不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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中学3年生の時の第9

僕の人生で最も幸せな時間があったとするなら、それは中学3年生の時だったんじゃないかと思う。

あの時のクリスマス、前の日記にも書いたけれど、24日のイブの18時からタブローがあって、中学生はその前にクラスで集まって、クラス会をするっていうのが習わし。どういうわけか、これは中学だけで、高校になったらなくなってしまったんだけれど。多分、中学一年生が全員参加でその日に出席することになるから、出席日数を合わせるために、中2と中3はキャストで出演する以外の人間については、クリスマス会で出席扱いにしてたんだろうな。これは想像だけれど。

クラス代表が、近くのマクドナルド(まだできたばかりで珍しかった)で、フィレオフィッシュとチーズバーガーを買ってきて、みんなで食べて解散。なんか、他にないんやろか、って感じだけど、それが70年代後半、だったんですよね。

それで、そのクラス会の前に講堂でちょっとした演奏会なんかのイベントがあって、即席のバンドを組んで演奏なんかをしてたんですよ。その年、僕はオケの同級生に誘ってもらって、カルテットのセカンドを弾かせてもらったんですよね。

アイネ・クライネを全曲やって、そしてチャイコフスキーのアンダンテカンタービレをやって、クリスマスキャロルを数曲やって・・・・中2から始めた僕を他の3人(彼らは中1から始めてたんだけど)はホントに大事にしてくれて、僕が劣等感を持たないよう、どれだけ心配りをしてくれたかわからない。有難かったなあ。これが、僕の弦楽四重奏曲の初体験だったです。

オケを初めて2年目、聴くもの弾くもの初めての曲ばかり。でも、せっかくオケに出会ったからには、是非とも第9を実演で聴いてみたい。そう言ったら、その時、チェロをやってた友人が、教えてくれたんですよね。京響が何回か第9をやるけれど、その中で一番の聴きものは、市立芸大が合唱を受け持つ時だって。合唱が一番それがいいからって。

そう教えてもらった僕は、三条の十字屋に言って、生まれて初めてチケットを自分のお小遣いで買ったんです。でも、その時思ったのは、席ってこれだけしかないのかって。ホントに一列の一部しか十字屋には置いてなくって、ええええって思ったのを憶えてます。今から思えば、市立芸大がほとんどのチケットを抑えていた公演だったんでしょうけどね。

そして、予習に選んだレコードはグラモフォンのカラヤン・ベルリンフィル。これも高かった。何回、お昼を抜いて、弁当代をためたことだろう。買って帰ってからは、毎日このレコードを聴く日々。それこそ一日が、帰ってこのレコードを聴くためにあるかのよう。

クリスマスのコンサートも、そしてクラス会も終わって、その次の日だったんじゃないかな。学校は休みになってたけど、タブローの後片付けにつきあって、制服のままで学校から直接、京都会館に向かったんじゃないかと思います。

その日は、丁度今年みたいにこの時期にしては寒い日が続いていたときで、天気もあまりよくなかったと思う。雪でもちらつきそうな曇り空、三条京阪から歩いて京都会館に一人で(!)向かう僕は、生まれて初めて一人で疏水横の喫茶店に入って(よくまあ、制服で入ったもんだ)メニュー見てその高さに仰天しつつ、カレーだかサンドイッチだか食べたような記憶がある。自分で買ったチケットで行く初めてのコンサート、っていう高揚感が僕をそうさせていたんじゃないかしら。

指揮者は、小泉和裕(!!)。生まれて初めて実演で聴く、1楽章冒頭の空虚5度。制服姿で一人で京都会館の1階席、真ん中から少し右側によったところにちょこんと座っていた僕を、周りの人はどう見ていたのかしら。

生まれて初めて聴く、4楽章の合唱。vor Gott!!の昂揚・・・・中学3年の僕は、その時ずっとこの音楽の中に包まれていたい、と本当に心の底から思っていた。出会いの奇跡、心の震えと、少年からの青年への変容と。

今年は33年ぶりに、京都で第9を聴くことができそうです。

京都の冷気は、あの時と今も変わらない。一方で、京響は変わったし、指揮者も変わった・・・でも・・・僕の心があのころと変わらず、この曲に震えることができますように。



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