不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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今年最初で最後の外来オケコンサート・・・パリ管京都公演

こんなに巧いオケだとは・・・

京都 京都コンサートホール
富士電機スーパーコンサート
パリ管弦楽団日本ツアー2011
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 パリ管弦楽団
ピアノ独奏 ダヴィッド・フレイ
メシアン:忘れられた捧げもの
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
ベルリオーズ:幻想交響曲
(アンコール)
ビゼー:アルルの女から「ファランドール」
シベリウス:悲しきワルツ

振り返ってみれば、今年は一度も外来オケのコンサートに行ってなかったんですね。これも、震災の影響。よくパリ管、フルメンバーで来日してくれたもんです。

会場では、浅田彰氏とすれ違い、岡田暁生氏とロビーで鉢合わせと、京都在住の文化人がかなりご参集と見ました。今年関西に来てくれたオケでは、一番のビッグネームオケですもんね。

実のところ、この公演、今日の今日まで参加するのを躊躇していたんですよ。一つには、このごろの家庭の事情、そして僕の精神状態など、いろいろあって・・・でもまあ、行っておいでよ、とこすもすが言ってくれたんで。

率直に言って、びっくりしました。ここまで巧いオケだったとは。

フランスのオケを聴くのは、実は初めて。実際に聴いてみると、勝手に僕がイメージしていたラテン系の音(明るく軽い音)とは全く違います。ベース8本が強力に鳴る重厚な低音に支えられた、16系のストリングセクションは、むしろマッシブとも言っていい響き。しかし、一方でヴァイオリンセクションからは、骨太というよりむしろ柔らかく澄んだ音が聴こえ、このマッチングがやはりドイツ系のオケの音とは違うと思いました。でも何をおいても、このストリングセクション、上手いのなんの。

また、木管の巧さ、音色の美しさと言ったら、どう表現していいやら。特に、フルート。なんという艶やかな音!!この音、どんなにオケの響きが厚くなっても、明瞭に聴こえるんですよね。びっくりです。また、オーボエ、アングレのダブルリード陣の音色の美しさも、陶然とする、と表現するに躊躇ないです。

ブラスではペットが驚異的に上手い。ラヴェルの最初のソロを、軽々と吹きこなすのには、(期待していたとはいえ)流石としかいいようがありません。そんなもんで、ホルンやボーンやチューバは霞んでしまって、コメントできないんですけどね(笑)。

だから、全体としては、陳腐だけれど、「華麗にしてゴージャスなサウンド」と表現するの相応しいでしょう。曲目も、その魅力を存分に堪能させてくれるもの。

何をおいても、このヴィルトゥオーゾ・オケが、軽々と演奏してのけるラヴェルが今日の1番。ぐすたふくんがこれまで聴いた、この曲の演奏のベスト、です。逆に、ここまで完璧に演奏されてしまうと、え?これで終わっちゃうの、もっとやってよ、もっと!、と物足りなく思ってしまうほど。特に、3楽章、例の「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」が、各パートから明瞭に聴こえて、その絡みの面白さが浮き彫りになるあたりの見事さ。一方で、2楽章の木管の各ソロの筆舌に尽くしがたい美しさ(これが聴けただけでも、チケット代の元はとれます)。悪いけれど、ピアノが霞んでしまうほどで、ほとんどノーミスで弾ききったこのピアノソロが、オケ・サウンドの一つのピースにしかすぎなく思えてしまいました。

幻想は、オーソドックスなもので、ああこの音、ああこの音、とうなずきつつ、また見事な演奏だなあと感心して聴きつつ、でもまあ整った佳演ってところかいなあ、などと極道ぐすたふくんが斜めにかまえていたんですが・・・・5楽章になって魔女のロンドになった途端、いきなりベースがトップを初め全身でぐいぐいと突入を開始。おおおお、と思っているや、そこからオケ全体に火がつき、そこからはもう怒涛の音楽の嵐。弦セクションのトップから最後尾までが体を揺らしての熱演となり、まあ凄かったですねえ。ここまで巧いオケが、まさに一糸乱れず、前へ、前へと突き進む様の、なんと見事なこと。最後のコードが鳴り終わったとたん、思わずぐすたふくん、あきれるやらなんやらで大笑いしてました。会場はそれこそ、ブラボーの嵐、でしたね。

