不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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北海道!!

明日から、北海道に行ってきます。

帰ってきたら、また書きます。

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大阪ベイブルース

このブログ、というか、不惑わくわく日記ですが

本来は、大阪がんばれ!!だったんですよね(そんなこと、憶えている人、誰もいないかもしれませんが)

40歳になった時、一念発起したんですよ、僕は「大阪」の人間になると。大阪のクラシックの聴衆になると。

で、改めて、ここで書きたくなった次第。

だから

みんな、大阪の音楽を大事にして下さりませ。

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初音ミクと僕の記憶

ろんろんがすっかりボーカロイドに嵌っているという話、書きましたっけ?

ボーカロイドといえば、初音ミクが有名だけれど、この彼女(??)が歌う、「ブラックロックシューター」、存外にいい曲で、先入観なしに聴けばそこには・・・

30年前の僕の記憶がある。

30年前、YMOがサウンドが僕たちの熱狂的な支持を受けていたことを疑う人はいないだろう。そして、今の初音ミクのサウンドのなかに、僕はテクノポップの残像を聴く。

当然のごとく、昨今の「perfume」というグループの受容も、明らかに「テクノ」のルネッサンスであることは自明で、

僕は自分の息子が、自分が30年前夢中になっていたサウンドやサウンドクリエートに、今夢中になっていることを見て、なんともいえない感慨にとらわれていたりするんです。

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今日の聴衆は「なぜ」これほどまでにここに集ったのか?・・・京響大阪公演

びっくりです。

大阪 ザ・シンフォニーホール
京響大阪特別講演
広上淳一指揮 京都市交響楽団
ピアノ独奏 アリス=沙良・オット
シベリウス:交響詩「フィンランディア」
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16
シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43
(アンコール)グリーグ:組曲「ホルベアの時代から」第4曲「アリア」

何がびっくりって・・・補助席全開、それのみならず最後尾には立ち見がずらり!!!なんだ、なんだ、なんだ、これは。京響の大阪公演ですよ?こんなに入ったことって、未だかつてあっただろうか(いや、ない:反語)。

タイトルにも書いたが、大植英次のブラームスチクルスですら補助席完売とならない今の大阪で、この入りを達成していること自体が驚異驚愕、あめあられ。これは、だれかが何かをしたからか?京響ががんがんに営業をかけたからか?そうでないなら、一体「なぜ?」。

その答えは、奈辺にありや・・・・だれか、教えてもらえません?

やっぱり、聴衆と言うのは、気まぐれかもしれないが、嗅覚は確かなのかもしれない。馬鹿にしてはいけない、ということなんでしょうねえ。

しかしまあ、今日の京響、鳴ること鳴ること。というより、京都コンサートホールで、実はここまでがんばってはった、ということなんかなあ、と思ってしまいました。1曲目のフィンランディアの出だしからして、ひえええ、すごい音。バスもぶんぶん、がんがん、であります・・・・ここまで鳴らしてたんか、ホンマは。聴きながら、いやいや、そこまでがんばらんでも結構でっせ、ここは京都コンサートホールやあれへんねんから、と声をかけたくなってしまいました(笑)。

逆に、ここまでブラスが鳴ると、シンフォニーホールでは「うるさい」くらい。もうちょっと、菊本君、ベルを下げて、お願い、と思ったのも初めての経験。

ともあれ、一昨日のあれは「京都コンサートホール現象」であったと確信したのも事実。だって、このホールでは、全然問題もなく音楽が「穴にはまる」。弦も、ぶんぶんのバスの上にしっかり乗って良く通る。だからですねこれだけ通ってるから、そんなに必死になって弾かなくってもいいんですって、もっと力を抜いて、音が濁るから、とこれもまた声をかけたくなってしまいました(再び笑)。

この強力ブラスはメインのシベ2でも炸裂。4楽章など、それこそ北欧神話のオーディーンが如くに天空にとどろくサウンドを響かせ、これがまたコーダでさらに音量が大きくなったのには、度肝を抜かれました。どこまでいけるんや、この人たち。

