不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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大阪を大事に

昨日は、風邪気味で体調下降気味(やっぱりこすもすの風邪をもらったのかしら)。加えて、ついにおばあちゃんが新型インフルエンザを発症。家庭内隔離。やれやれ。

でも、前の職場の上司が業界団体のトップに就任したのでそのお祝いの会をと前々から誘われていた会に出かけました。こればっかりは、休むわけにはいかない。

これまで、東京が独占してきたポスト、初の大阪からの就任ということで、画期的なことらしい。だから、ちょっと内輪の会、大阪ゆかりの人たちが集まってのパーティ。場所としては、やはりロイヤルホテルで・・・・ということになったみたいですね。

挨拶にたった、もう今は引退した重鎮の言葉が心にしみる。

「大阪は、なんでも最初に始める街で、いろいろ工夫をして何とかものにして、それが肉体労働になったころには東京にゆずると、まあそんなものでありまして・・・ここでいろんなものが始まった、そのことを誇りに、これからも大阪、大阪の私たち、大阪の仕事、皆さんで精進してまいりましょう」

そうですよね、先輩。僕も、そう思います。

微力ながら、みんなのお役にたてれば・・・僕は僕のできることを、やらせていただきます。

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来てよかったか、損したか・・・・関フィル定期

ううううむ、という演奏会

大阪 ザ・シンフォニーホール
関フィル第216回定期演奏会
藤岡幸夫指揮 関西フィルハーモニー交響楽団
ピアノ:シュー・ツォン
吉松隆:鳥たちの時代 作品25
サンサーンス:ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22
ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲

今年初めての関フィル。毎回書いていることだが、よっぽどのことがない限り、僕は関フィルを聴きに来ません。なぜなら、来て損した、と思うことが多いから。

記録をみると、なんと2008年は一度も聴きに来ず。2007年6月の湯浅さんが振ったエルガーの2番を聴いて以来、丸2年と半年ぶりですね。このときのエルガーの演奏で、もういいや、と思ったのが大きかった。

今回は、吉松さんの「鳥たちの時代」がどうしても聴きたくて、抑えきれずに馳せ参じた、のだが・・・・結論からいえば、「関フィルは関フィル、藤岡さんは藤岡さん」というところでしょう。

「鳥たちの時代」・・・僕は、吉松作品のなかで、生き残るのはこの曲と「朱鷺」と「サイバーバード」の3曲だと思っている。それくらい、好きな曲。心から感動するが辛さが身にしみる「朱鷺」や「サイバーバード」より、希望の光と飛翔する精神の気高さがほの見えるこの曲、僕はより繰り返し聴く気になれるんです。

CDにも録音している藤岡さん、この曲はいかにも知り尽くした、という感じで、うまく音を作っていました。吉松氏本人がライナーノートに書いているように、ここでは「翼を広げる様」「羽毛の柔らかさ」「群れをなして飛翔する姿」が音にされる。それが、実際にどのようにオーケストラを使って達成されているのか、それを実際に目の当たりにできたことは得がたい経験。これは、来てよかった、と素直に思いました。この作曲者、やはり只者でない才能の持ち主である(あった?)ことに、心から感服。

そして、これはライブでみないとなかなかわからないことだが、かなりの部分がチャンスオペレーションで書かれていて、それを絶妙にコントロールする藤岡さんのしぐさがなかなかの見もの。これも、見に来てよかった(笑)。

サウンド的にも、最後の「The Sun」のラスト、無数の鳥たちの羽ばたきと飛翔を思わせる音群、地平線から立ち上る神々しいばかりの朝日の輝きを思わせるコラール、この音を聞かせてもらえれば、もうなにもいうことはありません。

でまあ、どうしようかな、と思ったんですよね。ここで帰ろうかと。一番安い、3000円のB席、これで帰っても損はなかろう、とも。でもねえ、ここで、でもせっかく3000円も払ったし、と思いなおしたのが運のつき。居残ったのが間違いだったですね(そこまで言うか(^^;;)

