不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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オケ老人

高校の後輩が最近、作家になったらしく、この夏、関西ジャニーズの子の主演(錦戸亮くん、という人らしい)で、彼が原作の「ちょんまげぷりん」というのが映画になるらしいです(http://www.c-purin.jp/)。へええええ、がんばってるんやなあ。

それで、彼の書いた「オケ老人」という小節を買ってきて、読みました。

いやあ、懐かしいなあ。僕の高校の匂いがする。みんな、それぞれ、小節に手を染めるんだよねえ。そして、みんなで回し読みして、お互い楽しんでたんだよね。

その中でホントに作家になっていく奴もいるんだ。この荒木源君もそうだし、同級生で友人の井上剛も賞をとってデビューしたもんなあ(「マーブル騒動記」、これはホントに面白くて泣かせるいい小説です)。みんな偉いよね。

このオケ老人、アマオケをやってた人なら、にやりとしたり、うんうんとうなずいたりするところ満載の楽しい小説です。このブログ読んでる人で、興味があったら読んでください。

久しぶりに、昔のことを思い出しました。荒木君、ありがとう。

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大フィルのホルンは何とかならんのか・・・・大フィル定期

今シーズンでは一番低調。

大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル第439回定期演奏会
ヤコブ・フルシャ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
ピアノ独奏 中村紘子
ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11
マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」

今シーズン、不満だらけのプログラムのなかでも、1・2を争うプログラム。端から期待していなかったのだが、さらに上塗りするような酷い出来。

大体、中村さんの調子が今ふたつ、みっつ。中村さんのショパン、数年前に京響で同じ1番を聴いていて、その時には「流石は、中村紘子、名前だけではありませぬ」とほめちぎった記憶があるが、今日の出来は、これが同じ人かとわが耳を疑うほど。

だって、音楽の頭が拍節にはまらないんだもの。切れのないことはなはだしい。そんなもんで、ごまかしています感が満載。やっとのことでこなしている、という感じです。そんなもんだから、全然楽しめなかったなあ。

きっと当の中村さん、自分でも気が付いていたと思われ、絶対にカーテンコール、自分ひとりで出てこようとしません。嫌がるフルシャ君の手をひっぱって、必ず二人で登場。当然、アンコールもなし。今回が特に調子が悪かったのか、衰えが隠せなくなったのか、そこら辺はわからないけれど、なんか、情けない気持ちになってしまいました。

で、フルシャ君だけが頼み、とばかりに後半のマーラーに望んだのだが・・・・これがねえ・・・・

フルシャ君は極めて誠実に音楽に立ち向かっているのだが・・・この人、やっぱり真面目なんだわ。今回の「巨人」の選曲が、フルシャ君からの希望だったのか、大フィルからの希望だったのか、と想像すると、やっぱり、大フィルからの希望だったんじゃないかしら、と思えてくるなあ、この指揮ぶりをみると。

残念ながら、フルシャ君、マーラー指揮者ではないです。あれほどの、ドヴォ7を聴かせてもらったので、山のように期待をしてきたんだけれど、こればっかりは仕方がない。いかに彼が真摯にスコアに立ち向かっていても、それだけではどうしようもないものがマーラーにはある、ということなんだろう。

聴きながら、ぐすたふくん、この人、きっと最後のホルンのスタンディングはやらないだろう、と予想していたら、思った通り。もっとも、立たせる、立たせない、というのは、些細なことで、そんなことは音楽の有り様や本質にはどうでもいいこと、だと僕も思うのだが、彼のマーラーが僕をして最初からそうなるだろうと思わせるようなものだ、ということが重要なことなんです。

フルシャ君の棒は、まるで印象派の音楽のようなトーンポエムをこの「巨人」の中に風景として現出させる。そこは確かに魅力的で、1楽章の出だしからのしばらくの間はほおおっと思わせるような響き。むせかえるような、湿った植物の匂いがするんですよね。そこまでは良かった。

ただ、この曲、残念ながらドビュッシーのように、それだけで出来てはいない。いろんな要素が、それこそ過剰に詰め込まれているのが「マーラー」で、それをまあ臆面もなく芸人魂でさばいていかなければ「マーラー」にならないんですよねえ。だから、1楽章の主部が始まって、コーダまでを通して聴くと、うううむ、こんなもんかいな、という感じがしてしまう。喰い足りないんですよね。