広上さんも、もう全開バリバリに鳴らせ鳴らせと。バスも出る出る、唸る唸る。そして、その一方で、各所・各パートの入りを際立たせること際立たせること。だから、とにかく「雄弁極まりない」です。こんなシベ2、かつて聴いたことがあっただろうか。

迫力や演奏効果という点では、一種行くところまで行った感のある演奏で、ただただ「圧倒されました」。会場の終演後の熱狂もすさまじかったですね。

アンコールの「アリア」も、まるで「スカンジナビアン・ストリングス」、冷涼な肌触りの下に熱いハートを内包した素晴らしい響きを聴かせ(中間部におけるストバイの、ハイBの「泣き」は絶品でした)、一昨日以上の出来。

ただ、一緒に行ったこすもすは、「シベ2でここまでやらいでも・・・できたら、もうちょっと、弦の響きを整理して、渋いところも聴かせてほしかったなあ」とのたもうておられましたが。まあ、そういう感想もありかなあ、と思う演奏だった、ということですね。

ピアノ協奏曲は、ソリストがだいぶ広上さんや京響と打ち解けた感じがでてきて、それがプラスになっていました。音楽に、より広がりが生まれた感じでしたね。ただ、前にも書いたように、音楽が高揚してくると、「音楽が窮屈になってしまう」感じがするのは一緒。これ、僕には分らなかったのだが、ピアニストこすもすによると「音楽が高揚すると、この人、手が’バッタ’になってしまって、上手く力が指先に伝わらなくなっている」ようで、なるほど、ぐすたふくんの印象と一致しますね。ここらへん、次に聴かせてもらう時にどうなっているか、楽しみにしたいと思います。(ピアニストこすもすは、彼女が素足でペダルを巧妙に操っていることにも言及し、ぐすたふくんを驚愕させておりました。さすがは、ピアニストですね、見るところが違う)

「京都は近いですから、ぜひお越しください」と広上さん。いえいえ、そんなこと言わず、これだけ客がはいるんですから、大阪定期構想、是非ともよろしくお願いします。

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アマチュアオケの仮面舞踏会

この3連休は実は連日の演奏会で(我ながらようやるわ、と思います(^^;;))、今日は学生オケで一緒だった先輩がたが主宰しているとあるアマチュアオケの演奏会、だったんですよ。

曲目は
ワーグナー:マイスタージンガー前奏曲
ハチャトゥリアン:バレエ組曲「仮面舞踏会」
ブラームス:交響曲第2番

前からおいでおいでと誘われていたのを不義理をしていたんだけど、やっと今年は予定が空いて、聴きに行くことが出来たという次第。会場にはいるやいなや、「おお、こんなところで!!」という野太い声。はあ?と思うと、げげ・・・・僕の職場の重役。

どうもこのオケの代表(この人も僕の先輩の一人)と知り合いらしく、誘われたとか。ううむ、あの人、運営から営業まで獅子奮迅の大車輪なのね。大変やなあ、社会人のアマチュアオケを切り盛りするのって。

800席ほどの会場が最終的に一杯に埋まったのにもびっくりしました。これだけ動員するのも、たいへんやったろうなあ。また、舞台にのったオケも、2管14型フル編成の立派なもの。エキストラも、弦に10人程度、管に4-5人程度で済ませているのにも感心。自前の団員でほとんど賄ってるんだもんなあ。

だから、練習もそれなりに積まれていて、演奏はなかなかに立派なもの。そら、アマチュアだから技量の及ばないところは多々ありますって。でも、ハッとする響きを作るところまで音楽を持ってきているところ(特に、ブラームスの1楽章の出だしからのしばらくなど、なかなかのサウンド、と聴きました)には、うううむ、と唸らされてしまいましたね。

このプログラムの中では、やはり「仮面舞踏会」が一番の出来で、面白く聴かせてもらいました。特に、浅田真央のスケートプロに選ばれて一躍有名になった「ワルツ」が出色。アンコールでももう一度やったが、かなり練習を積んだと見ました。がんばってますねえ。

楽屋前で、3人と再開。20年数年ぶりとあって、一人などは思いだすのに時間がかかったようだが(ちょっと悲しかったかなあ)、みんな僕が来たことを素直に喜んでもらって、感謝感激。獅子奮迅のIさんに「よくまあ、ここまで・・・」と話しかけると「ようやくね。十年かかりましたわ」・・・・!!!!!・・・・・そうですか、まあ、よくまあそこまでのエネルギーを仕事をもやりながら・・・・・

