不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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こんないい曲だったっけ?・・・・大フィル定期

合唱曲っていうのは、実際に聴くのとCDで聴くのとでは、全然違いますね。

大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル第441回定期演奏会
ヘルムート・ヴィンシャーマン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団・合唱団
市原愛(ソプラノ)・加納悦子(アルト)
櫻田亮(テノール)・河野克典(バリトン)
J.S.バッハ:ミサ曲ロ単調 BWV.232

実は、ぐすたふくん、この曲、いつも最初の「キリエ」を感動して聴いて、そのあとすぐ爆睡、という聴き方しかしてないんですよ、家でCD聴いているときは。で、今回の演奏会に際しても、お目当ては「キリエ」の出だし、でしかなかったんだけど・・・あにはからんや、ヴィンシャーマンおじさん、このキリエ、実にあっさりと終わっちゃうんですよね。いきなり肩すかし。

じゃあ、これ、この後寝るしかないじゃん、などと不埒なことを考えていた、不惑わくわくの極道クラオタおじさんに、ヴィンシャーマンおじさん「これこれ、なにをいっとるんじゃ。まだまだじゃのお、ふぉふぉふぉ・・・・・」と高笑い・・・なんのこっちゃ(笑)。

合唱曲は、実際にその場に身を置くに限る、と改めて思わされましたね。CDでは飛んでしまう、息遣いだとか、大勢の人間が息をそろえるときの肉感、リズムが刻む生命性、そしてそこから結果として生じてくる聖性、法悦感といったものは、ライブでないと感得しがたいものがあります。

それが一番感じられたのは、グロリアにおける、中間部「ドミネ・デウス」を挟んだ二つの合唱。この二つの合唱、前者はニ長調、後者はロ短調で、平行調の対比を見せるのだが、その表現の変化のなんともいえない劇的なこと。こんな曲だったなんて・・・まあ、これまで何回この曲CDで聴いたことかというぐすたふくんは、一体何を聴いていたというのでありましょうか?びっくりしましたねえ。そして、この短調をベースに置いた所から、「グロリア」の終曲「クム・サンクト・スピリトゥス」の輝かしい解決にいたる、まるでミサ曲というよりオペラのような、劇性をたたえた盛り上がりも見事。

休憩をはさんだ第二部もまた、振幅の広い表情をみせ、そして決して速くないテンポでじっくりと盛り上げていくヴィンシャーマンおじさん・・・・流石でありますな。でも、「ドナ・ノービス・パーチェム」の終結は、決して安っぽくならず、そこは「ミサ曲」、高貴な表情で長調への解決へ導き、気持ちのいい終わり方でありました。

でも長かったなあ・・・終演は、9時半ちょっと前くらい。

思ったのは、この曲、ソロよりもなによりも、徹頭徹尾「合唱」の曲なんですよね。これ、大変やったろうなあ。お察し申し上げます。やや、男声に破綻やほころびが見えたのが残念だったけれど、ソプラノがいい響きを出していて、それが今日の一番だったかもしれない。独唱陣では、テノールがいかにもバロックのソロといういい音を作っておられて、それが印象的だったです。

ヴィンシャーマンさん、御歳90歳、これでおそらくはお目にかかるのは最後になるだろうけれど、この長い曲、ずっと立ちっぱなし。締めるところはしっかり締めて、踊るところはしっかり踊り(この歳で!)、いやいや、すごい人です、やっぱし。

ここに来れて、本当に良かった。ヴィンシャーマンおじさん、本当にありがとうございました。

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ホルムボー

先週のクラシック倶楽部BSで放送された、広島交響楽団の演奏会を見る。

何が良かったって、ホルムボーというデンマーク(ニルセンの直後の世代に当たる人らしですね)の作曲家のフルート協奏曲。これを聴くと、やっぱり、日本人と北欧との間には何かやはり繋がりがある、と確信しますね。2楽章の旋律など、ほとんど「春の海」ですよ、これ。