それに、この曲、やっぱりマーラーの交響曲の中では、内容の点でも底が浅いし、オーケストレーションも比較的薄い。フルシャ君が真面目に献身的にスコアに尽くせば尽くすほど、逆にそうした欠点が露わになってしまうという悪循環。だから、4楽章など、交響曲のパロディ、悪い冗談を聴かされてるような気になってしまうんですよ。当のフルシャ君にはそんな気などさらさらないのだから、これはもう、一種の悲劇としか言いようがない。

それに輪をかけて、今日の大フィルのホルンの出来の悪さが拍車をかける。よくまあ、ここぞというところではずすもんだ。だから、余計に「悪い冗談」感が強調されてしまう。アマチュアオケなら、こういうのが「アマチュア的熱気」でもって「感動的な演奏」にどんでん返すこともあり得るのだが、プロオケだと「笑いごとやあれへんで」になってしまうような気がするなあ。

そんなもんで、ぐすたふくんとしては、終演後にかかった「ブラボー!!」には少々苦笑を禁じ得なかった、というのが正直なところですね。

フルシャ君、これに懲りず、また大フィルを、こんどはあなたの真のレパートリーでもって、振りに来てください。ぐすたふ君は、あなたのこと、やっぱり良い指揮者やなあ、と改めて思った・・・・これは本当です。

ただ、マーラーについては、今一度、考え直された方がいいのではないでしょうか・・・などと、まあ、なんて不遜なクラオタなんでしょ!!。ということで、今日はおしまい。

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高関健のエッセンス凝縮、内容からすればこれほど格安の演奏会が他にあるか?・・・・京響定期

タイトルどおりです。

京都 京都コンサートホール
京響第536回定期演奏会
高関健指揮 京都市交響楽団
ウェーベルン:管弦楽のための5つの小品作品10
ウェーベルン:大管弦楽のための6つの小品作品6(1928年版)
マーラー:交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

ふっとこれを打ちながら気がついたのだが、今期の京響、客演が三ラインあることに気がつく。秋山→高関→尾高→井上という重鎮ラインと、若手二人(飯森→沼尻)のライン、および外人指揮者二人のライン、ですね。で、前者の重鎮ラインのプログラムをしげしげと見ると、すべてソリストが入らないプログラム。これって要するに、「あなたに全部任せました、好きにやってください、ご存分に!!」っていうことですよね。ぐすたふくん、前回の秋山さんと今回の高関さんを続けて聴いたものだから、この二人がいかにそれぞれで自分のやりたいことを強烈にやっているか、そのプログラムの対比を感じること、実に強烈。

今日のプログラムなんて、高関健以外、だれがこんなプログラムを組むんだ、というプログラム。最初は、ウェーベルン、作品6から作品10という並びだったのを、気がついて直したのも秀逸。作品10→作品6→マラ7と並べると、要するに時間が逆行していくんですよ。そして、音楽も逆行していく。作品10の極限まで蒸留された強烈な度数のスピリッツが、作品6のような単回蒸留酒を何度も蒸留して得られたものであり、それはマラ7という芳醇極まりない醸造酒を起源としている、ということが身をもってわかる。

しかしそれにしても、作品10の美しさといったら!!! こんなに美しい曲だったんだ。CDにしてしまうと、この曲の持っている繊細な倍音の結晶のかなりが飛んでしまって、気味の悪さばかり耳についていたことに気がつく(これは、しばしば現代音楽作品で経験することだが)。ペット1、ホルン1、ボーン1、クラリネット2、オーボエ2、打楽器3(マリンバ・シロフォンを含む近位地の一群)+2(カウベルと鉄板を含む遠位地の一群)、ギター1、マンドリン1、チェレスタ1、ハルモニウム1、ハープ1、弦楽器群(Vn1, Va1, Vc1, Cb1)という、見るからにマラ7の編成をぎゅーっとミニチュアにした編成(やっぱりここから考えると、高関さん、これ以外のプログラム構成は考えられない、という確信に満ちた選曲なんでしょうな)。そこから立ち上がる音は、まさに細かな細かな音の結晶の集積。演奏も極めてよく練習された、隙のないもの。秀逸。

それに比べてはいけないんだろうが、作品6の方は編成が大きくなった分、「切れ」が悪くなってしまいましたねえ。できれば、血しぶきが飛ぶくらいの先鋭な音像が欲しかったところではあります(実は、ぐすたふくん、この作品6はお気に入りの曲の一つ、なんですよ。いい音が鳴るんだ、これが)。でも、4楽章での尋常ならざるものが迫りくる圧倒的な迫力は、聴きごたえ十分ではありました。

