不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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東京から急遽帰る

実は、昨日から会議で東京入り。品川のプリンスホテルに泊ってたんですよね。

昨日からチリの地震のことは知っていて、津波の可能性も当然頭にあったんですよ。

それで、今日は朝早めに起きて、ニュースをかけながらルームサービスで朝食。

ヴァンクーバーのチームジャパンは、銀メダル。悔しさと、そして歓喜と。

アメリカンブレークファストのスクランブルエッグの香り。フレッシュオレンジジュースの美味しさ。

ポットに残った最後のコーヒーをカップに注ぐ。その視線の先に、気象庁の会見。担当職員のにこやかな顔。そして・・・

「津波は、太平洋岸で1mから2m、ところによっては3mを超える可能性が・・・・」

・・・・

立ち上がる僕。ガウンを脱ぐ。着替えに走る。

荷物をまとめている僕の背中に、テレビが続けている。

「昨日と予想が違うのでは?」「それ以後のデータをもとに、シュミレーションをしました結果、昨日の予想よりも大きくなるという結果で・・・」「・・・・」

予定をすべてキャンセル、荷物をまとめてチェックアウト。坂を下りるとそこは街、まだ津波のつの字も知らない街。いつもと同じ雑踏、いつもと同じ交差点。例年のごとくの東京マラソンの準備、カメラをセッティングするメディア。

その中を僕は、足早に突っ切る。

時間が違う・・・・違う時間が過ぎていく。

みどりの窓口には短い列、ゆるゆると動く人。僕の順番。

「一番早いのぞみに」「あと6分後ですが・・」「じゃあ、それで」

プラットフォーム。掲示板は何も伝えない。滑りこんでくる電車。乗り込む僕。

品川駅を発車した瞬間、こすもすからのメール・・・「津波警報が出たよ、どうしてるの?」

ふうううっとため息。そして返事を打つ

「そっちに向かってる。もうすぐ横浜」

・・・・・・・・・

結果的にはオーバーリアクションだったです。でもねえ・・・・かなりのスリルを味わいました。だって、浜名湖で新幹線が止められる可能性もあったわけだし、もしそうなったら、津波到着時刻までにそこを通過できる列車には、おそらく客が殺到することになっただろうし。

あの時・・・街が何も知らずにいつもと同じ時間を経過している中を、自分ひとり違うことを考えながら足早に駆け抜ける・・・その時の感覚、何とも言えないものがありました。

日常と非日常・・・その間にあるのは、ほんのわずかな隙間・・・・わずかな裂け目。

そのことをかみしめながら、自宅で今、グラスを傾けています。

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策士大植は東京公演に何を持っていくかからプログラムを演繹しているに違いない

さて、ぐすたふくん、東京からの反響から、アルプス交響曲が東京でピークに達したであろうことを確認。

で、これまでの策士大植の東京公演演目を並べてみるとどうなるか、と考えてみました。

2005年 マーラー6番「悲劇的」
2006年 ブルックナー7番&ノスタルジア(Vn長原幸太)
2007年 マーラー9番(のはずが・・・・)
2008年 幻想&ラプソディー(Pf小曽根真)
2009年 マーラー5番
2010年 アルプス交響曲
2011年 ブルックナー9番&ショスタコ9番

これをみると、見事に自分の勝負曲、オケの持ち曲をぶつけてますね。2011年は、この二つのコンピレーションという感じ。

もしかしたら、東京に何をぶつけるかを1番に考えて、そこから他の3回の公演を演繹してるんじゃないかしらん?などと思ってしまいまするが、これは勘ぐりすぎかしらん?

ブルックナーの8番を持ってきてないことに気付くと、これをやらないはずはない、ということに思い至る。2012年ではないだろう、となると、これは2013年になるのではなかろうか、と想像することが可能。

すると2012年は、何になるのだろう?マラ9は、2009年にハノーファーとツアーしているから、それはないですな。すると、マーラーはもうない、ですね。供給過剰の東京に「巨人」を持っていっても、仕方ないですもの。

じゃあ、何を持ってくるか?タコを2011年に持ってきてるから、これもない。マーラーもショスタコもブルックナーもない、となると・・・・・やはり、R・シュトラウスの2回目、が来ると思うのが普通だねえ。

さて何がくるのでしょうか?