最近の職場でのいろんなことが胸をかすめるたび暗くなりがちなぐすたふくんなんですが、梅雨明けの真夏の日差しの下、ちょっと元気をもらった気がしました。

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これは一つの到達点なのか、それとも経過点なのか・・・京響定期

今日の演奏会のプログラムで満員御礼になる、というところに最大の意味があるように思います。

京都 京都コンサートホール
京響第537回定期演奏会
広上淳一指揮 京都市交響楽団
ピアノ独奏:アリス=沙良・オット
シベリウス:交響詩「フィンランディア」
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16
バーンスタイン:交響曲第1番「エレミア」
(アンコール)グリーグ:組曲「ホルベアの時代から」よりアリア

祇園祭の山鉾巡行の余韻さめやらぬ、観光客でいっぱいの京都市内を突っ切ってコンサートホールへ。この日程、おそらくは偶然だったのだろう、とは思うものの、結果としてコンサートホールの中も一杯のひとでお祭り気分ですね。

さて、最初に書いたように、今日のプログラム、一昔前であったら、到底一杯になどならなかっただろう。それが、完売という事実をどうとらえるか。広上淳一という存在を京都の聴衆が認めた、ということなのか?それとも、京響の地力が上がったことが周知徹底されたことによるものなのか?いかにして、みんなやってくる気になったのか?そこら辺が、知りたいものだなあ、と思っているぐすたふ君なのでありまする。

ぐすたふ君は、もともとは大阪で聴衆となる、と心に決めた人。大フィルに大植さんがやってくると決まった時の大阪の高揚感などは肌で感じていたわけで、それについては同時代感や共有感などがある。一方、京響に関しては、やはり少し自分はアウトサイダーだなあ、という感覚があるんですよ。今日も、ある意味、少し引いた姿勢で臨んでいた、というのは否定しません。

そんなぐすたふ君にすら、今この曲を京都で演奏することの意味というものを、否が応でも感じさせる「エレミア」の存在感・・・・今日の演奏会は、この「エレミア」がすべてであった、と言い切っていいと思う。そんなことを別にしても、この曲をこれだけの演奏で聴かせてもらえた、ということを素直に感謝してもいい。

エレミアについて書く前に、前半の2曲について、明後日にも聴く(大阪公演にも行くんです)ので、簡単なコメントで済ませると・・・・

やはり、京都コンサートホールでは1曲目が鬼門だなあと。良くなかったです、フィンランディア。振ってる広上さんの背中から、おかしいなあ、こんなはずやないのに、っていうのが伝わってくるし、コンマスの渡辺さんからも、おかしいなあ、こんなはずやなかったのに、っていうのが伝わってくる。どうにも「まとまらない」んですよね、良く鳴ってはいるのだが、弦の音の乗っかりが上滑りで。悪い時の京響サウンド。この現象、しばしば起こるような気がするなあ。「京都コンサートホール現象」と呼ぼうかしら。幸い、明後日シンフォニーホールで同じ曲が聴けるわけで、そこらへん確認しようと思ってます。

グリーグは、編成が急に小さくなったのにはびっくり(16型から10型になったんじゃないかしら?)。実は、このコンチェルト、プロオケでライブで聴くのは初めてなもので、その意味では楽しみました。思っていたよりも、ずっと澄んだ音がするんだなあ。ただ、若干22歳のソリスト、テクニックはなんの不足もなく、こんな人がよくもまあ次から次からでてくるもんだ、と感心した一方、嫌味なクラオタぐすたふくんはこんなこと思ってたりしたんですよ・・・「まあ、そら、ようひけたはりまっけど、ちょっと音楽に余裕がないというかなんというか・・・・聴いててどうにも、肩が凝ってしもうて・・・・もうちょい、こうおおらかに、というか、ふくよかに、というか、そういう幅のある歌がその中に宿ってくれはった方が、聴いている方としてはよろしおますねんけどねえ。チャイコフスキーじゃあれへんねんし、なんていうか、グリーグの空気感みたいなもんが、もうちょっと感じられへんもんかしらねえ・・・」・・・・あああああああ、ごめんなさい、ごめんなさい、なんていやあなおじさんなんでしょう!!!明後日も聴きますから、許してくださいませ(^^)。

