不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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大植・大フィルのブラームスチクルスのCDを聴く

昨日が発売日のこのCD、ぐすたふくん、演奏会場で買ってきました(^^)

さて、このシリーズを聴いたとき、ぐすたふくんがなんて書いていたのかを振り返りながら、今一度このCDを聴いてみることにいたしましょう(何をやっとるんや)

1番については、こんな風に書いてました

「1番のシンフォニーは、一言で言うなら「ダイナミックさにはあえて寄りかかることを避け」「歌を歌いきることに専念した」「深々とした色あいと、馥郁とした香りに満ちた」名品であった、と思います。(中略)それは例えば、1楽章の提示部で突如として落ちるテンポであるとか(提示部の反復を今日は省略していたのも、ここら辺をじっくりやるので、繰り返した時冗長となる、と思ったんでしょう)、3楽章の遅めテンポであるとか、4楽章の第1主題を最後までインテンポで歌ってアッチェレランドせずに突如アレグロの経過部に突入するとか、コーダのまえもアッチェレランドをほとんどせず、突然2倍のテンポのコーダが出現するとか、そういうところに顕著に表れていたように思う。だから、派手な演奏ではなかったです。でも、多分、これが大植さんの結論なんだろう、という気がしました。」

今聴いてみると、「極めて真っ当な」演奏ですね。大植英次と言われなければ、気が付かないくらい。オケも上手く聴こえる(大フィル、ごめんなさい(笑))。立派な演奏です。1970年代のヨーロッパのどこかの放送交響楽団の演奏と言われてもなんら違和感がない。これは、どこへ出しても恥ずかしくないと思いました。ただ、難を言えば、やっぱりライブで聴いたときにも書いた「4楽章の第1主題を最後までインテンポで歌ってアッチェレランドせずに」と「コーダのまえもアッチェレランドをほとんどせず、突然2倍のテンポのコーダが出現」のくだりで、ここは自然なテンポアップに任せた方が良かったんじゃないかなあ。これに代表されるように、4楽章が全体に重すぎるきらいがあって、ここは好き嫌いが分かれるところでしょう。でも、再現部の途中、拍節の頭を外した弦のパッセージが連続した後で、第1主題の動機に突入するところでの、大植さんの大きなブレスが唸り声とともに聴こえるあたり、いかにもライブ、であります。ブラボーも凄い(笑)。

次、2番。

「機首をあげよ、加速せよ、我に続け・・・(中略)・・2番は、前回の1番の延長線上にあり、大植さんの今回のチクルスを貫くパースペクティブ、いささかもぶれがない、ということを感じさせるに十分なもの・・(中略)・・2番、予想以上に速いテンポ。だから、今日は、1楽章提示部の繰り返しがありました。だから、1楽章は存外にあっさりとした、その一方で馥郁とした夏の花の香りをたたえたような、さわやかなもの。これで、コンチェルトの余韻や後味は、すうううっと僕の中から消えていく。そしてそのあとに奏でられる2楽章が、今日の1番。これは、最初から最後まで途切れることのない、長い長いながーい歌、唱、謡。大植英次の棒は、まるで一息でこれを歌いきるかのように音楽を紡ぎ、切れることのない滔々とした流れを創っていく・・・ぐっと胸にきましたねえ。この楽章が終わった時、会場から小さな拍手が飛んだが、気持ち分かったなあ。そう、拍手に値する音楽。・・(中略)・・一方、4楽章。初年度のあちゃちゃあを知っているものとしては、よくぞここまで、と涙をこぼしたくなるほど。良く練習されてましたねえ・・(中略)・・大植さん、この楽章はかなりテンポを揺らすんですよ。このアゴーギグに十分対応し、そしてここを外したら終わりや、という数か所のクリティカルポイントもなんとかクリアした、今日の大フィルはエライ・・(中略)・・突入したコーダ、最後のアクセルも綺麗に決まって、朝比奈御大が「終わりよければすべてよし」と言った最後のニ長調の和音、それがひときわ壮麗にシンフォニーを揺らした後の、地鳴りのような拍手・拍手・拍手。この拍手、最後の最後、団員が帰りかけるまでボリュームが落ちない!!久しぶりじゃないかなあ、ここまでの拍手を聴いたのは」