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今年は、来ようと決めていました・・・・センチュリー・ハウスコンサート

何年ぶりかなあ、センチュリーオーケストラハウス。

大阪 センチュリーオーケストラハウス(緑地公園)I
センチュリー個人定期会員招待演奏会
小泉和裕指揮 大阪センチュリー交響楽団
スッペ:「軽騎兵」序曲
ビゼー:カルメン第1組曲
シベリウス:悲しきワルツ
スメタナ:モルダウ

ほとんどオケの中にいるような至近距離で、しかもデッドな練習場で聴く演奏、オケ本来の響きを「体で感じることができる」。久しぶりにこの経験ができて、至福の1時間でした。

できたら、定期の練習が聴きたいんだけどなあ・・・・

でも、やっぱり経済状況の話に触れないわけにはいかないわけで・・・・「みなさんの御心があっての私たちです」本来なら、こんなこと小泉さんに言わしちゃいけないんだろうけれどなあ・・・・今回は、小泉さん、登場も客席の中央をとおって、退場も同じ道をあいさつをしながら、と、前にはなかった趣向。本当は、芸術至上主義のこの人、こんなんじゃなく、満場の喝采を一身にあびて、というのが本来の姿だろうに。

おそらくは今年度でほぼ尽きる資金、来年度までよく持ちこたえたと思うけど・・・来年、僕はここに居ることができるのだろうか?

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1日目はオープンリハーサルだったのだろうか?・・・大フィル定期

やってくれますねえ、大植英次。

大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル第435回定期演奏会(二日目)
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
ピアノ独奏 プランチェスコ・ピエモンテーシ
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
R・シュトラウス:アルプス交響曲作品64

いや、タイトルにも書いたが・・・・昨日とは全く違う演奏会。

大体ですね、1曲目の出来からして違う。昨日、あえて何も書かなかったのだが(何も訊かないでください(笑))、今日はまあ、ソロ・オケとも、陰影に富んだ、まるでヌーベルバーグの映画につけるような音で秀逸。

それよりもなによりも、昨日はただシューベルト1曲だったアンコール、今日はなんと、大植さんとのハンガリー舞曲の連弾はあるは、ガーシュインの小品(これが最高!!)はあるはの、大盤振る舞い。これが盛り上がったのなんのって。

今日は明らかに違うぞ・・・・と思ってたら・・・・見事に予想どおり。

アルペン、今日の演奏をして、まるで目を入れたダルマ、魂をいれた仏像、進水した船、テープカットした連絡橋、といってもよろしいのではなかろうかと。昨日は、だから、目の入らないダルマ、魂のない仏像・・・・くどいですって?

音楽とは生き物だ、ということを思い知りました。呼吸をし始めて初めて、そこに生命が宿る。呼吸をしていない音楽は、まさに「死んだも同然」。

一番それがわかるのは、やはりクライマックスの「山頂」から「幻」を経るところ。ここ、延々10分近くほとんど一息で音楽がいつ果てるともなく続くのだが、確かに昨日もそれなりの法悦感が得られたこの個所、今日は音楽の「息が切れない」。実は、昨日はうまくいったペットの最高音のハイDを秋月さん、外してるんですよ。でも、今日の音楽の前には、「そんなささいなことはどうでもいい」んです。

それは、末尾の「日没」から「夜」まででも一緒で、昨日はぐすたふくん、ここで眠気に襲われる始末。「日没」冒頭のブラスの弱音のファンファーレ(これは、めちゃくちゃ難しいだろうと想像します)も、実は昨日の方が綺麗だったけれど、はるかに今日の若干ささくれた響きの方が「魅力的」。そして、そこから全身から振り絞るように歌われる弦の絶唱が大きな大きな呼吸をしたあと、「余韻」冒頭のオルガンの吐息に消えていく、その時間の美しさ!!そのあと、「夜」の最後の引き伸ばされた短調の響きまで至るところは、ともすれば単調で、ただただ長いだけの退屈な時間になってしまいがちだけれど、今日は決して聴き手を離すことがなかったです。

