不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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ドッペルもあんまり持ってないんですよね。

4番を聴き直したら、やっぱしドッペルも聴き直さないと気が済まないですよね(笑)。でも、ぐすたふくん、やっぱり、ブラームスってあんまり持ってないんやなあと、改めて思いました。うちにあるのは、3枚。

オイストラフ・ロストロポーヴィチ セル指揮クリーブランド管
メニューイン・ヨーヨーマ アバド指揮シカゴ響
クレーメル・ハーゲン アーノンクール指揮コンセルトヘボウ管

聴いてみて、この曲の録音、やっぱりソリスト二人と指揮者の力関係がキャラクターを決めるような気がするなあ。この中では、やはりオイストラフ・ロストロの尋常でない絡みが、まあ凄い迫力(この中にこの間の大フィルのライブに通じるものを感じたのは、僕だけかしら?)。セル・クリーブランドの付けも尋常でなく、まあ凄い演奏ですな。これが普通だと思ってしまうと、他の演奏なんてつまらなくて聴けなくなっちゃうんじゃないかなあ。これは「特別」だって思わないと。

それに比べれば、クレーメル・ハーゲン・アーノンクールの方は、極めて「冷静」かつ「モダンな」演奏だということがわかる。これは、この演奏だけ聴いているとわからないことじゃないかなあ。「冷たく熱い」んですよね。余計に熱くないというか。録音も良いし、響きも良い。安心して身をゆだねられる、という感触がある。これも魅力ではあるのだが、逆に、こちらを良しとしてしまうと、オイストラフ・ロストロ・セルがとても暑苦しくて聴いてられない、ということになりかねない。面白いもんです。

この二つに比べると、メニューイン・ヨーヨーマの方は、この時のヨーヨーマの飛ぶ鳥を落とさんばかりの勢いに沈まんとする太陽が必死に対抗する様が異様に悲しい。ヨーヨーマの流麗極まりないチェロを聴くため演奏だが、これをブラームスとするか、と問われると、ううむと思ってしまうなあ。アバドのシカゴの振り方も、ちょっと流し過ぎな気がする。

こうして見ると、竹澤・ゲリンガス・大植の演奏が、いかに「19世紀的」に濃厚であったかが、さらに感じられるわけでありまする。
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