長い記事だなあ(笑)。いかにこのとき、ぐすたふくんが興奮していたかがわかろうというもの。でも、今聴いてみると・・・1楽章、どこが早いテンポやねん!!!めっちゃ遅いじゃないですか。よっぽど、その前のVnコンが濃い演奏だったんだろうなあ、これで早く聴こえたんだから。これで提示部繰り返されると、CDで聴くとなるとちょっとしんどいですね。ここでも、大フィル、上手く聴こえます。この録音、優秀ですねえ(なんちゅうことを・・・大フィルさん、ごめんなさい)。でも、この1楽章でなんと22分。あとの3つをたしても、28分なので、半分くらいこの1楽章を聴いてたことになるんですよ。この演奏、あっさりだ、と聴いていたとは・・・人間の感覚っていうのは不思議なもんです。上にも書いてるけれど、1楽章の長さに辟易さえしなければ、2楽章はなかなかの聴きもの。このいつ果てるともしれないアダージョ、これをこの緊張感で演奏した大フィルはエライ(ところどころアンサンブルがほころんでいても、このテンションのせいできになりませんもの)。頑張ったなあ。ただ、1楽章との間にあまりにコントラストがないので、続けて聴くとなると、CDではくどく思えるのも事実かもしれない。3楽章についてのコメントが無かったのもうなずける。特徴ないもん。4楽章は、上では凄いアクセルがかかったようなことを書いているけれどCDできくと、全然そんなことはなくって、むしろずっと整理されて綺麗に鳴っている演奏に聴こえる。確かに最後の最後のコードは本当に綺麗に鳴っていて、これに感動したとは、よっぽど「あちゃちゃあ」定期のトラウマがぐすたふくん、深かったんでしょうな(笑)。

さて、問題のブラ3.

「これをして、大植英次を「策士」と呼ぶのが正しいのか、「山師」と呼ぶのが正しいのか・・・(中略)・・さて、コンチェルトが終わりました。ブラ3です。ぐすたふくん、この前の定期の、あの、重い重いブラ3を聴いてますね。コンチェルトが、こういう演奏でした。予想しますね。予想しますよね。こんなんになるかな、あんなんになるかな。さああ、どんなブラ3が来るのか・・・・身構えていましたね。すると・・するとですね・・まさかこんな演奏が待っていようとは。例えて言うなら、「外角低めに重いストレートが来ると思ってバッターボックスに立っていたら、いきなりど真ん中にフォークボールが来て、空振り三振」、って感じでしょうか。だってだって・・・だれがこんな速いブラ3が来ると思います?思っていた人います?予想が当たった、っていう人があったら手を挙げて下さい。いないですよね?・・・・・いきなり大植さん、煽る煽る、大フィル走る走る。そうかと思ったら、止まる止まる・・・え?は?へえ?てな感じであります。そうかと思うと、1楽章から4楽章までほとんどアタッカ。2楽章と3楽章は比較的落ち着いていたものの、4楽章になったら再び突撃!の進軍ラッパ。大フィル大変。だって、この4楽章、それでなくてもパート間のリズムの絡みが複雑で演奏至難の難曲(だから、アマチュアは滅多なことでは手がでない)、このテンポで押し切るのは、ある意味スリリングの極み。結論から言ってしまうと・・・ぐすたふくんの率直な感想としては、この行き方、ちょっと大フィルには荷が重かったのではなかろうか。オケの鳴りが悪く、前半のコンチェルトと比較すれば、明らかに音楽が腰高で安定に欠ける。別に早くても音楽が地に足を付けていれば、それはそれでかっと胸を熱くさせるところまでいくのだが、残念ながらそこまでは至らなかったですね・・・・ただしかし、この極端な差は一体何なのだろう?そして、大植英次は、どうしてここでこんなブラ3を持ってきたのか。・・・・好意的に解釈すれば、「大植英次のブラームス」はマンネリズムとは無縁なのだよ、という主張なのだろうか?確かに、朝比奈御大もそうだったかもしれない。同じ曲をやっても、出来不出来は極端、同じ演奏などありえない。だから、CDもいろんなテイク、いろんなオケ相手のヴァージョンが次から次から出てくる。大植英次も、そうだ、ということなのだろうか?」