サン・サーンスは、まあこんな曲ですし(どんなや、っちゅうねん)、ソリストも「グランド・マナー」でバリバリと弾き飛ばすし、楽しませていただければいいかな、と思いながら聴いてました。ある意味、ショーピース・映画音楽といってもいいようなエンターテイメント追求の曲、あまりごちゃごちゃ言わずに耳に心地よければそれでよし、だからこれはこれで悪くはない。

ところが、ルトスワフスキが、ねえええ・・・・・・以前尾高さんが京響を振ったのを聴いた時には、そのサウンド・スペクタクルに感動し、「音楽の精神性からは距離をおくものの、これはこれで」みたいな記事を書いた記憶がある。その時はそう思ったのだが、この曲をただサウンド・スペクタクルとしてとらえることがいかに皮相的なものか、思い知らされる演奏。これが「聴いて損した」と思わせた最大の原因ですね。

実に、藤岡さんの指揮、この曲を力任せにぶん回しているもので、聴いててしんどいことこの上ない。同じようなフォルテのTutti、がなりたてる金管の絶叫が繰り返されるだけでは、この曲のスケール感だとか、実は周到に組み立てられた構成感だとかが、全然聴いているこちらのほうに伝わってこない。表現が単調で、場当たり的なんですよ。これは、藤岡さんが振ったときにしばしば感じることだが、やはり今日も一緒。そしてまた、関フィルのサウンドも、どうにも収斂しない、どこに行こうとしているのかわからない、というものに終始。これもまた、演奏能力ぎりぎりの曲をやったときの、エキストラ満載背伸び関フィルにありがちなサウンドですね。

聴いて損した、って思うって、聴衆としては最低ですよね。

前にも書いたけれど、こんなことしてたって、単に演奏会をイベントみたいにぶち上げてるだけじゃないですか。どうしたいのか、どこへ行こうとしているのか。もし、それがあるのなら、それに相応しい選曲とメンバー構成があってしかるべき、と思うのは僕だけだろうか?そういうことをしない限り、いつまでたっても「関フィルサウンド」なんてできやしないと思うし、「関フィルの音を聴きたい」とは思わない、少なくとも僕は。

その意味で、まだシンフォニカーの方が姿勢がはっきりしてて偉いと思うけどなあ。

来年、創立40周年、そして新たにデュメイ氏を音楽監督を迎えるとのことで、大々的に大きなプログラムをぶち上げている関フィル。「復活」なりとも聴きにこようかとおもっていたぐすたふくんだったが、今日の演奏を聴いて、やっぱりやめよう、と思ってしまったのでありました。

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Trondhem soloists

ネットでさらに検索。

「Norway のMusic Conservatory in Trondheim の学生が中心となって作られてるアンサンブル。 Ann-Sophie MutterとVivaldi "Four seasons"を録音したことによって、段々注目を浴びてきてる人達。 先日のコンサートでは、Ann-Sophie MutterがTourをキャンセルしたにもかかわらず、Joshua Bellと Vivaldi "Four seasons"のコンサートを成し遂げてました。もちろん、Four seasons は素晴しかったけれど、Norwayのcomposerの曲zwei nordische weisen ops 63, Sarek , and Orawa が凄くよかった。うまく言い表せないけど北欧っぽい曲で不思議だった。

Ann-Sophie Mutterと一緒に結構いろんなところをTourでいっているらしい。日本にも行ったらしい。 普段オーケストラとかアンサンブルだと若い人少ないけれど、ほとんどここの人達学生とかセミプロなどで、若いメンバーなので、フレッシュな
感じの演奏が良いです。」

そうか、何回もこの「オラワ」演奏してるんだ、レパートリーなのね。

こういう情報がすぐに手に入るのも、ネット時代の果実・・・ですね。

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iTune store で「オラワ」を買う

キラルの「オラワ」、もうすごく気に入ったので、いてもたってもいられず、iTune storeで検索。

こんなマイナーな曲のディスクなんてあるんかいな、と思ったら、2枚のアルバムがヒット。さわりを試聴して、トロンハイム・ソロイスツ(Trondheim soloists)というアンサンブルのものが気に入ったのでダウンロード。で、今聴いてます。いやあ、いいです、やっぱりいい。