終演後の沈黙も長く続き、そのあとわき起こった昨日に倍する万雷の拍手、昨日は無かったブラボーの声とスタンディングオベイション・・・・・大阪の聴衆は正直ですね。

昨日と今日を結ぶ直線の延長上に東京公演があるとなると・・・・・東京のみなさん、これは心して待たれよ、とぐすたふくんは声を大にして言いたい。

なめたらあかんぜよ。

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これが大植・大フィル?・・・・大フィル定期

うううううむううううう・・・・・・

大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル第435回定期演奏会
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
ピアノ独奏 プランチェスコ・ピエモンテーシ
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
R・シュトラウス:アルプス交響曲作品64

本当は明日が聴きに来る日なんだけど、仕事の雲行きが怪しくて、今日行っておかないともしかして・・・という状況。それで、やってきたわけなんだけど・・・・

ちょっとねえ・・・・久しぶりに、大植・大フィルには珍しい、「仕上がっていない」演奏。どうしたんだろう?

僕の聴き間違いでなければ、おそらく2か所ほど崩壊したところがあったと思う。なんとか立ち直ったが、しかし、終始危なっかしい感が付きまとう。レパートリー感というか、安定感が、かなり欠けてるんですよね。どこのパート、というわけでなく、全体のアンサンブルとして。

確かに、「山頂」に頂点を持っていく過程の大植節は今日も健在で、そこでの法悦感は十分に得られるのだが、そことて「無理やり」「力技で」持っていった感がぬぐい切れず、ギリギリ限界、というような感じの音。そんなもんだから、そこから一旦音楽が解放されたあと、もう一度「雷鳴と嵐」の2回目の頂点に至るあたりなどは、ほとんど「悲鳴に近い」。しんどい、ですね、正直。

リヒャルト・シュトラウスは、うまくいけば抜群の演奏効果が得られるが、一方でオケの実力が丸裸になってしまう、極めて厄介な代物。このこと、聴くたびに痛感させられるのだけれど、ここ数年、大フィル、この難物をしっかりとこなせるところまでレヴェルを上げてきたと思って聴いていたし、実際、前の大植さんの「英雄の生涯」は極めて優秀な演奏であったのだが・・・今日は一体、どうしたことだろう?

しかも、今回、これを東京にも持って行くんでしょう?ええええええ・・・・どないするおつもりなんでっしゃろ?一見したところ、大植さん、ちょっと頬の肉付きも戻ってきて、コンディションは上向きのように見える(今日は舞台袖のバルコニーから聴きました)し、練習が思うように行かなかったわけでもないように想像されるんだけどなあ。

でも・・・・いやいや、策士大植、なんやかんや言いながら、東京公演に焦点を定めてしっかり仕上げていくつもりなんやなかろうか?前も、良く似たことがあったぞ。1日目があちゃちゃあ、だったのに、二日目がしっかり仕上がってきた・・・・そうそう、この間の夏のオルガンもそうやったやないですか!!

もし、明日も来れたなら、そこらへんの手腕、しかとこの目で見届けたいものでありまする。

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センチュリーの激動の20周年記念事業が終わる

プラスマイナスで、ややプラス、という採点に落ち着くかしら?

大阪 ザ・シンフォニーホール
センチュリー第148回定期演奏会
小泉和裕指揮 大阪センチュリー交響楽団
ヴァイオリン独奏 堀米ゆず子
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
ブルックナー:交響曲第6番イ長調

今期の一連の20周年記念の企画はこれにて終了、しかもめったにかからないブル6の演奏会ということで、ぐすたふくんのお目当ては、ひとえにブルックナーの方。実際、ブル6の生演奏、今まで聴いたことがないんですよ。

で、結論から先に行ってしまえば、1楽章がペケ、2楽章がいい出来で、4楽章がまあまあいい感じ、トータルではプラス、という感じ。

1楽章、途中で音楽が消えてしまったんですよね。ただただ音が鳴っているだけ、という状態になってしまい、指揮者の棒がむなしく空を切る。何が悪かったのか、と問われても答えに窮するのだが、こうなってしまうとどうしようもない。音が大きくなったり小さくなったりするだけのブルックナー、付き合わされるは苦痛以外の何物でもありませんな。