やっぱり、いいなあ、北欧。前衛でない、20世紀の佳品が山のように埋もれてるんだなあ。吉松隆が、前衛に疲れ果てて北欧に回帰していったのも、歴史の必然かもしれないです。

日本という社会も、ドイツ的富国強兵を目指して夢破れ、アメリカ的自由競争社会を目指して疲弊したのだから、もういい加減身の程を知って、北欧型の社会システムを目指したらいいのに、と思います。高教育・高福祉、身の程をわきまえ、中立を守りつつ、人的資源を最大限に生かすという社会。

日本と言う国の最大の資源は、「日本人」だと思うんだけどなあ。

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大人の愉しみ・・・・大フィルいずみ特別演奏会

まあ、こんな風に言ってもいいかと。

大阪 いずみホール
大フィルいずみホール特別演奏会<ウィーン古典派シリーズII>
延原武春指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
ハイドン:交響曲第7番「昼」
モーツァルト:ホルン協奏曲第1番ニ長調
ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調「田園」

実は、ぐすたふくん、延原さんを聴くのは初めて。テレマン室内管弦楽団が、大きなホールでの定期的な活動を休止したころにコンサートゴーアー活動を始めたので、残念ながらご縁がなかったんですよね。

で、延原さんが大フィルから引き出す音楽、かなり新鮮でした。

確かに「ピリオドアプローチ」なんだけれど、それ以上に「延原」節なんですよね。響きがとにかく新鮮。すごく澄んでいて、伸びが良くって・・・その一方で時々予期せぬ変化を見せる。悪いけれど、聖響君よりも一枚上手です。これは、ひとえに延原さんの「感性」、長年磨き上げた百戦錬磨の「芸人感覚」のなせる技なんやろうなあ、と思って聴いていました。

一番面白かったのは、やっぱりハイドン。せっかく大フィルでやるんやから、と編成に凝ってみたらしく、指揮者の周りに弦楽四重奏を配し、その外側に、8-6-5-4-2のストリングセクションを配するという構成。そして、そのストリングセクションもフルに鳴る場合と、1プルトだけが鳴る場合を設定して、音色とサウンドに緩急をつけた極めて面白い演奏。しかも、今回客演コンマスを務めた田野倉さんのノンビブラート奏法の美しいこと!だから、2楽章が一番の聴きものだったですね。只者ではありませんな、この人。

以前、この曲はミッキーで聴いたことがあり、そのころはまだコンサートゴーアーに成りたて、ハイドンがこんなバロック協奏曲じみた曲を書いていたということを目の当たりにするだけでわくわくしていたぐすたふくんも、すっかり嫌味なクラオタに育った今日この頃ではありますが(笑)、その時の演奏がどちらかといえば「モダン・バロック」と言っていい、柔らかな音色の一方早めのテンポでぐいぐい行く演奏であったのに比べれば、テンポは遅めで、いろんなところからいろんな音が飛びだす、その楽しさ、愉悦を存分に味わう、といった演奏だったように思います。これぞ、大人の愉しみ、って感じでしたね。子供には、わからんやろと(笑)。

そういった趣向は、モーツァルトの協奏曲でも一緒で、これも二楽章、ノンビブラートのヴァイオリンのすーっと通る蒼い音のシートの上に、ホルンの柔らかな響きが溶けるように横たわっていく中間部が絶品。要するに、前半の二曲では、こういう様々な音の美しさが、次はこれ、つぎはこれと、飽きる間もなく提示され、ある意味呆れるばかりの芸達者ぶりで、存分に楽しめました、というわけです。

ホルンの池田さんのソロは、欲を言えばもう一段安定さが欲しいところではありましたが、いい音色を響かせてはおられました。二楽章の冒頭の、ロンド主題の輝かしさなど、ほおおって思いましたもの。

ところが、「田園」・・・・こうやって、同じアプローチでハイドン→モーツァルト→ベートーヴェンと並べられると、それはそれで、ああベートーヴェンって実はこうだったんだ、と妙に説得されてしまうのだけれど・・・ぐすたふくん、1楽章のヴァイオリン、ボーイングに従って自然に減衰するまっすぐなロングトーンの美しさに酔いつつも、通して聴いてみると・・・やっぱり、こういう「演奏の美学」によって、ベートーヴェンを聴かせるにはちょっと無理があるのかなあ、少なくとも僕にはちょっと物足りないなあ、とも思ったのも事実。

