不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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豊穣の音楽とは、この音をいうのだろう・・・京響定期

広上・京響、これまで聴いた中で、今日のラフ2がベスト。

京都 京都コンサートホール
京響第546回定期演奏会
広上淳一指揮 京都市交響楽団
ヴァイオリン独奏 ゲザ・ホッス=ゴレツキ
尾高惇忠:オーケストラのための「肖像」
グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲イ短調作品82
ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調作品27

前半2曲については、あまり語るべきものはないので、割愛してもいいかしら?というより、今日のラフ2の印象が強すぎて、終わってしまえば、帰宅して今に至るまでそのことばかりを反芻しているというありさまだから。

ただ、グラズノフを弾いてくれた若いヴァオリニストについてだけ一言。席が一階席後方だったので、遠目にその姿佇まいを拝見したのだが、まあ、戦前のモノクロ写真に写った名ヴァイオリニスト、そのまんま!!奏でられる音もまた、正統的というか、その頃の巨匠然とした音のそれで、まるでハイフェッツか誰かが蘇って目の前に立って弾いてくれてるが如し。ただ、残念ながら調子が上がらなかったのか、そこそこミスがあってそれが残念。ホントはもっと巧いんだろうと思っていたら、アンコールにパガニーニのカプリスの即興演奏をハイパー超絶技巧で、どないや!ってな感じで弾き散らかしたのには度肝を抜かれました。ジプシーの血を引くとのことだが、昨日のピアニスト同様、こういうバックグラウンドならではの演奏者と演奏というものが存在することを、やはりまざまざと思わされます。

さて、ラフ2です。

どう書いていけばいいのだろう、と逡巡している自分がいる。こういう書き出しになる・・・・このブログを読んでくださっている長いおつきあいのかたなら、僕がこういう書き方をするとき、それは相当の感銘と思いがそこにあるんだ、ということはわかってもらえると思います。

これまで僕が京響を聴くとき、その演奏に感心することがあったとするなら、それはブラスのパワーであり、木管の名技性であり、サウンドのゴージャスさであったんじゃないかなあ、と思うんですよね。でも、今回のラフ2には、それは当てはまらないです。たしかに、ペットとホルンのここぞというところの安定感と響き、そして小谷口さんのクラリネットの奏でる陰影、これらが特筆すべきものだったとしても。

加えて、全体としての演奏自体、ほとんどミスや破綻というものが感じられない、立派なものであったことは言うまでもない。でも、そんなことに価値をおいて言っているわけでもないんです。

あえてそれを言葉にするなら・・・・広上さんの棒が導くフレージングと呼吸の自在さ、そしてその中から馥郁として香り始める響きの多様な質感、だということになるのかもしれない。ヴァイオリンの音は相も変わらず量感に不足している。でも、それがオケサウンドの中でこのオケ特有の質感を醸し出す時、その響きはえもいわれぬ幸福な時間をもたらしてくれる。

それが最も顕著だったのは、実は3楽章だったと思う。というより、明らかに今日のラフ2のクライマックスはこの楽章にあったんじゃなかろうか。ここまでの音を、僕は京響の弦から聴いたことがあったろうか? 

というより、これまでの京響の弦、大きな音を出そう、出そうと力を込めれば込めるほど、逆にその響きは硬くなり、拡がりを欠き、結局鳴らなくなってしまう・・・そんな場面に遭遇することの方がずっとずっと多かったのだけれど、今日はどこまでも音が「膨らんでいく」。そして、その先には、至福といっていい音が、それこそ天井から降り注ぐが如くで・・・・

ただただ「豊穣」という他のない音に身をゆだねることのできた、幸福極まりない時間であったと思います。1時間なんてあっという間。どこが長くて退屈な曲ですか、この曲が!!

終演後の拍手もすごかったなあ・・・・ほぼ満員御礼の客席の熱狂、広上さんが立たせようとしても容易に立とうとしない楽員たちの拍手の嵐。これは、僕がかつて大植・大フィルで見たものと同じ。

今、広上・京響は豊かな実りを迎えようとしているのかもしれないですね。
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