど、これはもう仕方が無いですよねえ。ただただ、ねぎらいの拍手をお送りしたいです。

ソリストでは、やはりアルトを担当したカーレ氏が飛びぬけて良かった(男性!こういうのを、カウンターテナー、って言うんだろうか?初演時は、ソプラノも男性が担当したんだろうなあ)。かの有名な、第2部のアリア、「憐れみたまえ、わが神よ、この涙のゆえに」のなんとも透明で、遠い遠いところまで突き抜けていくような哀愁の、切々と胸を打つことといったらないです。また、この人、合唱にも参加していて、合唱団とソロ席の間を何回も往復していたのにも驚きました。ソリストの中では最も若く、聖トーマス合唱団出身とのことで、それこそ、指揮者でトーマス・カントールでもあるビラー氏とともに、きっと先頭にたって引っ張ってこられたんでしょうねえ。

このカーレ氏のアリアに、バスのアリアを挟んで拮抗する、もう一つの素晴らしいアリア、「愛ゆえに」の、それこそ涙なくして聴けない、切々たるソプラノも良かった。第二部は、この二つのアリアが絶品ですね。

そして、第2部と言えば、ここで3回繰り返されるパウル・ゲルハルトに起源をもつ受難コラールの美しさ。この3回それぞれを、激情や怒り、やりきれなさや諦念、そして浄化された祈り、という風に、見事に表現しわける、感動的な合唱。この劇的表現、素晴らしい、の一言です。バッハがこれほどまでにドラマティックだということを、実感として感じられた、忘れがたい時間だったです。

そして、徹底的に絶望的なドラマを突き抜けた先に、いつの間にか仄かな救いの灯りがともり、それが「わたしのイエスよ、おやすみなさい」と繰り返されるうちゆっくりと音楽全体に広がって、最後の「我ら涙してひざまづき」の合唱に於いて、怒りも苦痛も悲嘆も哀しみも超えた、極めてニュートラルな地平に到達する時間を感じた時、ああ、これがマタイというものなのか、となんとなくこの曲を初めて理解できたような気になりました。これが、バッハ体験、というものなのかなあ。

マタイという曲、CDで聴いているといつもピンと来なくて、途中で寝てばかりなのだけれど、初めてこれはやはり評判どうりの凄い曲なのかもしれない、と思ったのは、NHK・BSでやっていたライブ録画(どこの演奏だったかなあ、ペーター・シュライヤーがエヴァンげリストをやっていたはず)を見たとき。この時は、ただただ、そのどこまでも沈潜していく悲劇性に激しく心揺さぶられたのだが、今日はむしろ希望や救いが感じられて、そこが感銘深かった、と思います。

やはりこの曲はライブで聴くものなんやなあ、と思いました。こうやって、マタイ体験を積み重ねていくことが大切なんかなあ、と。また次回は、違うものが感じられるかもしれないなあ。

今日の経験を反芻しながら、またCDを聴いてみよう、と思います。

はるばるこんな日本にまで感動を持ってきてくれた聖トーマス合唱団の若者たち、本当に有難う。最大限の賛辞を、ぐすたふくんは送りたいです。

陳腐で恥ずかしいけど・・・・心から、Danke Schoen, und Auf Wieder sehen !!
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コメント


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ぐすたふさま こんばんは

バッハのマタイは、後戻りできない道をすすむような怖さがやはりありますが、『希望や救いが感じられる』とお書きになっているのを見て、なにかほっといたしました。

しかし、やはりマタイ、それでもその地震には、おののかれませんでしたか。

古都百話(京都百科) | URL | 2012-02-27(Mon)00:46 [編集]


Re: タイトルなし

京都百科さん、おはようございます。
>
> バッハのマタイは、後戻りできない道をすすむような怖さがやはりありますが・・・・やはりマタイ、その地震には、おののかれませんでしたか。

私は、カトリックのミッションスクールの出身ですが、受難については未だに受け入れがたいものがあります。マタイを聴きながら、その気持ちは最大限。なんという酷い話なのか。どうして、ここまでの絶望を直視せねばならないのか。なぜ、ここにいなければならないのか、こんな絶望を人に強いる宗教を人は信仰しうるのか。

それを救ったのは、やはり、トーマス合唱団の少年たちの純粋さ、だったかもしれません(帰ってから聴いた、リヒター・ミュンヘンバッハの演奏は、徹底した悲劇に貫かれたもので、感動はするけれども、何度も聴こうとは思わないものでしたもの)。

人を救うのは、やはり人、なのかもしれません。たとえ、その人が神の恩寵にあずかっているひとだ、としても。

ぐすたふ369 | URL | 2012-02-27(Mon)07:26 [編集]


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