最初はいいんですよ、しばらくの間は。いままでどの演奏からも聴いたことのない、新鮮で魅力的な音が、あちらこちらから聴こえてくる、その愉悦に身をゆだねる幸福に浸ることができる。でもね、やっぱり3-4-5楽章で、ううううん、って思っちゃうんですよね。ハイドンでは退屈しなかったのに、どういうわけかここでは眠気を誘ってしまうんです。

たしかに4楽章のバロック・ティンパニの打ち込みといい、ノン・スピカートでデタッシェで輪郭を整えた音の粒立ちの美しさ、ノンビブラート・レガートで受け渡される5楽章主題の白い白い美しさなど、特筆すべき点はいくらでもあるんですよ、あるんですけれどね・・・・

だから、やっぱりベートーヴェンっていうのは、時代を突き抜けているんだな、と思いました。そこには、何かがあるんやなあ、と。名状しがたい、彼岸へと連なる何かが。そのことが、これだけの演奏を聴かせてもらうことで、余計に際立つような気がしましたね。

でもそれは相手が「田園」だからであって・・・・ある意味、次回の8番、瞠目すべき演奏になるかもしれない、という期待を逆に抱かせるものであったかもしれないです。

でも、延原さん、なかなかの人でありますな。大フィルが、違うオケになってましたものね。こんな音がこのオケから出てくるとは。それに接することができたのが、一番の収穫だった今日でありました。

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今年はこれで・・・おおさかクラシック第7日

どこが、一杯になれへんねん。

大阪 三井住友海上大阪淀屋橋ビル16F大ホール
大阪クラシック第77公演
大フィルトリオ(Vn:鈴木玲子、Va:岩井英樹、Vc:林口眞也)
タネイエフ:弦楽三重奏曲第2番ニ長調

こんな、どマイナーな曲にこれだけ集まりますか? すごいなあ・・・・なんとか座れたが、160席の座席は開場後すぐに一杯。立ち見が鈴なり、であります。300人とは言わないものの、優に250人は居たように思われまする。一方で、ほとんど同時刻、中央公会堂では違うアンサンブルがやっているわけだから、この入りは驚異的でしょう。

今年のスケジュールを見ると、注意深く同じ人ばかりが会場をはしご参加できないように組まれていて(逆に演奏者の方は、移動やリハーサルが大変だろうなあと思うけれど)、その意味では、のべ参加人数は若干減るかもしれないと思われるものの、正味の参加人数は確実に増加している、という印象を受けます。このことを実感出来て、今日は良かった。手を振るぐすたふくんとしては、ほっと胸をなでおろした、という感じですな。

「このビルにこんなホールがあるんなて初めて知りましたが・・・・存外にいい響きで」とは岩井さんの言。実際その通りで、絨毯が引かれている部屋なのにそれほどデッドではなく、弦楽合奏にちょうどいい暖色系のトーンを引き出してくれます。

Vnの鈴木さんの調子が2楽章からぐっと上がって、このロシアン・スケルツォの面白さが今日の1番。林口さんは、月曜日のプロコフィエフでも思ったけれど、ホントに上手な方だなあ、と思いました。Vaの岩井さんは、この達者な二人に囲まれて、名バイプレーヤーぶりを発揮、うまく響きをまとめておられました。

これで僕のおおさかクラシックは終わり、そして今年の夏も終わり。

ビルを出れば、昼下がりの御堂筋。これまでに比べればぐっと気温が下がって、秋の匂いが銀杏の緑をくすぐっている。スターバックスのアイスコーヒーをすすりながら視線を上げると、「大阪クラシック」のフラッグが街路を飾っている風景。また来年まで・・・・と軽く手を振った、今日のぐすたふくんでありました。