さて、改めて「エレミア」です。

一言で言ってしまえば、「京響の弦の響きが巧く鳴れば、こういう曲にはこれ以上無い、と思うほどのクールな効果が得られる」「また、広上淳一のリズム感はそれだけで音楽を成り立たせることが可能で、2楽章のようなアメリカン・ポリリズムはまさに独壇場であると言っていい」「それに付いていけるだけの技量を有する(関西随一の)ブラス・セクションの爽快なサウンドは、いつもながら見事の一言」「そして、中低音域で下手をすればオケの響きに埋没しかねないようなフレーズを、しっかりとうき立たせるだけの芯のある音を持つフルートをはじめとして、木管の表現力の幅の広さは、この曲の陰影をくっきりと浮かび上がらせている」

こう書いて、京都百科さんのリハーサルの記事(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1538470143&owner_id=15367165)を今一度拝見したが、やはり、と思いました。

京響の美点、はこのエレミアのなかに、まさに集約されていたと評しても、過言ではありますまい。広上淳一という指揮者のそれもまた。そういう意味では、今日の演奏、この二つの魅力が互いにそれぞれを高めあい、ひとつの止揚へと達した、と評することも可能かもしれない。僕がこのペアに聴きたいと欲する、まさにその音が聴けた、と思います。これは到達点なのか、それともまだこれより先に彼らは行くことができるのか。

京響の冷涼なサウンドは、こういうモダンな作品にこそふさわしい、とは以前から繰り返し書いていることだが、今回のプログラム、シベリウス→グリーグ→バーンスタインという流れとシベリウス→グリーグ→シベリウスという流れが併置されたことも興味深い。「京響には北欧の音がよく似合う」とは以前より僕が主張していることだが、バーンスタインがロシア系ユダヤ移民の出身であること、影響を受けたコープランドもウィリアム・シューマンもそうだ、ということを思えば、やはり「北の響き」がこのオケにはする、ということなんでしょう。そういうことは、美点として特徴として、そして魅力やセールスポイントとして、京都の聴衆に認知されてしかるべしだし、これからも大切にしていっていいと思う。

一方で、通して聴いたとき、「エレミア」という曲、これがすでに「20世紀の古典」だ、ということも強く思いました。21世紀のコンサートオケは、20世紀の曲を古典としてレパートリーにする義務がある、とは常々僕は思っているが、広上・京響の演奏は、この曲に「バーンスタインの使徒」のニッチな所有物としての価値ではなく、「古典」として生き残るに値する存在感と生命力を付与するもの、と評しても良くはなかったか。実際、かなりの人は、そう聴いたんじゃないかしら。拍手も極めて盛大なものでしたからね。

できるなら、こういう「大阪には無い音」「大阪では聴けないだろう曲目」、関西の聴衆にもっと知られて、関西の財産として共有できたらなあ、とも思います。

これほどのエレミアがたった一回のコンサートで終わってしまうことは、極めて残念で・・・やはり、京都定期と大阪定期を同じプロでやること、真剣に考えていただいてもよろしいのではないかと思いまする。

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コンサートゴーアーになってから、ぐすたふくんはどれだけブラームスを聴いたろう??

さて、実際、僕がどれだけこのコンサートゴーアーの間にブラームスを聴いたか、改めて振り返ってみることにしました。学生の頃は、学生オケがほとんど毎シーズン、どこかで取り上げてましたから、腐るほど聴きましたけどね。僕自身、交響曲では3番を除く(これはアマチュアが手を出すには難曲に過ぎるんでしょう)3曲、演奏に参加した経験がありますし。