これも長い記事だなああ・・・・この時も、よっぽど興奮してたんでしょうねえ。でも、CDを聴いてみると、そこまで早いか?普通のテンポじゃん・・・ところが、コーダに入ると急にアクセルが入る!!なるほど、このことを言っていたのかと合点した次第。この演奏、ところどころで急にアクセルが入るんですよ。でも、ベースのテンポは決して速いわけではなく、むしろ遅め。中間の2楽章、3楽章など、先に書いた1番や2番で見られたのと同様のゆったりしたテンポだし、4楽章だって、トータルの演奏時間は9分分41秒と、ぐすたふくんの持っている他のCDと比較しても(カラヤン8分35秒、ドホナーニ8分43秒、小澤征爾9分35秒、チェリビダッケ9分52秒)とチェリに次いで長い。これはいかなることかと思って聴いていると、やはり4楽章の主部アレグロが、ドホナーニばりの怒涛のアレグロと、バーンスタインばりの粘っこいコラールの交代でできているからで、なるほどこれが僕をして上のように思わせたか、と大きくうなずいたのでありました。おそらく上のような感想、その前に重い重いブラ3を定期で聴いていたからこそと思われ、それが無ければここまでは驚かなかったかもしれませぬ。それにしても、この怒涛のアレグロと重いコラールの交代に、必死で食らいついて行く大フィル、立派(いや、正直上手い、ですよ)。

さて、大トリ、4番に行きましょうか。

「このチクルスの中では、一番印象深い演奏会だったです・・(中略)・・以前の記事でも、予想を裏切られっぱなしの今回のチクルスでのシンフォニーパートですが・・・・今回も、前半二楽章と後半二楽章でこうも変わるとは。だって、前半の二楽章を聴いてたら、このままで行くと思うじゃないですか。流れを大切にした演奏。不要な「タメ」は注意深く排し、楽章の最初から最後までを、大きなフレーズで歌いきるような「流麗」という言葉がぴったりとくる、そしてある意味「カラヤン美学」が透けて見えるような演奏。そうか、ブラ4のキーワードは、「美しき流れ」「旋律美」なのか・・・・と思ってたら、いきなり3楽章からマーラーが顔を出す。ええええええ?このスケルツォは、まるでブルレスケか、「煉獄」か?そして4楽章に至っては、仮面も衣装もかなぐり捨てたかのごとくに、まるでそれこそマーラーの9番・終楽章の冒頭のような慟哭でもって、パッサカリアの幕が切って落とされる。そしてそこからは、大きく揺れるテンポ・振幅の大きなダイナミクス・・・・グロテスクというまでではないが、世紀末的耽美一色に塗り込められた「後期ロマン派」音楽の濃密な時間。この曲が初演された後、シェーンベルクやウェーベルンが、夜の匂い漂う独特の音響色彩に満ちたパッサカリアを書くことになる、そのことの必然を思い知らされるような演奏。こんな4楽章が続くとは、だれが予想するだろう?」

確かにCDで聴いても、1楽章は意外なくらい「普通」の演奏。コーダのアッチェレランドも、もっとやっても良いくらいのもので、いわゆる「想定の範囲内」。でも、2楽章、中間部の最後、二つのコードとそのあとのティンパニの連打とともに畳みかけるくだり、相当に濃いテンションで、これをそんなでもない、と聴いていたぐすたふくん、一体何を聴いていたんだろう?「タメを排し」?どこがタメてないのよ、これの?てな感じです。いやいや、なかなか濃い2楽章ですよ、これ。