アンコールのファランドールも素敵だったし(あまりにオケが走ってしまって、ボーンが置いてきぼりになりかけたのはご愛敬)、シベリウスも普段聴けないような音(ホルンの響きが独特)も素敵でした。

長い長いカーテンコール、ヤルヴィ氏の合図でオケ全員がくるりとバルコニーに振り返って挨拶をしてくれたのも、高感度大。ここまでやってくれたのは、ここが初めてなような気がします。

パリ管、ありがとう。今の日本に来てくれたこと、心から感謝。

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神はさらに微笑む・・・大フィル定期二日目

今日もまた、至福の時間。

大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル第453回定期演奏会
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
テノール ジョン・ヴィラーズ
メゾソプラノ 小川明子
シューベルト:交響曲第5番変ロ長調D.485
マーラー:交響曲「大地の歌」

やはり何をおいても、「大地」の6楽章、それも最後の長い長い絶唱とそのあとの嘆息のおりなす、青く透明に浄化された時間の美しさ。

昨日もじんと胸に沁みたのだけれど、きょうはまた、そこに至るまでの歩みと、そして間の取り方がさらに深化したように思います。明らかに無音の時間が長くなった。昨日演奏自体が終わったのは僕の時計で9時5分前だったが、今日はほぼ9時。これはひとえに6楽章の演奏時間が長くなったことに起因するんじゃないかしら。

実のことを言ってしまえば、小川さんの声は2曲目の出だしを聴いたときに、どうしても「女声」でありすぎる、と僕には聴こえてしまい、ああこれがシュツットマンだったら、と思っていた(昨日は)のは事実です。特に、前半においてはヴィラーズ氏が絶好調(今日の1楽章もまあ、パワー全開でしたねえ)で、このパワーと表現力に拮抗するには、前半ではつらい(これは曲調のせいも、多分にあるのだが)。ただ、今日は、小川さん、2曲目に於いても昨日以上の存在感を放っていて、ああ、これはやはり昨日の6楽章の演奏が今日へとつながっているのだなあ、と思わされましたね。

昨日は、2曲目を聴いたあと、シュツットマンの声のことを遠くに懐かしんでいたりしたのだけれど、今日はもう、そんなことは飛んでしまって、ただただこのメンバーでの色彩感あふれる「大地」をまた今日も愉しませてもらえるのだなあ、と思いつつ、座席に身をゆだねていました。時が過ぎるのを忘れる、とはこのこと。この時間に身を置けることの、何と幸せなことか。

ただ、少々意地の悪いことも言うと、3楽章から5楽章のアンサンブルやオケと歌との絡みが、もうちょっと上手くいってほしいなあ、と思ったのは事実です。ちょっとぎくしゃく感が漂う、んですよね。加えて、あれほど地響きを立てて地の底から屹立してきたテノールが、あの5楽章でちょん、かよ、と。でもまあ、多分にこれも曲のせいがあるし、この後に6楽章の名演が聴ける、と今日はわかって座っているからそう思うのかもしれませぬが。

演奏終了時、昨日以上の名演に、今日の会場のスタンディングは、当然昨日以上。いや、もっと立っても良かったと思うなあ。全員総立ち、になっても良いくらいと思ったんですけどね(昨日思わず立ち上がったぐすたふくんは、今日は自重させていただきましたが(笑))。

この大地を二夜連続して聴けることの、何という贅沢なことだろう!!!