ここで、思わず帰ろうか、とまで思ったのだが、2楽章では小泉ダイナミズムには珍しく重厚・荘厳な聖歌が立ち上がり、これはなかなかの聴きもの。ここで、立ち直ったように思うなあ。3楽章は、まあまあだったけど、小泉ダイナミズムならばもっと早いと予想した4楽章が、じっくりとしたテンポでの悠然とした盛り上がり。展開部でブラスが長丁場をきっちり決めたあたりで音楽の芯がびしっと通り、あとは揺らがなかったですね。コーダも十分な恰幅で聴かせ、ブルックナーを聴いた、という満足感は得られました。

でも通して聴いた感想は、やはり小泉さんは、ブルックナー指揮者ではないな、と。

結局のところ、ベートーヴェンの筆致とキャラクターで描かれる、「交響曲」の文脈を逸脱しない筋肉質のブルックナーなのだが(こういうやり方は、ありだとは思います)、小泉イズムというもの、下手すると本当に無為無策に終始してしまうことになり、平凡極まりない所に落ち込んでしまう、というのも今回、改めて思いましたね。相手がブルックナーとなると、そういう、うまくいった時と行かなかったときの落差が、ホントによくわかる・顕在化する、ということなのかもしれないなあ。

ブルックナー、演奏に際しては、やはり「何か」やらないと・何かがそこに加わらないと、うまくいかない、ということなんだろう。それをして、「指揮者の音楽性」というあいまいな言葉で誤魔化す以外ないのが、僕の限界でありますね(第5の時、それをして「芸人魂」という表現をしましたっけ)。結局、今回の4・5・6の中では、第4が唯一の成功、それはひとえに、小泉和裕の音楽と第4のもつ内容がうまくシンクロしたからなんでしょう。5番がダメだったとき、6番に期待したぐすたふくんだったけどなあ。

で、前半のコンチェルトはといいますと・・・・言っちゃ悪いけど、堀米さんがペケで散々な出来、でした。音楽の端々の処理が雑で耳に障るし、しかも楽器の鳴りも決していいとは言い難い。通り一遍通しました、というような演奏、全然面白くなかったです。まあ、堀米さんの演奏、これまでどれを聴いてもみな同じ、微温的な突き抜けない演奏で、いつだって不満に思うので、今回も期待はしていなかった、というのが本当だけれど。でもまあ、この通俗名曲の最たる曲、確かにどう演奏するか、となると、なかなか困難なのかもしれませんな。

でもまあ、これでブルックナーでライブで聴いたことがないのが2番だけ、となり、その意味では意義深い演奏会ではありました。

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この演奏会、できればポジティブな気分で聴きたかった・・・センチュリー特別演奏会

真に感動的な力演。

大阪 ザ・シンフォニーホール
センチュリー創立20周年記念特別演奏会II
沼尻竜典指揮 大阪センチュリー交響楽団
ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団・岸和田市少年少女合唱団(合唱指揮 本山秀樹・松尾卓郎)
カティア・レフコヴィチ(ジャンヌ・ダルク)、ミシェル・ファヴォリ(ドミニク修道士)
谷村由美子(Sp)・渡辺玲美(mSp)・竹本節子(Ar)・田村由貴絵(mSp)
高橋淳(Ten)・望月哲也(Ten)・片桐直樹(Bs)
オンド・マルトノ 原田節
オネゲル:劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌダルク」(演出 小須田紀子)


こうやって書き出してみても、ものすごい数のキャスト・スタッフ。これ以外にも、副指揮者に4人の稽古ピアノをはじめ、映像・舞台監督から大道具・小道具・照明・音響・・・・エトセトラ・エトセトラ。こりゃ、コンサートというよりも、まさにオペラ公演、ですよね。加えて、字幕を実相寺昭雄がやってるわ、曲目解説を片山杜秀がやってるわ・・・どれだけの時間と金と労力を費やしてるんやろ?まさに、「特別演奏会」、ここに極まれり、でありますな。

これだけの公演、できれば満員の入りで迎えてあげたかったが・・・残念ながら7割程度の入り、ぐらいかな?(まあ、でも、大フィルの60周年記念公演の一連のものにくらべれば、ずっと入っていたとは言えるが)オネゲルの名作の誉れ高い曲の貴重な公演、だというのになあ・・・でも、これにこの程度しか客が入らない、のが大阪の現実なんでしょう。逆に、京響の「グレの歌」にしても、今日の公演演目にしても、東京ならいっぱいになるんだろうか?誰かに訊いてみたい気もしますが。