室内楽曲、ピアノ曲を除いて、管弦楽曲に限り、かつ大植さんの今シーズンを除くと

セレナードニ長調       0回
ピアノ協奏曲第1番      1回
セレナードイ長調      1回 
ハイドン・ヴァリエーション  2回
交響曲第1番ハ短調      6回
交響曲第2番二長調      2回
ヴァイオリン協奏曲      3回
大学祝典序曲         1回
悲劇的序曲          0回
ピアノ協奏曲第2番      1回
交響曲第3番ヘ長調      3回
交響曲第4番ホ短調      3(2?)回
ヴァイオリンとチェロの為の二重協奏曲 1回

セレナーデの1番と悲劇的序曲を生で聴いたことがないんですねえ。悲劇的序曲がかかってないことに気がついて、ちょっとびっくり。でも、核となる8曲は流石に全部制覇しましたね。

やっぱり、ブラ1の突出がすごいなあ。どれだけかかってるんや。一方、2番が存外に少ないことに、驚く4番も、二番連続をひとつに数えると、2回になっちゃうしなあ。3番は意外に健闘。流石はプロ、ここらへん、いい曲を定期にもってくるんやなあ。

協奏曲では、ヴァイオリン協奏曲が突出。これも、むべなるかな。でも、この曲を入れると、プログラム構成が大変難しくなるように思うのだが、そんなことはないのだろうか。他のピアノにしてもドッペルにしても、ブラームスの協奏曲、どれもメインに据えてもおかしくないヘビーな曲ですもんねえ。

でも、なんとなくもっとたくさん聴いていたように思ったが、ブラ1を除いてそれほどでもないんやなあ、というのが正直な感想です。

今一度、ブラームス、今シーズンはフレッシュな気持ちで、聴いていきたいです。

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ブラームスの管弦楽作品を並べてみる

悪い癖で、やり始めるといつまでもやる、というところがあります、ぐすたふくん。

で、例によって、ブラームスの管弦楽作品を並べるとどうなるか、という風に思ってしまいました。

セレナードニ長調 作品11(1858)
ピアノ協奏曲第1番イ長調 作品15(1858)
セレナードイ長調 作品16(1859)
ハイドン・ヴァリエーション 作品56a(1873)
交響曲第1番ハ短調 作品68(1876)
交響曲第2番二長調 作品73(1877)
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77(1878)
大学祝典序曲 作品80(1880)
悲劇的序曲 作品81(1880)
ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83(1881)
交響曲第3番ヘ長調 作品90(1883)
交響曲第4番ホ短調 作品98(1885)
ヴァイオリンとチェロの為の二重協奏曲イ短調 作品102(1887)

ブラームスの作品目録を一度でも見たことのある人ならすぐに気がつくと思うのだが、この人、ほとんどの作品が歌曲と合唱曲なんですよ(ざっと数えてみたら、67曲。全122曲の半分以上ですな)。そして、そのなかに、ポツンポツンとピアノ曲と室内楽曲が、それぞれ何曲かクラスターを作りつつ顔を出す、そんな風景。管弦楽など、その膨大な歌曲と合唱曲にうずもれて見えなくなってしまいそうなほど。結局、最後となる作品122のコラール前奏曲集は1896年の作品、これもまたオルガン曲という体裁だが、本質は合唱曲、ですからね。その前の作品121は、名曲「4つの厳粛な歌」。最後の管弦楽作品を書いてから10年近く、ブラームスはこういう歌曲・合唱曲を書くことはやめず、ときどきピアノ・室内楽を書いて、そして死んで行ったんですよね。そう思うと、ブラームスという作曲家に対するイメージが、ちょっと違ってくる気もしないではない。

オペラを書いて成功することが作曲家として最高の栄達であったあの時代において(マーラーはコンサートホールに「交響曲」という名の彼の「オペラ」を築き上げることで、オペラハウスから独立した異形の帝国を目指した、ともいえると思う)、このような作曲姿勢を選択する彼の思いがいかなるものであったか、改めてしみじみ考えてしまいます。

で、管弦楽曲は、実はたったの13曲、全122作品の一割にしかならない。これを無理やり(作曲年の近さや間隔、調性などを参考に)関連づけて整理すると

セレナードーピアノ協奏曲1番ーセレナード
(ハイドン・ヴァリエーション)
交響曲1番
交響曲2番ーヴァイオリン協奏曲
序曲2つーピアノ協奏曲第2番
交響曲3番
交響曲4番
2重協奏曲

