不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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森悠子さま、御見それいたしました・・・国民文化祭オーケストラの祭典

いや、まさかここまで見事な演奏を聴かせてもらえるとは、正直思ってはいませんでした。

京都 長岡京記念文化会館
第25回国民文化祭・京都2011「オーケストラの祭典in長岡京」
第1部 大学のステージ
指揮 増井信貴
シベリウス:交響詩「フィンランディア」
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調作品92
第2部 一般のステージ(音楽監督 森悠子)
指揮 吉田誠
ドリーブ:バレエ組曲「シルヴィア」
指揮 中田延亮
フランク:交響曲二短調

今回のイヴェントのために編成された、オールアマチュアの二つのオケ。どんなもんかいなあ、と思いつつも、せっかくの機会、逃すのも勿体ないと思って軽い気持ちで参加したぐすたふくんだったのですが・・・・いやいや、正直驚きました。

第1部のフィンランディアからして、倍管の(ホルン9本、ペット7本、トロンボーン6本、チューバ2本!!!)ブラスがほおお、というくらいの綺麗なハーモニーを聴かせ、それまずびっくり。音の出だしが今一つそろわないところがあったことを除けば、14型の弦セクションもこの分厚い管に負けない音が出てたのも良かった。

ベー7も、なかなかの熱演で、こういうアマチュアの寄せ集めイヴェントオケにありがちな、イケイケだけの雑な演奏では無く、とにかく弦がしっかりと響きを作っていて、4楽章の昂揚など思わずぐっときました。ただ、ホルンはやっぱりこの曲難しいんやなあ、とは思いましたけれど。

この演奏だけでも終わっても良いくらいの立派なものだったが(ブラボーが飛んでました)、まさかこの後の一般社会人オケの方がさらに良いとは。

いきなりのシルヴィア、なんとまあ、真正の「オーケストラサウンド」が鳴る!!ここでも管は倍管、弦はなんと20型(20-18-14-14-9!!舞台からこぼれおちそう!)なのだけれど、この響きを聴いてしまうと、さっきの学生オケ(とはいっても、コアになっているのは市立芸大と同志社女子の、いわば’プロの卵’たちなんですよ)の響きが、実はそこはかとなく濁っていた、今一つ綺麗に鳴っていなかった、ことに気がつかされるといった具合。これがアマチュアか?と思わずプログラムを見直してしまうくらいの、豊かにかつ華麗に鳴るその音。これが、バレエ音楽にぴったり。ただ、弱音に鳴ると急速に弦セクションの音が痩せてしまうところがあって(特に第2曲目のワルツ)、その点残念だったけれど。でもまあ、1曲目と4曲目の祝祭感満載の音は、プロオケにも勝ると言っていいほどの、素晴らしい聴きもの。これは、管セクションのトップ奏者の優秀さによるところ大で、特に第1曲目の聴くからに難しそうな「狩り」のパッセージを、見事に吹ききったホルンセクションは賞賛されてしかるべきでしょう。

そして、森悠子氏が「イヴェントだからといって、派手なだけにならないよう」「結果として、地元アマチュアのレヴェル向上につなげたい」というたっての思いから選んだフランクは、まあよくぞここまで、というような立派極まりない演奏。

とにかく、弦がここまで鳴るか、というほど分厚い響きを聴かせるのには、舌を巻く。「厚いベースの上にピラミッド型に積み上がった」という表現があるけれど、まさにその通りの響きで、アマチュアでどうしても弱いチェロとヴィオラに全く弱さが感じられない。この参加メンバー、おそらくは京都のトップアマチュア、我こそはの腕っこきが集まってるんじゃなかろうか?実際、高校の先輩の顔がちらほら。でも、コンミスに座った森氏が、昨年6月から1年半かけてじっくりと練り上げてきた、ひとえにその成果なんだろうなあ、としみじみ。

指揮者がまた、入魂の指揮ぶりで、これも良かった。特に、3楽章の展開部の最後、3楽章主題を刻む弦の上に2楽章主題が壮麗に被さって鳴り響くあたりの流麗な音楽の流れの指揮ぶりなど、思わずゾクゾク。ここでのブラスがまた、上手いんだ。ペットがほぼ完璧。社会人なのに、一体いつ練習してるんだろう?

最後も、イヴェント打ち上げちゃんちゃん!!みたいな終わり方でなく、余裕をもって十分にホールを鳴らしきるような終わり方。そして、その響きが鳴り終わるのを十分にまって、ちゃんと拍手が入るのも良かった。立派な「演奏会」です。単なるイヴェントじゃあないです。

実は、ぐすたふくん、フランクのこの曲あんまり好きじゃないんですよね、渋すぎて、いまひとつ面白くなくって。でも、この曲の中に、ここまでの弦の響きの魅力があるということに、今日は本当に初めて気がつかされたような気がします。それはひとえに、ここまでの音を鳴らしてくれる弦があってのこと。

いやいや、森悠子氏おそるべし・・・・凄い人だなあ。でも、それに応えたアマチュア・メンバーに、心からの拍手を。

でもちょっと、嫉妬を感じる気持ちもあったりします(笑)。

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センチュリーの会員をついに止める

来年のセンチュリーのラインアップが届いた。そして、その内容を見た瞬間・・・

僕は定期会員を止めることを、最終的に決めた。

カルミナ・ブラーナ、ドヴォ4、ブラ3、ブル1、グレート、ショス10、ロメジュリ、火の鳥、ブル7なんて・・・

センチュリーで聴きたいと、誰が思うというのか!!・・・少なくとも、僕は全然思いません。京響や大フィルで聴きたいとは思いこそすれ。

唯一食指が動くとすれば、ドビュッシーの夜想曲全曲(シレーヌを含む、のがミソ)に、ベルクのヴァイオリン協奏曲とデュティユーの交響曲 第1番を合わせた、沼尻君の回くらい。