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この演目でこれだけの人が集まるんだ・・・・おおさかクラシック第6日目

正直、びっくりですね。

大阪 大阪市中央公会堂中集会室
おおさかクラシック第74公演
大フィルアンサンブル(Cl:田本、Fg:宇賀神、Hr:藤原、Vn:横山、Va:吉田、Vc:石田、Cb:松村、Pf:浅川)
リース:八重奏曲

大体、こんな曲知ってます?リースと言う人、フルネームはフェルディナント・リースといって、ベートーヴェンの弟子のひとり。ベートーヴェンの伝記を執筆していることで名を知られていると思うのだが(少なくとも僕はこれしか知りませんでした)、大植さんの言によれば、お父さんが若いころのベートーヴェンの面倒を見てあげていた関係もあったとのこと。この曲の編成は、明らかにベートーヴェンの7重奏曲にピアノを足したもので、リースがベートーヴェンの編成にピアノを足したい!!という、たっての願いで作曲したらしい、ということでありました。

当然初めて聴く曲で、1楽章を聴く限りでは、ピアノが派手すぎてどうもバランスが悪いなあ、という感じだったのだが(ベートーヴェンのゼプテットも管と弦のバランスを取るのがどうにも難しいのだけれど、ピアノが加わるとさらに難しい)、2楽章が意外にいい曲で、この響きが中集会室の貴族的典雅な空間に広がると、えもいわれぬ優雅な気分になってしまいます。多分、おそらく、当時の貴族のこういう空間で演奏されるために作曲されたんだろうなあ、と実感するに十分な演奏。

軽快な3楽章はお約束のハッピーエンド、という感じで、気持ちが良かったです。アンコールも、後半部分を演奏してくださいました。

でも、ぐすたふくん、この公演はきっと入りは悪かろう、と思ってやってきたのに、なんのなんの。「こんなにたくさんのお客さんに入っていただきまして」というヴィオラの吉田さんの言葉通り、席は満席、立ち見まで出る始末。すごいなあ。

5年目の今回、不景気や暑さや台風などあって、入りについては若干心配などしていたのだが、杞憂の様ですね。

「明日が最後です!!」の声。明日はどうしようかなあ。大好きな中集会室、毎年1度はここに入りたい、と願っていたけれど、今日はそれも適ったしねえ・・・タネイエフなんて、だれも聴きに来ないんじゃないかしら?よし、これだけ行きましょうか??

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大植英次オン・ステージ!!!・・・・おおさかクラシック第4日目

今日は掘り出し物のコンサート・・・っていうより、これっていったい何?

大阪 ザ・シンフォニーホール
おおさかクラシック第50公演「Piano spectacular-almost Mozart」
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
ピアノ独奏:伊藤恵、野原みどり、岡田将
ヴァイオリン独奏:神埼悠美
チェロ独奏:近藤浩志
モーツァルト:3台のピアノのための協奏曲K.242(伊藤・野原・大植、大フィルアンサンブル)
モーツァルト:ヴァイオリンソナタホ短調K.304(神埼・大植)
サンサーンス:動物の謝肉祭より「白鳥」(近藤・大植)
ほか

と、パンフレットに書いてありましたよね。この「ほか」っていうのが曲者で・・・・

ストラヴィンスキー:「春の祭典」(ピアノ2台ヴァージョン:大植・岡田)
ホルスト:組曲「惑星」から「火星」「木星」(作曲者自身による2台のピアノ+4手のピアノのための編曲:大植・岡田・伊藤・野原)

なんと、最初から最後まで大植英次出ずっぱりかつ弾きまくり。テンション爆発ビルボード・ライブ・オンステージ、であります。

前半では、大植さんのピアノと神埼嬢によるモーツァルトのソナタがすごく良かった。けれど、今日の演奏会では、とにもかくにもこのパンフレットに書いていなかった2曲が圧巻。すごかったですよ。