ハイドン・ヴァリエーションは、ピアノも存在していることから、これは習作とすべき、という立場をとることもできる。すると、やはりピアノ協奏曲第2番を転回点とすべきなのかなあ、と思いますね。でも、この曲がブラームスの星座のなかで中心を占めるということには、僕はうなずいてしまいますけれど。

それを挟んで1番・2番=Vn協の星座と3番・4番の星座が対峙し、一番端を大規模協奏曲の2曲それぞれが飾っている・・・これが、「シンメトリー理論」から見た、ブラームスの管弦楽が形作る星座なのじゃないかなあ、と思ってしまいます。

調性も、変ロを挟んでニとヘという変ロ長調の三和音が群の中心を形作り、その外をハとホの短調がはさみ、さらにその外をイの短調と長調が挟む、という構造ともとれる。

いずれにしても、冷静になって俯瞰してみれば、交響曲をことさら特別視することは間違いで、むしろ協奏曲にこそこの人の作品の意義と重みがあるような気がしますね。

今回の大植さんの企画も、そこらへんに実は力点があるのかもしれないです。


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今回はやはりターニングポイントか・・・大フィル定期

ベスト・オブ・ベスト

大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル第440回定期演奏会(2日目)
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
バルトーク:管弦楽のための協奏曲
シューマン:交響曲第2番ハ長調作品61

嫌味なクラオタ、ぐすたふ君としては、なにがしかのケチをつけようとして臨んでいたとしても不思議はない今日の演奏会だったのだけれど・・・・いや、これ、二日ともこの出来でそろえてきたのは、少なくとも僕の知る限りでは、無い、と思います。というより、大植さん絶好調のころは、とても二日とものチケットなど手に入らなかったわけだけだけど。

僕が二日ともを聴こうとするようになったのは、ちょうどあのブラームス4番のとき。あのときは、あらかじめ二日ともチケットを購入していたのだが、なんとあのアクシデント。そして、そのあとは、これまで書いてきたとおりなのだが・・・・

みんな、今回の演奏のことを知っているのだろうか?なにが起こったか、知っているのだろうか?

バルトークは、さらにブラッシュアップ。特に今日は、昨日に書いたような若さに連なっていくようなエナジーや切れ味といったもののみならず、バルトークの描く濃密な闇の美しさにはっとさせられる。大フィルの演奏精度も、さらに向上。

そして、シューマン。印象としては、バルトークで力を使いすぎた分、演奏精度、という点からは昨日の方がいい出来だったかもしれないな、とも思いました。でも、音楽はさらに、今日の方で深みを増していてですね・・・・明らかに3楽章、昨日よりテンポは遅めで、慟哭の表情はさらに、激情の度を増し・・・そして、4楽章、最後のコーダのコラールの旋律は、「神々しい」という言葉以外にどう表現してわからないくらいの輝きを持って、ホールに降り注いで・・・・舞台が明るさをその時増したように感じたのは、僕だけだったろうか?

シューマン終演後の拍手の入りも、良かった。完璧です。会場の拍手の温かさ、舞台との間の無言の交歓の時間の充実感・・・ああ、これだよね、これが本当なんだよ。

もしかしたら、これが新たな始まりなのかもしれない。まだ、僕たちはさらなる高みを目指せるのかもしれない。

今回の演奏を聞きそびれたひとに言いたい。聴き逃しては、いけない。見逃してはいけないです。

8月のブラームス、人々よ、集いたまえ。

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青春の輝き・・・大フィル定期

今季大フィルのベスト。

大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル第440回定期演奏会(1日目)
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
バルトーク:管弦楽のための協奏曲
シューマン:交響曲第2番ハ長調作品61

ダブルメイン、と言っていいプログラム。今季は、大植さんの回がすべてダブルメインの構成になっているのが特徴(ブラームス連続演奏会も含めて)だが、これは意図的なものなのか、どうなのだろうか?

明日が本来、僕が定期会員の日。先週のブラームスの時、わずかながら残っていた今日のC席が手に入ることがわかって、じゃあ例によってサイドから偵察、とばかりに気楽に購入、るんるん気分でやってきたのだが・・・・1日目からこれだとすると、明日は一体どこまで行くのだろう?

