不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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尾高忠明とエルガーの組み合わせはやはり日本では無二のもの

いい演奏会だったと思うけど、客の入りは良くなかったなあ・・・・

大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル 第434回定期演奏会
尾高忠明指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
メゾ・ソプラノ 重松みか
エルガー:海の絵 作品37
エルガー:交響曲第2番変ホ長調作品63

オールエルガー、しかもマイナーな2曲という極めて渋いプログラム。これで、客は入らないだろうと思っていたが、実にその通りで、正面バルコニーはほとんど誰もいないという状況。全体の入りも、推して知るべしです。

でも、今日の演奏、僕は本当にいいものを聞かせてもらったなあ、と思います。正直。

「海の絵」は、3曲目が秀逸。なんていうんだろう、「ブリティッシュ・クラシック」という言葉で済ませられればどんなに楽だろう、と思ったりするのだが・・・・要するに、そういう言葉が指し示すような、一種独特の、「高貴な」「香気」がそこにあって、それを嗅ぐことの幸せ、それが一番でしたね。

1曲目も立派な演奏で、ここまでは、これこそ知られざる佳曲、後期ロマン派のオーケストラ伴奏つき歌曲というものの存在感に圧倒される思いで聞いていたのだけれど、残念ながら、5曲目が安っぽくていけませぬ。5曲目の出来が良ければ、シュトラウスの「4つの最後の歌」と並ぶ名曲となっていたかもしれませんな。

尾高忠明の達者ぶりは、この前半の歌曲から全開で、後半の2番においても、陶然とするぐらいのもの。この曲、この日記を読んでいる人ならご存知の通り、以前湯浅さんの指揮で関西フィルの定期、わざわざ聴きに行って失望して帰ってきたんですよね。その時の演奏に比較すると、実際のアゴーギグやアーティキュレーションは湯浅さんのほうがずっと濃厚であるにもかかわらず(それは、冒頭のB音の引き伸ばされる時間ひとつとっても明らか。湯浅さんのほうが倍近く長かったんじゃなかろうか?)、音楽の豊かさ・豊饒感は、ずっと今日のほうが上。

むしろ、湯浅さんのほうが、エルガーを英国出身の指揮者が指揮したときにそこに生じる、ある種「イギリスなまり」と言っていいような「癖のある」歌い回しを忠実になぞっていて(それは例えば、上行の早いパッセージの後に微妙なタメをおく、といったものだけれど)、その意味では、より「エルガーらしい」演奏だっただろう。

でも、そういう「小手先」の工夫よりも、もっとずっと大きな「英国精神」というものがこの2番の交響曲の背後にはあって、それが見通せるか見通せないか、がこの曲の演奏の成否に大きく掛っているように、僕は思うんです。だって、普通にこの曲を振っても、はっきりいって何が面白いんだか、一体どこに行こうとしているのか、さっぱりわからない、どうということのないのんべんだらりとした物で終わって仕舞いかねない。その意味では、極めて「やっかい」な曲ではないか、と僕は思ってるんですよね。実際、僕だってこの曲の美しさというもの、実感をもって感じられるようになるのに、かなりの時間を要しましたもん。

その意味で、尾高さんの指揮にはある種の「確信」が感じられて、曲の持つ「精神性」が(それが具体的に書けるなら、曲を聴くという行為の意味が無くなるでしょう、やっぱり)オーラのように胸にしみる、一級という言葉をもって賞賛してもなんら恥じることのないものだったです。

もちろん、それに応えた大フィルの健闘もたたえてしかるべき。特に、最後の引き伸ばされた和音を見事に吹き切ったホルンセクション、今日は心から拍手を送りたいです。

でもまあ、こういう演奏をこそ、大阪のみなさん、聴いていただきたいものでありますけれどねえ、ぐすたふくんとしては。

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

コンサートゴーアー8年目に突入いたしました。これもひとえに、皆様のおかげでございます(笑)。

今年の目標は・・・・アムステルダム・コンセルトヘボウ!!これです。

でも、京都公演の曲目がいまひとつ・・・・こうなったら、他の公演にしようかしら?などと思っていたりするのでありまする。

でも、2万円以上のチケット代が・・・・こすもすぅ、ヘルプミー!!

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