鬼気迫る、と言っていい「春の祭典」。その余韻も冷めやらぬうちに、大植さんがピアニスト全員を呼び出して始まる怒涛の「火星」。この火の吹くような演奏がアンコールと思ったら、突然「みそら~らどしぃ~そ・どれど~し~」と大植さんのピアノ・・・会場からはやんやの拍手。「聴きたいですよね!!やりましょう!!」で始まる4人の「木星」。これもまあ、なんという愉悦に満ちた演奏であったか。

ああ、やっぱり夏合宿の匂いがする。音楽の愉悦に、ただただ身をどっぷりと浸していた、あの長い夏の夜の匂い・・・音楽の喜悦に体が内から熱くなるのがわかる。

最後は、大植さん、今年のザルツブルクで初演されるはずのモーツァルトの新校訂版から小品をひとつ、グールドの物まねでやったりするんですよねえ、芸人魂・サービス精神極まれり。最後はみんな、スタンディングだったんじゃないかしら。

それだけではなく、大植さんからのたくさんのクラシック・小ネタ話があって、これも聴きもの。ここに書こうとも思ったけど、でもやっぱり、こんなところでばらしてしまうのは勿体ない。その場に居合わせた人たちだけの共有の秘密、内緒にしておきます(笑)。

大植さんの小ネタ話、聴きたい方は、会場に足を運んでくださいませ。
今年のこれからも、こういう公演がきっとあると思いますよ。







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来ないと言っておきながら・・・おおさかクラシック

やっぱり来ちゃいました(笑)

大阪 関電ビルディング
おおさかクラシック第20公演
伊藤・橋本・上野・林口カルテット
プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第2番

でもね、基本的には、ぐすたふくん、今年からはスタンスを変えて・・・・メインストリームと思われる公演は避け、あまり入りはよくないかも、という公演をごくわずかセレクト、側面から応援する、遠くから手を振る、という感じにしよう、と思ってるんですよ。それが、このイベントにおける、僕のような人間にふさわしいポジションでしょう。

だから、有料公演は一切今回、前売りを買ってません。当日券がでるかどうか、スタッフの人にちょこちょこっと訊いて、そんでもって余ってたら、末席にでも座らせてもらったら、という姿勢。

で、今日はこの公演だけ。このカルテット、もう毎年の編成のようで、「みなさん、私たちのことをよくご存じであられるならば」なんて発言まででてました。アンコールもお約束のようで「川の流れのように」、いい感じでしたねえ。

で本編はというと、「去年もまあ、とんでもない曲だったんですが、ことしもまたとんでもない曲で・・・・これはみんな、セカンドの橋本さんのせい!!」との伊藤さんのお言葉に、橋本さん苦笑いでありました。でも、立派な演奏で、良く楽器も鳴っていて、良かったと思いましたよ。

こうやって、年を重ねて、団内にいくつものグループができてきたんですねえ。

こういうのに、僕は、懐かしい大学オケの夏合宿の匂いを感じる。そして・・・・

ことしも夏の残り香を、僕はここに嗅ぎにやってくるんだ。

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これは、スカンジナヴィアン・ストリングスへの試練か?・・・京響定期

実に、チャレンジングなプログラム。これに挑んだ、京響弦セクション、さて・・・

京都 京都コンサートホール
京響第539回定期演奏会
尾高忠明指揮 京都市交響楽団
シベリウス:アンダンテ・フェスティーボ
シベリウス:組曲「ペレアスとメリザンド」作品46
シベリウス:交響詩「4つの伝説」作品22

オール・シベリウスプログラム。実はそれだけではない、ということに気がついたのは、実際に舞台上の編成を目にし、そして実際の音を聴いてから、なんです。恥ずかしながら。

このプログラムを組んだのは、一体尾高さんの方なのか、京響の方なのか、それとも広上さんの意向なのか?とりあえず、このプログラム、よおおおおおく見ると・・・・・ほとんど、弦ばっかりなんですよ。