ともあれ、公演としては、極めてハイレベルのもの。正直、脱帽、です。

バルコニーにピラミッド状に積み上げられたホワイトボード、その前に二人の役者が陣取り、ホワイトボードに映し出される映像をバックに演じていく、というのが基本的なライン。合唱団は、少年少女合唱団も含めて黒ずくめ(これはそろいのプリント柄の黒のTシャツで、終演後に、ロビーで売ってました)、ソリストは舞台上もしくはホワイトボードの横あたりに出たり入ったり。そして、ホワイトボードが照明で赤く染まったり青く染まったりしつつ、舞台演劇的効果を上げていき、最後には十字架がそのボードから分離して、ジャンヌダルクの背後に立ち上がる、という趣向。

こういう演出は、確かに興味深いもので、それなりの効果を上げていたけれど、僕にとっては、ちょっと邪魔、だったかもしれない。逆に、こういう演出、実際に鳴っている音の響きの透明さ・深さに比較して、あまりに安っぽくて下世話に感じられるんですよね。

そんなものなくても、演奏そのものの力で心が揺さぶられること、十分以上、と言っていい。特に、第7幕でカトリーヌとマルグリートが現れてからの音楽の歩みのドラマティックなことと言ったら!!沼尻君、これでもか、これでもか、と畳みかけるように、ぐいぐい、とドライブしていきます。

そして到達した「ジャンヌの剣」や「トリマゾ」での透徹した哀しみ・・・・ぐすたふくん、少女の声とジャンヌが互いに呼び交わすくだりで、不覚にも涙をこぼしてしまいましたもんねえ。

とにかく、ジャンヌ役のレフコヴィチ嬢の声がいい・・・この鼻にかかった潤んだ地声で、フランス語独特のくぐもった響きが放たれるときの、何とも言えない官能の匂い・・・もう、ほとんど「エロティック」ですね、怒られそうだけど。

また合唱も秀逸。なんで、カレッジオペラハウス合唱団なんだろう、と思っていたが、実は、11月にこの合唱団、カレッジオペラで同じ演目をやってるんですね。合点がいきました。この難曲、ほぼ望みうる最上の出来で仕上げてきた、と称賛されてしかるべき。最後の「ジャンヌ!ジャンヌ!」の荘厳な大合唱と、そのあとに続くピアニッシモの「愛する者にみずからの生命を与えるより大きな愛はなし」との美しさの対比の見事さ。

本当は、ぐすたふくん、このジャンヌ・ダルクの物語自体は好きじゃないんです。あまりに残酷な話だし、人間の獣性というものを嫌というほど思い知らされるし、それをして倒錯的な聖性に至るあたり、キリスト教のマゾヒシズムの極致を見る思いがするし・・・できるなら、敬して遠ざけておきたい物語、なんですよね。

そういう物語をここまで浄化して・・・それこそ、蒸留して熟成させ、真に感動的な音楽劇に仕上げたオネゲルという作曲家(それを言えば、台本を書いたクローデルも只者ではないのだろうが)、やはり只者ではない、と改めて思い知りました。すごい作曲家だわ、やっぱり。

しかしまあ、それにもまして沼尻竜典という指揮者、その才能にも改めて瞠目する思い、です。実はこの人、こういう「ドラマ」にこそ真の力を発揮するんだなあ・・・・それは、この間のタコ11でうすうす感じていたが、今日の公演で確信しましたね。徹頭徹尾「オペラ」「演劇」の人なんですよ。逆に言えば、抽象的・絶対的な音楽では、その魅力は十分に発揮されない。しかも、音や響きの感覚がかなり「モダン」だから、今日のような作品、まさに彼のためにあるような作品でしょう。

ただ、惜しむらくは、昨今の状況がなければ、この公演をしてセンチュリーの一つの到達点・大阪オケ文化の最良の果実という言葉で手放しで賞賛できたであろうに、ということですよね。どうしても、こんな贅沢が許されるのか、という醒めた視点が頭の後ろのほうでしてしまうんですよ。

だから、というわけではないけれど、もっと多くの人がこの会場に足を運んでほしかった、そして何かを感じてほしかった・・・・心から、今、そう思っています。

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MTT/SFSグラミー賞受賞記念

MTT/SFS、グラミー賞受賞、おめでとうございます。うれしいです、ホントに。

で、お祝いの気持ちを込めて、これまでのぐすたふくんの、MTT/SFSがらみの記事の一覧を作ってみました。
(何をやっとんねんな、という話がございますが)

http://gustav369.blog101.fc2.com/blog-entry-20.html
http://gustav369.blog101.fc2.com/blog-entry-11.html
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200908290000/
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200907270000/
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200812130000/
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200812100000/

あれえ、こんなもんだったっけ?