愛する音たちは ここ大阪の地で
素晴らしき人により 花咲き、緑に萌える!
どこまでもどこまでも、永遠に永遠に、青く輝く
永遠に 、永遠に
永遠に、永遠に


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アクシデントが起こした奇跡、ふたたび・・・・大フィル定期

複雑な思いを抱きながら参加した演奏会、結果は・・・

大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル第453回定期演奏会
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
テノール ジョン・ヴィラーズ
メゾソプラノ 小川明子
シューベルト:交響曲第5番変ロ長調D.485
マーラー:交響曲「大地の歌」

本来、メゾソプラノを歌うはずのナタリー・シュツットマンが体調不良で降板・・・はっきり言いましょう、ぐすたふくん、申し訳ないが「体調不良」がどのような体調不良なのか、察しはつきます。

本来なら、大植さんが最後の年に「大地の歌」をどのような思いで持ってきたか、そして、そのためにナタリー・シュツットマンにどうしてもやってほしかったか、そのことは痛いほどわかる。そして、それが叶わなかったとき、もしそれが僕なら、やり場のない思いにやりきれない気持ちになるだろう。

そんな代役を引き受けるということが、どれほど「重い」ことであったか・・・そして、今回代役を引き受けられた小川さんが、あだやおろそかな気持ちで引き受けたのではない、そしてそれを今回全うされたことに、まず、ぐすたふくんは心からの敬意を表したいです。

結論から言いましょう。今日の演奏会は、6楽章、それも最後の最後に奇跡が起きた。

Die liebe Erde alluberall
Bluet auf im Lenz und Gruent aufs neu!
Allueberall und ewig blauen licht die Fernen,
Ewig...Ewig!

愛する大地は 至る所で
春来りなば花咲き、新緑に萌える!
どこまでもどこまでも、永遠に永遠に、青く輝く
永遠に 、永遠に
永遠に、永遠に



アクシデントが起こした非常事態、想定外の状況での演奏会の本番。本当なら暗譜で望んでもおかしくない大植さんは、スコアを目の前に置き、6楽章はそれこそ逐一ページをめくりながらの指揮。いくらレパートリーとはいえ、ほんの数日前に振ってわいた仕事、そこからまさに突貫工事のようにさらった歌。しかも、6楽章はほとんど30分間の孤立無援・・

・・・この状況は、まさに数年前のブラ4に匹敵するとしても過言ではない状況、でなかったか。

でも、そこにしか舞い降りることのない音楽の神も、また居る。

今日の演奏会、あの時大植さんの居ない指揮台の上におりたった神が、ふたたび小川さんの肩に両手を置いたのを見たような気がしました。

また明日聴きに行きます。今日はこのくらいで。

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りんりんと吉野に行く

りんりんと吉野に行ってきました。

京都駅から、橿原神宮で特急を乗り継いで、1時間半くらいでつきます。近いようで遠いところ。

娘は、近鉄特急に乗れて、駅弁を食べられてご満悦。そんな様子を見つつ、僕は遠い記憶をたどっていました。

12歳と13歳の時、二回僕はここを訪れた。

あのころ、僕はまだ何も知らず、親の言う通りにしていさえすればいいと思っていた。

ロープウェイを降りた吉野山は、時間が35年間止まっていました。山の中に、僕の時間もまたひっそりと眠っていたのでしょう。

さようなら、僕の少年から青年へと変貌する時代の記憶。

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これぞ、文化祭・・・国民文化祭オペラ 魔笛

不思議な縁と、そして出会いと再会と。

京都 こども文化会館エンゼルハウス大ホール
第26回国民文化祭京都2011 まゆまろチャレンジ京都文化力発信事業
NPO法人オペラプラザ京都第9回公演
モーツァルト;オペラ「魔笛」

もうほんとに、山のような人たちが関わった「文化祭」の香り満載、アマチュアリズム満載の公演でした。

歌手の人たちはプロからセミプロからアマチュアまで多種多様。いや、その頑張りには脱帽。そしてなによりオケが僕の母校高校オケ!!この公演、3公演あるのだけれど、そのそれぞれに違う高校のオケがやる、というのがなんともチャレンジングな企画なんですよ。

大体、オペラの伴奏を、普通高校のクラブ活動のオケがやるなんて、まあ前代未聞。しかも、3時間近くかかる「魔笛」、も一つ言うなら、高校オケでは滅多に取り上げないモーツァルト!!!よくまあ、この企画を、うちの高校のオケが受けたもんだ。