ソリストの名前で客を集めようとするのが見え見えの回がやたら目につくのも(パユのモーツァルト、神尾真由子のラロ、パスカル・ロジェのサンサーンス、小山実稚恵のラフマニノフ、今井信子のウォルトン)、なんとも悲しい。潰れかけたデパートが必死でバーゲンで客を集めようとしてるみたいで。

オケに共感できない定期会員なんて、続けてても意味ないです。

7年間温めたこの席から、僕は居なくなる。

さようなら、センチュリー。

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今季一番の掘り出し物・・・センチュリー定期

センチュリーって、なんでこんなにいい指揮者ばっかり引っ張ってこれるんだろうなあ。

大阪 ザ・シンフォニーホール
センチュリー第165回定期演奏会
ガエターノ・デスピノーザ指揮 日本センチュリー交響楽団
ピアノ独奏 小川典子
ドビュッシー:交響組曲「春」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537「戴冠式」
レスピーギ:交響詩「ローマの松」

実は、もともと行く予定の無かったコンサート。母親が行く予定が、急に旅行に行くことになって、僕にチケットが回ってきたのだが・・・だから、とっても掘り出し物感が満載。

最初の「春」からして、ほとんど斜めに構えていたぐすたふくん、この指揮者の非凡さに思わず身を起こしましたもの。いつも思うのだが、フランスものから香り立つような音を引き出すことのできる指揮者と出来ない指揮者がいる、という厳然とした事実があって、この指揮者は、それが出来るんですよね。何とも素敵な音。

そして、モーツァルトでは打って変わってバロックティンパニを効果的に使って引き締まった音像を聴かせ、ドビュッシーとの対照を見せるかと思えば、明瞭な響きの中に実は近親性があることも同時に聴かせて見せる。いやいや、大したもんです。ソロの小川嬢も、注意深く音価をそろえることで、モダンピアノからクラブサンのような音を心地よく響かせていて(これまでこの人から聴いてきたロマン派協奏曲とは明らかに一線を画する弾き方!)、これもまた気持ちのいい演奏でした。

そして、早めのテンポで通した「松」も、オーソドックスなアプローチから絢爛たる演奏効果を引き出したように見えながら(アッピア街道の松での、指揮台上での飛んだり跳ねたりなんか、バーンスタインばりだけれど)、その実驚くぐらい響きは整理されていて、実に綺麗に鳴っていたりするんですよね。だから、決して食傷気味にならない。

今日はひとえにこの指揮者の才能、そしてその音を楽しませてもらって、「良い演奏会」。プログラムノートによれば、なんとまだ33歳!!デスピノーザ、憶えておくべき、でしょうね。

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愛国心とは、感傷にあらず・・・大フィル定期

日本の状況を鑑みるに、国を愛する気持ちというもの、あだやおろそかなものではない、そう覚悟せよ、と言われているように思えたのは、ぐすたふくんだけでしょうか。

大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル第452回定期演奏会
ラドミル・エリシュカ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
スメタナ:連作交響詩「我が祖国」全曲

大フィルの宣伝文句ではないが、前回のグラゴールミサの衝撃的な演奏(まさに「血」を感じる、といって良いようなもの)の記憶が生々しいこの「遅れてきた巨匠」、一体どんな「我が祖国」になるのか、まさに興味津々だったのだけれど・・・・結論から言えば、全く奇を衒うところのない真っ正直な演奏。その一方で、そこに感じられる「絶対的存在感」。それが、揺るぎない愛国の情、その人の出自そのものに由来するものであるのならば、ここまでのものを、私たち日本人がはたして現在持ち合わせているものかどうか・・・・そんなことを想いながら聴いていました。

我が祖国全曲は、以前、コバケン・大フィルで一度聴いていて、それはそれで圧倒的な熱気と濃厚な表現に気圧される、感動的な名演だったのだけれど、今日の演奏はそれとはまったく違うもの。比較してみれば、実は驚くほどあっさりした、といっても良いくらい。それは、ひとつには、指揮者が一貫してとる早めのテンポと、くどくないアゴーギグに起因すると思われるのだが、しかし矛盾するようだが、その実、表現の幅は非常に広く、え?この曲こんな曲だったっけ?と思えるほどに、新鮮な響きがオケから立ち上ってくるのを聴くことができる。

いちいち挙げていたらきりがないけれど、たとえば、「高い城」における、弦セクションに対してsfやfz徹底することで得られる、エッジの切りそろえられた音の輪郭だとか、「モルダウ」における、弱音から強奏に至るまで一貫して強固に叩き続けられるリズム、それによって得られる音楽の澱むことのない流れの美しさ。また、「ボヘミアの森と~」での前半とはガラッと変わった中間色のトーンの心地よい肌触り、そしてなにより「ターボル」の、重厚なバスから緻密に積み上げられた、巨大な土色の岩石を思わせる音柱。

こういうのを聴くと、「これこそが本来のこの曲の姿であったのか」と思わされてしまいますよねえ。説得力に満ちた、とはこういう時に使う言葉なのかもしれない。

細かいところでいろいろミスはあったものの、大フィルもかなり良く練習して弾きこんできているという印象で、エリシュカ老の音楽に不足なく応えていたと思います。心からの拍手を送るに、やぶさかではありませぬ。

最後は図らずも、会場総立ちのスタンディング・オベーションとなった今日の演奏会、今危機の真っ最中のこの国に、ひるむことなくやってきてくれた、中欧のマエストロに、感謝。

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