逆に考えれば、やはり大植さん、ここしばらくは調子が悪かったのかもしれないなあ。1日目より2日目の方がいいと感じることが多かったのは、大植さんの調子の悪さから、調子の良かったころに比べてリハーサルがあまり出来ない・進まない、という状況があった故なんじゃないか、と想像してしまいます。思い返せば、二日とも聴いたオルガン・アルペン・コープランド、この順番にだんだんと1日目の出来が良くなってきているのは確かだと思うもの。そして、今日は1日目からして、十分以上にオケ・ドライブが効いた状態に仕上がっていた、という印象です。

で、明日も聴くつもりなので簡単に書くけれど・・・・すごく拍手が薄かったので、僕は不満なのだが、バルトークが実に見事な仕上がりだったと思う。というより、そうそう、大植さんって本来、こういう演奏をする人だったんだよな、って思いましたね。軽いデジャ・ヴの感覚、といってもいいかもしれない。若々しい躍動感と突進力、監督就任初年度のスラヴ舞曲やバルトークのディベルティメントで、僕が胸ときめかせて聴いたそれ。だから、僕が今日のバルトークの中に聴いたのは、おそらくはミネソタ時代に満開であったであろうAge Oh!Wayの青春の輝き、と表現していい気がします。

そして、その一方でシューマンは、明らかにバーンスタイニッシェ・シューマニアーナ。僕が持っている、ウィーンフィルやPMFOを振った2番でバーンスタインが聴かせた音楽の残像が、そこにある。独特のアゴーギグ(いちばんよくわかるのは、2楽章第1主題の末尾でテンポを落とす節回しですね)が見せる振幅の大きな表情の変転、そして16型フルサイズの弦を決して力任せにではなく、ふくよかに鳴らし響かせるサウンドのえもいわれぬ芳香。

素晴らしいシューマン、だと思います。これもまた、20年前のPMFOの記憶につらなるもの・・・・大植英次の原点のひとつ、ですよね。

ただ、残念なのは今日の入りが必ずしも良くなかったこと。なんでなのかなあ・・・・・プログラムのせいなのかしら?

強く強くぐすたふ君は言いたい。これを聴き逃すと、きっと後悔しますぜ、みなさん。



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シューマンの2番

さて、いよいよ今週は大植さんのシューマンの2番。これ、大植さんにとっては特別なこと。この曲にはいろいろとありましたからねえ。こうして今一度今期の大植さんのラインアップを眺めてみると、
コープランド3番
シューマン2番
ショスタコーヴィチ9番
と、どうしてもやらなければならなかった3曲(なぜどうしてもやらなければならないかは、彼の歴史を見ればおのずからわかると僕は思っています)を、満を持して持ってきていることに気がつく。皇帝とオケコンとシュトラウスプロとブル9は、大フィルのためにと選んだものだと思いますね。

僕は、シューマンの2番はなぜかいろいろと持っていて
シノーポリ・ウィーンフィル
バーンスタイン・ウィーンフィル
バーンスタイン・PMFO
ジンマン・チューリヒトーンハレ
ガーディナー・ジ・オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク
チェリビダッケ・ミュンヘンフィル
こんなに持ってるなんて、こら、マーラー並みですな(笑)。で、今少しずつ聴き直しているんだけれど、この中で演奏として一番優れていると思うのは、実はジンマンのもの。サウンドの素晴らしさ、プロポーションの良さ、音楽の生気、粋な節回し、どれをとっても一級。

でも、今聴いても、すごい演奏だと思うのは、やっぱりシノーポリだなあ。これが僕の初シューマン2番で、当時大学生、リリースされたばかりの新譜だったこのCD、吉田秀和氏が絶賛、オケ仲間の間でも一種騒然とした評判となってましたね。シノーポリとは、一体何者か、とみんなで喧々諤々と議論もしましたよねえ。

でも、感動的、ということでいうなら、やはりバーンスタイン・PMFOにとどめをさす。ここには、音楽とは、という究極の問いと答えにならない答えがある、そんな気がします。

優れた演奏が優れた「音楽」というわけではなく、優れた「音楽」が必ずしも優れた演奏であるとは限らない・・・・音楽の不思議、そしてその彼岸にある「何か」・・・僕は、またそれを見に今週もシンフォニーホールに足を運ぼうと思っています。

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これが到達点、ということなのだろうか・・・・大フィル・ブラームスチクルス

今年の一大イベントの第1回、みんなはどう聴いただろう?