で、どんなもんかいなあと不安半分で望んだのだが・・・・まあ、びっくり。やるじゃあないの、凄いなああ。ヴァイオリンを始めとして弦がそれなりの音をきかせるんですよ、御見それいたしました。ペットとホルンとティンパニもメリハリがあって、上手かったねえ。正直びっくりです。こんなに長い時間演奏することなんて、おそらくは彼らにとっても、そしてうちの高校オケの歴史にとっても、空前絶後でありましょう。

実は、この公演、なんで行くことになったかというと・・・・りんりんの声楽の先生が、歌手の一人で出演してるからなんですよ。りんりんからその話を聴いたとき、一も二もなく、家族で一緒に聴きに行こう!!と叫んでましたね。

縁、とは不思議なものです。りんりんが声楽を習わなければ、そして習った先生がこの人でなければ、僕はここに居ることはなかっただろう。

オケピットにずらりと並ぶ、僕の母校の制服を着た高校生たち。僕も、あの制服を来て、あの群れの中に居たことがあったんだよね。休憩時間には、「なんやお前!」・・・いやいや、なんやじゃないですよ、Ogi先生、End先生、そしてAna校長先生。娘が声楽をやっててですね・・・・・僕はすっかり禿げたオヤジになっちゃったですけれど。

オペラの中、そしてカーテンコールで、会場みんなで歌いました。

「綺麗な 音だ、何だろ これは
ラララーララ、ラーラララ、ラーラーララー
絶えて 聴いた 事も ない
ラララーララ、ラーラララ、ラーラーララー」

ふっと横を見る。りんりんの歌声と、そしてその笑顔がまぶしい。今、君が光のまっただ中にいるんだね。かつて、僕もその光の中にいたように。

終演後、ロビーで衣装のままのりんりんの先生と握手・・・「ご出身なんですってね!上手かったですよ、一回も止まらなくって!」いやいや、そのお言葉、私でなく彼らに言ってやってください。これだけのことを、高校生活を送りながら成し遂げた彼らに。それがどれほど大変だったか、僕には身に沁みるように分かりますから。

みなさん、お疲れさまでした。そして、成功、おめでとうございます。かけがえのない時間、かけがえのない人生。音楽が皆さんとともにありますように。

そして、行きましょう、音楽の平和のうちに。

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大植・大フィルのブラームスチクルスのCDを聴く

昨日が発売日のこのCD、ぐすたふくん、演奏会場で買ってきました(^^)

さて、このシリーズを聴いたとき、ぐすたふくんがなんて書いていたのかを振り返りながら、今一度このCDを聴いてみることにいたしましょう(何をやっとるんや)

1番については、こんな風に書いてました

「1番のシンフォニーは、一言で言うなら「ダイナミックさにはあえて寄りかかることを避け」「歌を歌いきることに専念した」「深々とした色あいと、馥郁とした香りに満ちた」名品であった、と思います。(中略)それは例えば、1楽章の提示部で突如として落ちるテンポであるとか(提示部の反復を今日は省略していたのも、ここら辺をじっくりやるので、繰り返した時冗長となる、と思ったんでしょう)、3楽章の遅めテンポであるとか、4楽章の第1主題を最後までインテンポで歌ってアッチェレランドせずに突如アレグロの経過部に突入するとか、コーダのまえもアッチェレランドをほとんどせず、突然2倍のテンポのコーダが出現するとか、そういうところに顕著に表れていたように思う。だから、派手な演奏ではなかったです。でも、多分、これが大植さんの結論なんだろう、という気がしました。」

今聴いてみると、「極めて真っ当な」演奏ですね。大植英次と言われなければ、気が付かないくらい。オケも上手く聴こえる(大フィル、ごめんなさい(笑))。立派な演奏です。1970年代のヨーロッパのどこかの放送交響楽団の演奏と言われてもなんら違和感がない。これは、どこへ出しても恥ずかしくないと思いました。ただ、難を言えば、やっぱりライブで聴いたときにも書いた「4楽章の第1主題を最後までインテンポで歌ってアッチェレランドせずに」と「コーダのまえもアッチェレランドをほとんどせず、突然2倍のテンポのコーダが出現」のくだりで、ここは自然なテンポアップに任せた方が良かったんじゃないかなあ。これに代表されるように、4楽章が全体に重すぎるきらいがあって、ここは好き嫌いが分かれるところでしょう。でも、再現部の途中、拍節の頭を外した弦のパッセージが連続した後で、第1主題の動機に突入するところでの、大植さんの大きなブレスが唸り声とともに聴こえるあたり、いかにもライブ、であります。ブラボーも凄い(笑)。