これだけで終わってもいいくらいなのに、そのあとに7番の超名演が続くのだから、やっぱり今日は格安の演奏会ですって。なぜこんなこと書くかというと・・・・だってもったいないじゃないですか、これだけの演奏会が一杯の聴衆で埋まらない、ということが!!!!このごろ満員御礼が続いていたらしい京響、今日はちょっと空席が目立つ入り。このことが真にもったいないなああああああ、と思える演奏だった、ということです。これだけでも、読んでる人にぐすたふくんの気持ちが伝わるのではないかと思いまする。

聴きながら思っていたのは、「庭師高関」ここに極まれり、という感じやなあと。作品10が枯山水なら、マラ7は後楽園か偕楽園か、いやいや、日本庭園どころじゃありませんな、夏の花が満開に咲き匂う西洋庭園、というにふさわしいでしょう。よくまあ、この支離滅裂といってもいいくらいいろんな音が突っ込まれた「20世紀セレナーデ」、整理整頓・注意深い刈り込みをして演奏効果満点に仕上げていったなあ、というのが正直なところです。

実際、1楽章の展開部後半から再現部にいたるあたりなど、普通にやってたら絶対にわけがわからなくなるぞ、これ。やっぱり大変な曲なんですって。それを「わけがわからない」で終わらせるか「おおおおお、おもろいやないけ」にまで持ってくるか、やはり指揮者の腕次第なんですな。ティルソン・トーマスがこの曲を得意にしているのも、おそらくは高関庭師と同じ才能に由来するのであろう、と深く深く納得した次第。

5楽章もまた、このどんちゃん騒ぎ、ともすれば、単にヒートアップとクールダウンを繰り返すばかりの退屈なものになってしまっても仕方がないところを、ここを出してここを引いて、と・・・・その結果、あっちでこの旋律、こっちでこの旋律、と実にいろんな旋律が鳴って線的に錯綜している、その音楽模様の面白さが際立つこと。その一方で、コーダに向かって一直線に盛り上がっていく音楽の勢いも(かなり早めのテンポ、と思いました)胸高鳴らすに十分なもので、最後の最後にカウベルをつり下がっている台をひっつかんでがんらがんらと鳴らさせていたのには度肝を抜かれたが、それをバックに大オーケストラが燦然とした黄金の光りを放つさまは、まさに「これぞオーケストラサウンド」。満足です。

流石は庭師高関、そしてそれに過不足なく対応する京響もえらい。これまで7番、若杉・大フィル、メータ・イスラエルと聴いたが、今回が一番かもしれない。メータ・イスラエルよりも、その「熱さ」「熱気」の点で上回ってたと思うんですよね。

いいマラ7を聴かせてもらいました。

次回は、いよいよ今期初めての広上定期。実は、今日、広上さんわざわざ聴きに来ていたらしい(どこにいるのかはわからなかったが)。大阪公演のチケットも買ったし、さあて、不惑わくわく、でありまする。

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シンフォニカーの来期のラインアップが早くも!そしてその内容たるや・・・

どうも、大阪交響楽団、と呼ぶのに抵抗があるので、ぐすたふくん、シンフォニカーで通させてくださいませ(大阪シンフォニカーで大阪交響楽団とイコール、と事務サイドも言ってますし)

で、なんと、すでに来期のラインアップを発表したんです、ここ。で、その内容にぶっ飛び。

なんと、ダンディの「フランス山人」に、ミャスコフスキーに、矢代秋雄のピアノ協奏曲(しかも下野殿下!!)に、プフィッツナーの交響曲!!!!!!!!!

ななな、なんや、この挑戦的な、クラオタなら一も二もなく喰いつくプログラム・・・・しかし、一般聴衆がどれだけついてくるんだ、このラインアップで。関西でこのプログラムを打つ、その度胸にまず感心するなあ。

しかも、このラインアップにオケがついてこれるんやろか・・・・・それが、とっても心配。また署名活動なんかしないよね「楽員を無視したプログラムビルディングに断固反対する!!」とか。

ただ、ミャスコフスキー、せめて27番にしてほしかったなあ・・・・でも・・・・

とっても心ひかれている、不惑わくわく極道おじさんでした。

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オッコ・カムを聴きに兵庫まで出かける・・・PAC定期

指揮者の力量と、そして持ち味、ですね。

西宮 兵庫県立芸術文化センター
兵庫県立芸術文化センター管弦楽団第35回定期演奏会
オッコ・カム指揮 兵庫県立芸術文化センター管弦楽団
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番変ホ長調作品70
バルトーク:管弦楽のための協奏曲
(アンコール)シベリウス:「鶴のいる風景」