でもまあ、そのあとの3楽章の異様なテンションに比べれば、ってことなんでしょうかねえ。最初から最後まで、レッドゾーン振りきれみたいな演奏で、まるでショスタコみたい(前は、マーラーって書いてましたよね)。それからまた、続く4楽章のテンションも尋常でない。CD聴いてること、忘れちゃいますもん、引きずり込まれて。コーダで、休符のあと、ファーストヴァイオリンがこらえきれず、感極まったように突っ込むところなんて、ゾクゾクっときます。やっぱり、このチクルスの中で、ひとつ選べ、と言われたら、この4楽章を選ぶなあ。ブラボーも一番よく入ってます。

でも、全体を聴き終わって思うのは、どれをとっても、少々の傷はあっても気にならない、緊張感がひと時も途切れることのない(内的にピンと張りつめた!!)、非常に良い演奏だ、ということです。CDとしての完成度も、上々と聴きましたが、如何か? 大植さん、ベートーヴェンにはオーケーを出さずに、ブラームスにはオーケーを出した、その気持ちわかるなあ。その意味では、今年のチャイコフスキーは、4番が一番良かったが、5番は大きなミスがあり、6番はもっと行けたはず・・・きっと録音してたとしても、オーケーは出さなかったかもしれないなあ、なんて思いました。
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コメント


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人間の感性の曖昧さ

こんばんは。

ぐすたふさんが実演を聴かれた感想と、CDで聴き直したものとの印象の不一致を興味深く読ませで頂きました。人間の感性なんてそんなものだと思います。当てにはならない。

よく、ぐすたふさんは大フィル定期1日目と2日目の演奏を連続して聴かれて、2日目の方が良かったと書かれますが、僕は「本当だろうか?」と常々疑問に感じています。それは単に前日聴いたから音楽の理解度が深まり、より良く聴こえたという「錯覚」なのではないだろうかと。

もし録音をブラインドで聴いたとして、本当に1日目と2日目を区別出来るのでしょうか?実際には大した違いはないのではないでしょうか?

まぁ、実証出来ないことなので、これは「答えのない質問」ですね。

雅哉 | URL | 2011-11-04(Fri)00:45 [編集]


Re: 人間の感性の曖昧さ

雅哉さん、おはようございます。

> よく、ぐすたふさんは大フィル定期1日目と2日目の演奏を連続して聴かれて、2日目の方が良かったと書かれますが、僕は「本当だろうか?」と常々疑問に感じています。それは単に前日聴いたから音楽の理解度が深まり、より良く聴こえたという「錯覚」なのではないだろうかと。

そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。席も違いますし、客席の入りも違いますし、雰囲気も違いますし、拍手も違いますし(笑)ただ、1日目と2日目が違う、ということだけは確かだと思います。

それは、物理的なものではないかもしれませんけれども。

ぐすたふ369 | URL | 2011-11-04(Fri)07:07 [編集]


Re: 人間の感性の曖昧さ

例えば同じ映画を観た時も、1回目は退屈だと思っていたのに、2回目で作品への理解が深まり「こんなに深い傑作だったのか!」と開眼して、全く別物に感じることがしばしばあります。「赤い靴」「アラビアのロレンス」「甘い生活」「8 1/2」等が僕にとってそんな映画です。

人間の心、感受性というのは計り知れないものだとつくづく思う今日この頃です。

雅哉 | URL | 2011-11-05(Sat)00:05 [編集]


Re: Re: 人間の感性の曖昧さ

> 例えば同じ映画を観た時も、1回目は退屈だと思っていたのに、2回目で作品への理解が深まり「こんなに深い傑作だったのか!」と開眼して、全く別物に感じることがしばしばあります。「赤い靴」「アラビアのロレンス」「甘い生活」「8 1/2」等が僕にとってそんな映画です。

逆もありますよね、最初見たときには感動したのに、二回目みるとあざとさばかりが目についてがっかりする、ということも。私にとっては、「小さな恋のメロディ」と「卒業」が二大がっかり、であります。

まあ、でも、「自分がどう感じたか」それは自分にしかわからないわけで、それはそれで真実であるわけで・・・・私はそのひとつひとつを大切にしたいなあ、と思っています。

ぐすたふ369 | URL | 2011-11-05(Sat)00:19 [編集]


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