弦楽合奏であるアンダンテ・フェスティーヴォは言うに及ばず、「ペレアス」の編成は、弦楽合奏にフルート1・オーボエ(アングレ持ち替え)1・クラ2・ファゴット2・ホルン2に打楽器という編成だし(ボーンもペットもなし!!)、「伝説」はペット3・ボーン3・チューバ1にホルン4(+1アシスト)というフルブラスを擁するものの、実際にこのブラスセクションが鳴るのは1・3・4曲目のごく限られた部分にすぎない(4曲目は盛大に活躍するけれど)。

だからですね(実は、ぐすたふくんアンダンテ・フェスティーヴォには間に合わなかったのだが)、徹頭徹尾尾高さんの指揮は、弦から様々なニュアンスを引き出すことに注がれていた、と思いますね。

で、実際のところ、通して聴いた感想としては、美しい瞬間には事欠かない好演だった、と思います。正直。

局面局面が真剣勝負のような演奏で、指揮者もひと時も集中力を切らさないし、オケ側(というよりもほとんどストリングセクション側、と言ってもいいかも)もそれに必死で食らいつく、という緊迫感がずっとあって・・・・それこそ、あるフレーズの美しさから次のニュアンスの透明感といった一瞬にさえそれぞれの妙味があり、どれがどうの、ということに、今いろいろ帰ってきて考えても躊躇を感じる。

それでも、僕がこれは、と思った瞬間を二つ三つあげるとするならば・・・・・ひとつは、「ペレアス」における「終曲:メリザンドの死」で聴かせたクライマックスでの弦の尋常ならざる緊張感と、それがほぐれていく音のうねり、二つは、「トゥオネラの白鳥」で見せた、アングレのソロやチェロのソロが弦のさざめきの水面から立ち上がっては再びその中に溶けていく、その時間の経過の美しさ、三つは「トゥオネラのレミンカイネン」、冷気の中に漂う氷の結晶のようなサウンドだとか、そのラスト、トレモロから立ち上がったヴァイオリン群が、ハイDの絶叫から中低音の大地を抱擁するかのような大きな息を吐ききった音楽を、ここは任せておけとブラスががっしりと受け止めるひとくさりなど。

他にも色々挙げようと思えばいくらでもあるが、それぞれはかなりマニアックな「細部」ですね。だから、決して派手な演奏会では無かったと思います。むしろ、かなり渋いもの。最近の、京響のド迫力イケイケサウンドを堪能するものではなかったです(でも、「伝説」の4曲目のイケイケ感は、これこれ、って感じで、不惑わくわくで満足でしたけど)。正直言って、よくまあ、京響弦セクション、がんばったと、賞賛の言葉を送るにはやぶさかではない。

ただ、ここまでできるとなると、もっと上を、と思ってしまうのだから聴衆というものは性質が悪い。これも、いちいち挙げていけば切りがない。木管のアンサンブルの合いの手に入ってくるヴァイオリンの音の立ち上がりが気合抜け、それはないやろおいおい、だとか、ヴァイオリンの絶叫の切迫感の描き分けが欲しい、悲哀なのか懸命なのか、それ以外の何かなのか、それが胸に来てほしい、だとか、ピアニシモの持続が緊張感をもっと湛えてほしい、そのなかでのニュアンスの変転があってしかるべきだろう、だとか・・・・ああああああああああああああ、なんて傲岸不遜・極道至極の嫌味なクラオタなんでしょう!!!!!京響のみなさん、ごめんなさい、許してくださいませ。

でも、あきらかに尾高さんが引き出そうとしていた音は、独墺系のマッシブなものではなく、「スカンジナヴィアン・ストリングス」(これは、ぐすたふくんの造語ですが(笑))のスカイブルーやエメラルドグリーンの音、と感じました。

で、僕はこれでいいと思うんですよ。むしろ、いつも書いていることだけれど、京響の弦は、この音を追求して欲しいと思うんです。無駄な力を込めて、音を濁らせる必要はない。むしろ、軽い弦でいいから、もっと音色の引き出しを広げて、表現力とその幅に磨きをかけてもらいたい、と。

今回のシベリウス、尾高忠明の棒の指し示すものは、京響のストリング・サウンドの目指すべき彼岸ではなかったか、そう感じる演奏会でありました。

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