オッコ・カムが振りに来る、ということで、今シーズンのPACのラインアップの中で唯一聴きに来ようと心に決めていた演奏会。もう一つの理由は、ショスタコの9番が掛るから。決めた時には、まだ大フィルでタコ9が掛ることはオープンになっていなかったんですよね。これで、漸くショスタコの交響曲、5番から15番まで(14番を除いて)一通り生で聞いたことになる。あと1番が来期にミッキーで掛るので、4番がどこかのオケが冒険してくれるのを待つばかり。2番、3番、14番は、まあ関西では期待するだけ無駄でしょう(笑)。

ショスタコの曲の中では、僕は1番と6番と9番を好んで聴くのだが、今日の演奏を聴いて一層強く思ったのは、この曲、やっぱり優れた「喜遊曲」ですね。タコファンに言わせれば、いろいろと裏読みも出来るのだろうけれど、とにかく聴いててホントに面白い。第2次世界大戦が終わった時、多分ショスタコーヴィチ、なによりもかによりも、ソヴィエト国民にこの曲を楽しんでほしかったんじゃないかなあ。良かったねえ、終わったねえ、みんな頑張ったねえ、つらいこともあったねえ、でもこれでみんな思いっきり楽しんでよ、お偉いさんなんてほっといてさ!!みたいなノリが一番だったんじゃないかなあ。

今日のカムさんの指揮ぶりは、絶妙の緩急。曲の魅力を十二分に発揮するものだったけれど、残念ながら、PACオケの方が練習が足りてない印象(特に1楽章)で、ちょっと、いやいや、かなりもたもた。かなり派手なミスが少なくとも3か所あってそのたびひやっとさせられたし、棒の指し示す方向についていけず、せっかくの「音楽」が飛んでしまうところも。

なんかなあ、と思ってたんだけれど、後半のバルトークの演奏が極めて優れたシャープなものだったので、合点がいく。きっと、こっちの練習の方に随分と時間を取られたんだろうなあ。やっぱり、優秀な若い奏者を集めているだけあって、地力はなかなかのものなんですよね、このオケ(ホルンが弱いなあ、という印象はぬぐえなかったけれど)。

だから、演奏精度や見事さでは後半のバルトークに軍配が上がる。これだけのバルトークのオケコンを演じきったことには、素直に拍手を送っていい。でもね、ぐすたふくんとしては、もたもたショスタコの方が良かったなあと思ったりするんです。不思議なものですね。

でもそれは多分、カムさんが持つ感覚が、バルトークよりはショスタコの方にしっくりくる、少なくとも僕にはそう感じられるからじゃないかなあ。プログラムにあったインタビューで、「6番と9番に共通点を感じる」と語っておられるあたりからも伺えると思う。

その印象は、バルトークが終わってから、定期には珍しいアンコールで奏でられたシベリウスを聴いて、より実感として感じられましたね。「鶴のいる風景」・・・このシベリウスのめったにかからない曲で現出した、名状しがたい「皮膚感覚」。お国ものだから、というのも確かにあるんだろうけれど、寄せ集めオケからこういう音を引き出すことができるのは、やはり指揮者の「持ち曲」における持ち味と力量、なんでしょうねえ。

この「持ち味」、やっぱり聴きに来ただけのことはあったと思いました。

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ウィンド・シンフォニーの絶品!!未だ知らぬ世界に接する喜悦・・・大阪市音楽団定期

感動しました、ホント。

大阪 ザ・シンフォニーホール
大阪市音楽団第100回定期演奏会
秋山和慶指揮 大阪市音楽団
ヨハン・デメイ:交響曲第1番「指輪物語」
ジェイムズ・バーンズ:交響曲第3番
(アンコール)タイケ:マーチ「旧友」

実は、これ以外に平松市長指揮によるリード作曲オープニングファンファーレと大栗裕編曲大阪市歌っていうのがあったんですが(笑)。「いやだと断ったんですが、どうしてもと言われて・・・」といいつつ、うれしそうでしたねえ。まあ平松さん、ほんとに音楽がお好きなようで。こんな市長を持って、大阪の音楽ファンは幸せであります。