大阪 ザ・シンフォニーホール
ブラームス交響曲全曲演奏会2010/2011
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
ピアノ独奏 ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番作品15

演奏とは関係がないけれど、今日初めて、大フィルの理事から橋本知事の名前が抜けていることに気がつく。昨年度まではあったはずなので、今年度から抜けたのね。すごいなあ、この人。徹底してますね。大阪都が実現したら、一体どうするおつもりなのでっしゃろか。

今日の演奏会、前回のベートーヴェン全曲演奏会で補助席が出たことに比べれば入りは良くなかったけれど、ほぼ9割以上は埋まってましたね。ぐすたふ君としてはちょっと安心。

そして、肝心の演奏ですが・・・ぐすたふくんは、大植英次、また違うブラームスを提示、そしてそれをほぼ満足のいく出来で大フィルが演奏しきった、と評価していいのではないか、と思いました。

ピアノ協奏曲は、贅沢をいうなら、ヌーベルジェ君のピアノの音色が、ブラームスには明るすぎたんじゃないかな。特に第1楽章でそれは顕著で・・・腹にこたえる冒頭のオケサウンドを引き継いでの入ってくる、それこそ聖母マリアの御手による慰撫のようなピアノ、これがいかにもあっけらかんと来た日には、一瞬こらあかんわ、と思ってしまいました(笑)。ただ、こういうオケとピアノのサウンドのちぐはぐさ、は音楽が進むにつれて徐々に一つに纏めあがって行き、一楽章の最後には堂々たる「ブラームス」になってましたね。ここらへん、コンチェルト、練習時間がどうしてもとれない(今回はどうだったか知らないが、通常演奏会前1日だけらしいですね)ことからくる仕方のないところなのかもしれない。定期のように、二日公演であったら、二日目はこういうところは最初から改善されてくるのだろうけれど。

3楽章は、圧巻。まさに火を噴くような、と言うにふさわしい。大植英次の抜群の付けが炸裂。この人、コンチェルトを振らせたら、今の日本人指揮者では一番ではないかしら。ヌーベルジェ君も、大植さんの目を見ているうち、その気迫に引きこまれるように音楽の中にシンクロしていったように見えました。これが聴ければ、1楽章も2楽章もいりません(笑)。

アンコールの、間奏曲集から第2曲、これも音色が明るすぎたが・・・でも、深々と沁みるいい演奏でした。

1番のシンフォニーは、一言で言うなら「ダイナミックさにはあえて寄りかかることを避け」「歌を歌いきることに専念した」「深々とした色あいと、馥郁とした香りに満ちた」名品であった、と思います。

それは例えば、1楽章の提示部で突如として落ちるテンポであるとか(提示部の反復を今日は省略していたのも、ここら辺をじっくりやるので、繰り返した時冗長となる、と思ったんでしょう)、3楽章の遅めテンポであるとか、4楽章の第1主題を最後までインテンポで歌ってアッチェレランドせずに突如アレグロの経過部に突入するとか、コーダのまえもアッチェレランドをほとんどせず、突然2倍のテンポのコーダが出現するとか、そういうところに顕著に表れていたように思う。

だから、派手な演奏ではなかったです。でも、多分、これが大植さんの結論なんだろう、という気がしました。

定期で、2番→1番→3番と取り上げて来て(4番はご存じのとおりのアクシデント)、大植さんもいろいろ試行錯誤、以前ぐすたふくん、3番でやっと確信めいたものに辿り着いたんじゃないか、と書いたことがあるけれど、今日の1番はその延長にある、と感じました。

だから、次の2番がいったいどんな2番なのか、ということが本当に興味深い。監督就任初年度のあちゃちゃあ2番を知っている身としては、大植さんの到達点、しかと耳にしたい、と切に思いました。

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