7番のCDのこと、確か、前の前の日記に書いてたんだよなあ・・・・もう無くなっちゃったもんなあ・・・・

でもって、今は無きODNマイページの記事の中からとってあったものをガサガサとさがして、わざわざ出してきました(これくらいしか見つけられなかった・・・)

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MTTのマラ9を聴く 2005年08月13日

今日は、前々から買おう買おうと思っていたのだが、梅田のワルティで3500円で出ていたのでMTT/SFSのマラ9を購入。

前にも書いたかもしれないが、このMTT/SFSのチクルス、SFSのプライベート盤で、メジャーなレーベルの販路には乗っていない。だから購入するには、SFSのサイトもしくはamazon.comから購入して輸入するか、それともたまにCDショップの輸入盤コーナーに出ているのを見つけて買うことになるのだが、本来30ドル前後の値段であるはずのこのCD、どういうわけかショップの輸入盤になると5000円を超える値段がつく(!!)。で、そんなもん買ってられるかということで、僕はこれまでネットで購入していた(それでもoverseaの船便で頼んで、着くのに3週間もかかって、しかも6ドルから7ドルの運搬費用がかかる。ま、これは他のCDとの抱き合わせをすれば薄まるわけだけど)。

ところが、ワルティではこのマラ9だけがどういう訳か3500円!!他の、3番や6番は5300円なのに・・・・一体どういうからくりになってるんだか?

で、はれて手に入れたこのCD、わくわくとかけてみたわけだけど・・・・

この振りからしてもうお察しのこととは思うが、今回はハズレです。こうしてみると、グラミー賞の審査員の耳も確かだなあと思う。だって、これまでこのコンビのマーラーは出た順に6番→1番→3番→4番→2番→9番と来ているが、6番と3番がグラミー賞を取っていて、確かに僕が聴いても、この二つが図抜けている。6番は憑かれたような一種往ってしまっているような演奏だし、3番はティルソン・トーマスの音画作家としての魅力が炸裂で、丁寧な造形が本当に魅力的。

対して、1番は1楽章は良いものの終楽章でSFSが息切れ、4番は平凡な演奏、2番は目論んだであろう仕掛けが不発、といった具合で、必ずしもみんな良い出来というわけではない。誤解無きように付け加えるが、演奏自体はどれも極めて立派なもので、とてもコンサートライブとは思えない。録音もどのCDをとっても秀逸の極み、ホールトーンの豊かさとダイナミクスレンジの広さには下を巻く。ただ、強いて言うのであればという感じである。

で、今回のハズレの評価も、相対的に見て・・・ということと思ってもらってかまわない。というより、今回もSFSの演奏は現在のマーラー演奏の水準を軽くクリアする素晴らしいもの。これに文句をいうのもはばかれるくらいなのだが・・・

ただ、今回は、ティルソン・トーマスのマーラーに見られる丁寧な造り込みが逆効果になってるような気がする。やっぱり、9番は一筋縄ではいきませんな。

とにかく、演奏時間が約90分と、おそらくは9番の演奏時間の中では最長でしょう。のべつまくなしに遅いわけではなく、それなりにメリハリをつけてはいるのだが、遅いところは本当に遅い。で、こういうところでティルソン・トーマスがやりたい音楽は充分に伝わってくるのだが、いかんせんSFSがついてこれない。やっぱり息切れしちゃってるんですよ。だから、大きな大きな一息でまくし立てなければならないところ(特に4楽章)で音がぶちぶちと切れてしまって、聴いているこっちの方が「おおおおお、大丈夫か、おおお、がんばれがんばれ」状態になってしまう。これは、もう仕方がないかなあ。もともと極めて機能的ではあるがそれほど重厚なサウンドではないこのオケにこれだけの音を出させようとする無理が解ってしまうんですよね。