実は、ぐすたふくん、プロのウィンド・オーケストラを聴きに来るのは初めて(厳密に言えば、佐渡さんのヤングピープルズコンサートでシエナの演奏を聴いたことが1度だけあるけれど)。いつものシンフォニーホールとは客層が違いますね。年齢が明らかに若い!!制服姿の高校生も一杯だし。大フィルの会場で見かけるような年配の方はほとんどいません。

さて、前半の「指輪物語」を聴きながら、少々斜めに構えたぐすたふくんが何を考えていたかというとですね・・・

「最初のファンファーレには度肝を抜かれるなあ・・・素晴らしいサウンドや。でも、料理でもそうやけど、いくら美味しいものでも”いきなり美味しい”のも考えもんやで。この輝かしいサウンドの魅力は十分以上だけど、ウィンド・オケの音色や表現力、シンフォニー・オーケストラに比較するとやや幅が狭いと言わざるを得ないんじゃないかなあ。だから、’シンフォニー’という長丁場、これを乗り切るに若干不足する面があって、聴いている方がそのうちに飽きちゃったり、あまりの大音響に辟易したり、そんなところも無きにしも非ず、やねえ」なんてこと考えてたんですよ。ああああ、いつもながら極道中年おじさんだわ!!

でも、後半のバーンズの3番を聴いて、いきなりぶっ飛び・・・・ええええ、こんな曲があったとは!!!知らなかったなあ・・・・良かった、聴きに来て。来なかったら、一生知らずに過ごすところだったです。

この曲、明らかに違う。図抜けている。全体を貫く劇的構成、抜群の演奏効果、そしてそこに盛られた音楽内容の精神性・・・・どれをとっても、超一級。特に、3楽章の「ララバイ」の胸を打つ美しさ(ウィンド・オケならではの、エメラルドグリーンの風の様な涼やかなテクスチュア)、4楽章の飛翔するが如くの爆発的エネルギー(これもブラス・アンサンブルならではのパワフルな音圧のなせる技)・・・・どちらも絶品。これに胸揺さぶられない人がいるだろうか。

4楽章の最後、軽やかに疾走するメインテーマの滑走路の上を、「神の子羊」のコラール旋律が、ブラスの黄金の羽を一杯に広げて舞いあがった時、ぐすたふくん、不覚にも涙が・・・・いやあ、感動的ですねえ。

しかし、この4楽章、めちゃくちゃ難しい!!!早い上に、パッセージの跳躍の大きいことと言ったら・・・・はああああ、と口あんぐり状態。それをまあ、お見事です、大阪市音楽団。ホルンも、ペットも、ボーンも、チューバも、よくぞこのパッセージを吹きこなしはりました、脱帽。拍手喝采、雨あられ。演奏後のブラボーもすごかったなあ。

この曲、大阪市音楽団が世界初演したんですってねえ。こんな巧いバンドが大阪にあったとは・・・・知らないこととはいえ、自分の無知を恥じることしきり。

帰ってきて、iTuneで検索して陸上自衛隊中央音楽隊の演奏をダウンロードして繰り返して聴いてるのだが、正直いって物足りない。今日の演奏のほうが、100倍良かったぞ。編成もどうも今日のものより小さいような気がするなあ。

今日の演奏、テレビカメラで録画してたし、補助マイクも林立、CD録音もしてたように思われる。出たら買うぞ!!、放送も絶対見るぞ!!!と心に決めたぐすたふくんでありました。




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最後の運動会

今日は、りんりんの運動会でした。

え?と最初は、ぐすたふお父さんも思いましたが・・・・どうも、小学校の体育館の工事のせいで、今年は秋に運動会を開けなくなっちゃったらしいんですよね。それで、今年だけ6月。

でも、これがこの小学校で僕たちが参加する最後の運動会。

ろんろん、りんりん、と11年通ったこの小学校の運動会ともこれでお別れ。

演目もみんな知ってる。ああ、これをろんろんがやったときこうだったね、りんりんがやった時こうだったね、とこすもすと二人で、ささやきあいながらの参観。

そして、ついにりんりんが組体操をやる番。ああ、これだけ大きくなったんだ。

毎日毎日練習した倒立、2回とも成功!!!やったあああ、えらい!!

立派になったんだねえ・・・・年月が経ったんだねえ。

組体操の名前は「明日への架け橋」。ろんろんもここを通り過ぎ、そしてりんりん、君もまたここを通り過ぎていく。みんなこの架け橋を軽やかに渡っていくんだ。

そしてその先に、まばゆいばかりの光り降り注ぐ君の舞台が用意されていることを、お父さんお母さんは信じて疑わない。

今日はホントに立派だった。ありがとう、心から。

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