次、2番。

「機首をあげよ、加速せよ、我に続け・・・(中略)・・2番は、前回の1番の延長線上にあり、大植さんの今回のチクルスを貫くパースペクティブ、いささかもぶれがない、ということを感じさせるに十分なもの・・(中略)・・2番、予想以上に速いテンポ。だから、今日は、1楽章提示部の繰り返しがありました。だから、1楽章は存外にあっさりとした、その一方で馥郁とした夏の花の香りをたたえたような、さわやかなもの。これで、コンチェルトの余韻や後味は、すうううっと僕の中から消えていく。そしてそのあとに奏でられる2楽章が、今日の1番。これは、最初から最後まで途切れることのない、長い長いながーい歌、唱、謡。大植英次の棒は、まるで一息でこれを歌いきるかのように音楽を紡ぎ、切れることのない滔々とした流れを創っていく・・・ぐっと胸にきましたねえ。この楽章が終わった時、会場から小さな拍手が飛んだが、気持ち分かったなあ。そう、拍手に値する音楽。・・(中略)・・一方、4楽章。初年度のあちゃちゃあを知っているものとしては、よくぞここまで、と涙をこぼしたくなるほど。良く練習されてましたねえ・・(中略)・・大植さん、この楽章はかなりテンポを揺らすんですよ。このアゴーギグに十分対応し、そしてここを外したら終わりや、という数か所のクリティカルポイントもなんとかクリアした、今日の大フィルはエライ・・(中略)・・突入したコーダ、最後のアクセルも綺麗に決まって、朝比奈御大が「終わりよければすべてよし」と言った最後のニ長調の和音、それがひときわ壮麗にシンフォニーを揺らした後の、地鳴りのような拍手・拍手・拍手。この拍手、最後の最後、団員が帰りかけるまでボリュームが落ちない!!久しぶりじゃないかなあ、ここまでの拍手を聴いたのは」

長い記事だなあ(笑)。いかにこのとき、ぐすたふくんが興奮していたかがわかろうというもの。でも、今聴いてみると・・・1楽章、どこが早いテンポやねん!!!めっちゃ遅いじゃないですか。よっぽど、その前のVnコンが濃い演奏だったんだろうなあ、これで早く聴こえたんだから。これで提示部繰り返されると、CDで聴くとなるとちょっとしんどいですね。ここでも、大フィル、上手く聴こえます。この録音、優秀ですねえ(なんちゅうことを・・・大フィルさん、ごめんなさい)。でも、この1楽章でなんと22分。あとの3つをたしても、28分なので、半分くらいこの1楽章を聴いてたことになるんですよ。この演奏、あっさりだ、と聴いていたとは・・・人間の感覚っていうのは不思議なもんです。上にも書いてるけれど、1楽章の長さに辟易さえしなければ、2楽章はなかなかの聴きもの。このいつ果てるともしれないアダージョ、これをこの緊張感で演奏した大フィルはエライ(ところどころアンサンブルがほころんでいても、このテンションのせいできになりませんもの)。頑張ったなあ。ただ、1楽章との間にあまりにコントラストがないので、続けて聴くとなると、CDではくどく思えるのも事実かもしれない。3楽章についてのコメントが無かったのもうなずける。特徴ないもん。4楽章は、上では凄いアクセルがかかったようなことを書いているけれどCDできくと、全然そんなことはなくって、むしろずっと整理されて綺麗に鳴っている演奏に聴こえる。確かに最後の最後のコードは本当に綺麗に鳴っていて、これに感動したとは、よっぽど「あちゃちゃあ」定期のトラウマがぐすたふくん、深かったんでしょうな(笑)。

さて、問題のブラ3.

