不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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僕にとっての、チャイ5

明日、大植英次のチャイ5があります。ブログによれば、ぐすたふくんの予想どうり、チャイ4以上の入りの模様。補助席完売の祝祭的演奏会なりそうな予感。

で、今いろいろとチャイ5を聴き比べているのだけれど・・・ムラヴィンスキー・レニングラードフィル、カラヤン・ベルリンフィル、デュトワ・モントリオール響、チェリビダッケ・ミュンヘンフィル、マタチッチ・ザグレブフィル・・・・

でも僕にとって、最高・無二の演奏は・・・

1980年4月の京都、R高校交響楽団の演奏。これを超える演奏は、空前にして絶後・・・・だと思う。少なくとも僕にとっては。

僕は、その時、客席でその演奏を聴いていた。本当なら、僕はこの曲を舞台で、一番客席に近いファーストヴァイオリンのアウトサイドで弾いているはずだった。

僕の高校のオーケストラが、チャイコフスキーの交響曲を取り上げるなんて、それこそ「空前にして絶後」のことだった。だからこそ僕たちは、いつもなら夏休みが終わってから取り組み始めるはずの春の演奏会のための曲目、この曲だけはそれこそ特別に夏休み前から取り組み始めていたのだった。

その前年にこの曲を定期演奏会にのせていた京大オケから、先輩のコネをつかって楽譜とパート譜を取り寄せ、それこそこかしこに書き込みのある楽譜を穴のあくほど僕は読んだ。4楽章のコーダ、「まだ後がある!!熱くならない!!余力を残して!!」の書き込みには、共感を禁じ得なかった思い出がある。

夏の合宿、志賀高原ではそれこそ、必死になってこの曲をさらった。なんて難しい曲なんだろう、と思った。それこそ、山のように、克服しなければならない音があった。でも、それを遥かに凌駕する美しさがそこにあった。オケの響きの中に自分の音が溶けて行くたび、胸が震えた。

僕はこの曲とどこまでも付き合いたかった・・・・友とともに、春の演奏会の最後の瞬間まで。それに値する曲だった。そして、僕も最大の力をそこに注いだ。

でも、僕は途中で降りた。否、両親によって無理やり僕はそこから降ろされてしまった。それは、結局のところ、自分の至らなさに起因することだったかもしれない。でも、僕は、両親を恨んだ。両親は知らなかったかもしれない。その時、僕は両親に殺意さえ抱いたのだ。

僕は、僕の人生の最大の後悔を挙げろと言われたら、今でもこのことを挙げる。このとき僕は、自分の全てをなげうって、この曲にしがみついていればよかったのだ。そうすれば、僕の人生は、もしかしたら全く違ったものになっていたかもしれない。少なくとも、このことを悔い続け、その呪縛にしばられたものにはならなかったはずだ。

演奏会、2楽章の旋律が全弦楽器のTuttiで万感の想いをもって奏でられるとき、僕は客席で号泣していた。これ以上美しい音楽がこの世にあるだろうか・・・そして、4楽章のコーダ直前のアッチェレランド、友が全員指揮台に向かって前のめりになって、それこそ一つの炎と化していく音の凄まじさ・・・これ以上の音楽を、僕は、おそらく今に至っても、知らない。

最後の年に、この曲の、それこそ記念碑的演奏会に立ち会うことができるのも、何かの縁、なのでしょう。

願わくば、明日の演奏によって、僕が魂が救われんことを。

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