また、2楽章と3楽章も丁寧に丁寧にとするあまり、この二つの楽章にある魔的な魅力が激減してしまう。一発ここではキレないと・・・と僕は思うのだが、ティルソン・トーマスはそこまでやるには理知的に過ぎるのかもしれないなあ。

だから、全体を聴き通した感想としては、熱演ではあるが「熱演」とこちらが認識するに留まる、という感じである。9番はやっぱり(僕にとっても、そしてそれ自体の価値としても)特別な曲で、大脳皮質であれやこれや思えているような演奏は大したことがないんですよ。脳をすっ飛ばして、意識下に(もっと言えば魂にまで)直接入り込んでくるような演奏でなければ、マラ9の名演とは言えないでしょう(うううむ、そこまで言うか)。

で、あと5番と7番と8番がのこったこのシリーズ。7番はすでに録音済みとのこと。案外、7番が良いかもしれないなあ。8番も期待大。でも5番は、ここまでの流れをみるとはずれる可能性が大きいんじゃなかろうか(何となく)。

もし、この日記を見て興味を持たれたら、是非とも聴いてみてください。そして、感想など聞かせて頂ければ・・・・いろいろ批判めいたことも書きましたが、おそらく現在進行中のマーラーチクルスとしてはアバドのものと双璧のシリーズでしょう。21世紀最初のマーラーチクルスとしても、そして今最も旬のコンビによる記念すべき録音としても、充分すぎる価値のある演奏だとは思います。

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ティルソン・トーマスのマーラー最新盤がサンフランシスコから届く 2005年11月05日

実は、もうずいぶんと前に着いていたのだけれど、全部を通して聴いたのが最近になってからになってしまったので・・・・本年10月10日過ぎに発売されたばかりの、ティルソン・トーマス&サンフランシスコ響のマーラーチクルス最新盤、7番です。待ちきれずに、SFSストアに注文して送ってもらった次第。

まず、CD1枚に収まっていることに驚く。そして、聴いてみてまたびっくり。これはまあ、なんて言うか・・・いままでの、遅い遅いマーラーを予想していた僕には衝撃的でしたね。両端楽章のなんて早いこと早いこと!!

ティルソン・トーマス、7番は昔から得意だったというのはいろいろと噂では聞いていたものの、ここまでとは・・・とにかく、まあ、これまでの彼のマーラーの交響曲のなかでは最も破天荒というかハチャメチャというか・・・個性的きわまりない演奏です。

とにかく、鳴らす鳴らす、歌う歌う、その一方、飛ばすとばす、かと思えば、突如粘る粘る、止まる止まる・・・・いやあ、その指揮についていくサンフランシスコ響の巧さにも舌を巻きます。

ここまでのチクルスでは、ティルソン・トーマスの要求に息切れする場面も多々見られたこのオケ、この曲では、本来の高機能性を存分に発揮して、うまいのなんの・・・水を得た魚のよう、という表現がぴったりですね。

ある意味、6番や3番とは対極の意味で、ベストの演奏じゃないかしら??これがグラミー賞をとったら、さすがグラミー賞、はずしませんねええと改めて感心すると思うが、さああ、どうなりますやら。

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以上、すべて原文のまま。いま読み返してみても、7番の文章は、面白いですね(笑)

でもまあ、こんなところにひそかに応援している不惑のおじさんがいる、ということ、海の向こうにちょっとだけ、届けばいいなあ、などと思ったりするのでありました。


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予言は一部的中、一部はずれ

グラミー賞、発表になりました!!

で、なんと、MTT/SFSは、

Best Classical Album (Best Choral Performanceも同時受賞)
Best Engineered Album, Classical

の2冠(もしくは3冠)達成!!!!!

いやあ、とるだろうとは思っていたが、2ジャンルにわたる受賞とは恐れ入りました。でも、Best Engineered Albumはとるだろうという予言は当たったものの、Best Classical Albumには届かないかもしれない、という予言は外れ。

ううむ、取るとだけ言っておけばよかった・・・・

でも、グラミー賞の審査員って、やっぱりその審美眼、確かですねえ。しみじみ。

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