「これをして、大植英次を「策士」と呼ぶのが正しいのか、「山師」と呼ぶのが正しいのか・・・(中略)・・さて、コンチェルトが終わりました。ブラ3です。ぐすたふくん、この前の定期の、あの、重い重いブラ3を聴いてますね。コンチェルトが、こういう演奏でした。予想しますね。予想しますよね。こんなんになるかな、あんなんになるかな。さああ、どんなブラ3が来るのか・・・・身構えていましたね。すると・・するとですね・・まさかこんな演奏が待っていようとは。例えて言うなら、「外角低めに重いストレートが来ると思ってバッターボックスに立っていたら、いきなりど真ん中にフォークボールが来て、空振り三振」、って感じでしょうか。だってだって・・・だれがこんな速いブラ3が来ると思います?思っていた人います?予想が当たった、っていう人があったら手を挙げて下さい。いないですよね?・・・・・いきなり大植さん、煽る煽る、大フィル走る走る。そうかと思ったら、止まる止まる・・・え?は?へえ?てな感じであります。そうかと思うと、1楽章から4楽章までほとんどアタッカ。2楽章と3楽章は比較的落ち着いていたものの、4楽章になったら再び突撃!の進軍ラッパ。大フィル大変。だって、この4楽章、それでなくてもパート間のリズムの絡みが複雑で演奏至難の難曲(だから、アマチュアは滅多なことでは手がでない)、このテンポで押し切るのは、ある意味スリリングの極み。結論から言ってしまうと・・・ぐすたふくんの率直な感想としては、この行き方、ちょっと大フィルには荷が重かったのではなかろうか。オケの鳴りが悪く、前半のコンチェルトと比較すれば、明らかに音楽が腰高で安定に欠ける。別に早くても音楽が地に足を付けていれば、それはそれでかっと胸を熱くさせるところまでいくのだが、残念ながらそこまでは至らなかったですね・・・・ただしかし、この極端な差は一体何なのだろう?そして、大植英次は、どうしてここでこんなブラ3を持ってきたのか。・・・・好意的に解釈すれば、「大植英次のブラームス」はマンネリズムとは無縁なのだよ、という主張なのだろうか?確かに、朝比奈御大もそうだったかもしれない。同じ曲をやっても、出来不出来は極端、同じ演奏などありえない。だから、CDもいろんなテイク、いろんなオケ相手のヴァージョンが次から次から出てくる。大植英次も、そうだ、ということなのだろうか?」

これも長い記事だなああ・・・・この時も、よっぽど興奮してたんでしょうねえ。でも、CDを聴いてみると、そこまで早いか?普通のテンポじゃん・・・ところが、コーダに入ると急にアクセルが入る!!なるほど、このことを言っていたのかと合点した次第。この演奏、ところどころで急にアクセルが入るんですよ。でも、ベースのテンポは決して速いわけではなく、むしろ遅め。中間の2楽章、3楽章など、先に書いた1番や2番で見られたのと同様のゆったりしたテンポだし、4楽章だって、トータルの演奏時間は9分分41秒と、ぐすたふくんの持っている他のCDと比較しても(カラヤン8分35秒、ドホナーニ8分43秒、小澤征爾9分35秒、チェリビダッケ9分52秒)とチェリに次いで長い。これはいかなることかと思って聴いていると、やはり4楽章の主部アレグロが、ドホナーニばりの怒涛のアレグロと、バーンスタインばりの粘っこいコラールの交代でできているからで、なるほどこれが僕をして上のように思わせたか、と大きくうなずいたのでありました。おそらく上のような感想、その前に重い重いブラ3を定期で聴いていたからこそと思われ、それが無ければここまでは驚かなかったかもしれませぬ。それにしても、この怒涛のアレグロと重いコラールの交代に、必死で食らいついて行く大フィル、立派(いや、正直上手い、ですよ)。

さて、大トリ、4番に行きましょうか。

「このチクルスの中では、一番印象深い演奏会だったです・・(中略)・・以前の記事でも、予想を裏切られっぱなしの今回のチクルスでのシンフォニーパートですが・・・・今回も、前半二楽章と後半二楽章でこうも変わるとは。だって、前半の二楽章を聴いてたら、このままで行くと思うじゃないですか。流れを大切にした演奏。不要な「タメ」は注意深く排し、楽章の最初から最後までを、大きなフレーズで歌いきるような「流麗」という言葉がぴったりとくる、そしてある意味「カラヤン美学」が透けて見えるような演奏。そうか、ブラ4のキーワードは、「美しき流れ」「旋律美」なのか・・・・と思ってたら、いきなり3楽章からマーラーが顔を出す。ええええええ?このスケルツォは、まるでブルレスケか、「煉獄」か?そして4楽章に至っては、仮面も衣装もかなぐり捨てたかのごとくに、まるでそれこそマーラーの9番・終楽章の冒頭のような慟哭でもって、パッサカリアの幕が切って落とされる。そしてそこからは、大きく揺れるテンポ・振幅の大きなダイナミクス・・・・グロテスクというまでではないが、世紀末的耽美一色に塗り込められた「後期ロマン派」音楽の濃密な時間。この曲が初演された後、シェーンベルクやウェーベルンが、夜の匂い漂う独特の音響色彩に満ちたパッサカリアを書くことになる、そのことの必然を思い知らされるような演奏。こんな4楽章が続くとは、だれが予想するだろう?」

確かにCDで聴いても、1楽章は意外なくらい「普通」の演奏。コーダのアッチェレランドも、もっとやっても良いくらいのもので、いわゆる「想定の範囲内」。でも、2楽章、中間部の最後、二つのコードとそのあとのティンパニの連打とともに畳みかけるくだり、相当に濃いテンションで、これをそんなでもない、と聴いていたぐすたふくん、一体何を聴いていたんだろう?「タメを排し」?どこがタメてないのよ、これの?てな感じです。いやいや、なかなか濃い2楽章ですよ、これ。

でもまあ、そのあとの3楽章の異様なテンションに比べれば、ってことなんでしょうかねえ。最初から最後まで、レッドゾーン振りきれみたいな演奏で、まるでショスタコみたい(前は、マーラーって書いてましたよね)。それからまた、続く4楽章のテンションも尋常でない。CD聴いてること、忘れちゃいますもん、引きずり込まれて。コーダで、休符のあと、ファーストヴァイオリンがこらえきれず、感極まったように突っ込むところなんて、ゾクゾクっときます。やっぱり、このチクルスの中で、ひとつ選べ、と言われたら、この4楽章を選ぶなあ。ブラボーも一番よく入ってます。

でも、全体を聴き終わって思うのは、どれをとっても、少々の傷はあっても気にならない、緊張感がひと時も途切れることのない(内的にピンと張りつめた!!)、非常に良い演奏だ、ということです。CDとしての完成度も、上々と聴きましたが、如何か? 大植さん、ベートーヴェンにはオーケーを出さずに、ブラームスにはオーケーを出した、その気持ちわかるなあ。その意味では、今年のチャイコフスキーは、4番が一番良かったが、5番は大きなミスがあり、6番はもっと行けたはず・・・きっと録音してたとしても、オーケーは出さなかったかもしれないなあ、なんて思いました。

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やはり、なにわのストコフスキー、と言わせてくださいませ・・・大フィルチャイコフスキーセレクションNo.3

大植さんは、こう言われるのを嫌がるらしいけれど(笑)

大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル チャイコフスキーセレクションNo.3
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
チェロ独奏 セルゲイ・アントノフ
チャイコフスキー:ミステリーピース第3弾
チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲イ長調作品33
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」作品74

ミステリーピースは、なんと交響曲第7番「人生」第1楽章!!なんかの演奏会序曲みたいな雰囲気で、妙に明るいなあと思って聴いていたのだが、まさかまさか。随分前に、大阪で西本智美さんがロシアのオケを振って演奏してた筈だが、それを聴いた人なら簡単に分かったかもしれないなあ。

今日は、終演後に解答の発表があって、正解者はなんとただ一人!!(この人は、3回連続正解のたった一人だそうな)。10g8万円のロシア産キャビアを大植さんから客席で手渡されてました。すごいなあ、結局、ぐすたふくんは3連敗(泣)。

で、あとの2曲なんだけれど・・・・結論から言うと、うーーん・・・・ちょっと期待が大きすぎたかも(笑)。

「悲愴」良かったと思いますよ。でも、ちょっと今日はストコフスキー、やりすぎだったかも。1楽章、本来ならすうううっと通すところも、ねっとりねとねととテンポを揺らすもんで、音楽の流れがせき止められてしまって、ちょっと息苦しかったり、あんまり気持ちがよくなかったり。確かに、激しい中間部の最後、低音ブラスの咆哮に至る前を細かく振って音楽を追い込んで行って、その頂点でエネルギーを解放するあたりのカタルシスなど、さすが大植英次、やりますなあ、と思ったところも少なくは無かったのだが、ちょっとね、という感じ。

そして、終楽章もまた、アンダンテでやります、とプログラムに書いていた割にはテンポは遅く、かといってアダージョでもなく、という微妙なテンポ設定の中、どうせここまで濃くやるのなら、いっそのことアンダンテになんかこだわらず、とことん遅くやった方がもっともっともっともっと感動的な精神の叫びが聴けたんじゃないか、と思ってしまったりなんかしたり・・・あああああああ、ごめんなさい、ごめんなさい、ここまでいい演奏を聴かせてもらったのに、こんなこと言ったりして、なんて嫌味なクラオタぐすたふくんなんでしょう!!

だから、実は中間の二つの楽章が魅力的だったです。大植さんの濃い味付けを施されたこの二つの楽章、聴いていてマーラーの響きが聴こえてくるような気がして・・・2楽章の5拍子のワルツには、復活の2楽章のエコーが聴こえるし、3楽章の怒涛の行進曲の狂ったような早いテンポは、まるでマラ9の3楽章のブルレスケ(クライマックの頂点で一瞬テンポを落とす、この抜群の演奏効果には度肝を抜かれました)。

終演後のトークの中、「’悲愴’は、’悲劇的’という意味ではなくて、そこに力強い生の肯定がある」というようなことを言っておられたが、マラ9の中に生の肯定を描いた大植さん、悲愴とマラ9に、共通するドラマツルギーを感じているのかなあ、とも思いました。でも、どう聴いても、悲愴の最終楽章には、あのマラ9に聴いたような生の光は見えなかったですけどね。

聴き終わった感想は、ええええええええ、これで終わるのおおおお。これで最後おおおおお・・・・・またもう一回やってほしいなあ・・・・そんなこと思うんだったら、京都公演の時だとか、大阪クラシックのときだとか、スマトラ地震チャリティーの時だとかに、ちゃんと聞きに行っておきなさいよ、って言われますねえ。こういう機会を全部逃したんで、大植さんの悲愴は今回がはじめてになっちゃったんですよね、ぐすたふくんは。

これらの、これまでの悲愴を聴いたことのある人の感想が知りたいなあ、と思いましたが・・・どなたか、コメントいただけませんかねえ。

さて、ロココの方ですが・・・・この曲、やっぱし、PコンやVnコンに比べると、魅力が2段ぐらい落ちますね。全体にのんべんだらりとして、曲としての面白みには欠けるから、勢い、その魅力はソロの名技性にほとんどかかってくる。その意味で、このシリーズの中では一番アントノフ君が大変だったと思うなあ。

で、非常に甘い美しい音が出せる人で、テクニックも最上級。ただ、欲を言うなら真面目に過ぎて、Vnコンをやったボリス・ベルキンのような、アグレッシブさがもっと前にでる局面もあったなら、もっと面白く飽きずに聴けたかもしれないなあ、とは思いました。でも、これも、よくまあそんなこと言うなあ、というようなもんですがね(笑)。アンコールでやった最終変奏が、テンポアップしたがために大フィルとやりあいになってて面白かったし、本チャンの演奏でもこんなところがあったらよかったなあと思ったりしてました(なんてこと言うんや)。

でも、大植さんも言ってたけど、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーと、ひとつひとつじゃなくって、全部やった、そのことが意義深いこと。ぐすたふくん、全部皆勤。そう、これも良い思い出、かけがえのない記憶。

大植さん、お疲れ様。どうも有難うございました。

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