この演奏、めちゃくちゃ上手い。途中の、元弓のザザッ、ザザッっていうアタックなんて、金曜日に聴いた大フィルでもぞくっと来たが、それを凌駕せんばかりのテンション。グッときますね。ラストなど、それこそ乱舞というに相応しい素晴らしいストリングサウンド。ただただ、圧倒されます。

このアンサンブル、ウェブで検索すると、ノルウェーのアンサンブル(ああ!!やはり北欧!!)。へえ、全然知らなかったなあ。

でも、こうやって自宅にいながらにして、今聴きたい、心がその音を渇望している、その飢えを癒すように、音楽を手に入れることができる・・・・しかもまあ、ふつう日本ではめったに手に入らないようなものを・・・・・これこそが、ネット時代の光・我々が手に入れることのできた果実、といっていいですよね。

しかし、これを聴いたら、今週の金曜日がどうしても、どうしても・・・また、書くことができたら書きます(笑)。

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今年の外国人指揮者のラスト・・・大フィル定期

実は、今年初めてのこすもすとのデートコンサート(^^)

大阪 ザ・シンフォニーホール
クリストフ・アーバンスキ指揮大阪フィルハーモニー交響楽団
ピアノ独奏:ペーテル・ヤブロンスキ
キラル:オラワ
ショパン:ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調作品93

今年は、客演外国人指揮者は3人。いずれも若い人で、おそらくこれは、監督の意向が強く働いているのじゃないかなあ。特に、前回のフルシャ君と今回のアーバンスキ君はともになんと20代!!!

で、この二人が選んだ曲が、「お国もの」もしくはそれに近いラインアップで、かつかなりの自信のあるものをメインに据えている、と思われる点で共通している。実際、今回のアーバンスキ君はポーランドの出身で、選ばれたのが前半のポーランドもの2曲とソビエト東欧ものと言っていいショス10という組み合わせ。監督が、そうしてくれ、と言ったんじゃないかなあ。オケ、聴衆、双方のために。ここまでいろいろと聴いてきたけれど、やはり「お国もの」がもつ魅力・「お国もの」でなければ存在しえない音楽、というものが厳然として存在するのは事実だし、指揮者のここぞという「勝負曲」の放つ光彩の見事さはほかに代えようのないものだ、と思うもの。

僕がそう思ったのは、ひとえにショス10の出来の故。ショス10、正直に告白してしまうと、ぐすたふ君、昔から苦手なんですよ。これ、何回かこの日記に書いているから、またか、と思われるかもしれないが、この曲の私小説的暗さ、やたらに神経に障るんですって。だから、自分から滅多に聴こうとは思わない。

で、ショスタコの魅力というもの、こういう暗い深刻な曲を徹底的にエキセントリックにやることで現出する面があることは、僕は否定しない。嫌いだ嫌いだ、といいながら、実際にそういう音楽の圧倒的な闇の力を目の前にしたとき、その抗しがたい感動に身を震わすことになる自分も知っているんです(なんという矛盾した感情!!)。

この若い指揮者が、ついこの間大フィルがやったばかり(記録を見ると、2004年のヘンリク・シェーファー指揮でやっている。大植さんが聴きに来てたやつですね)のショス10を振る、となると、さてどうなるんかいなあ、という(まあ生意気な!!)斜めに構えた感じで臨んだわけですよね。

当然、先入観で臨むと、さっきも書いたように、フルボリューム振り切れの絶叫調・佐渡節ライクなものになるだろうと思うのが人情。ところが、あにはからんや、これが「巨匠然」としたスケール感を感じさせるものになっていたのにはちょっとびっくり。ずいぶんと膨らみのある、いい音が鳴るんですよ。

どう表現したらいいのか困るところもあるけれど、この指揮者の棒が確信をもって振りぬかれるとき、そこにはムラヴィンスキーの棒から聴かれたような一種「これ以外はない」というような音像を感じる。これこそ「勝負曲」。その圧倒的存在感に、思わず体が前のめりになるのを感じるとき、ああ、やっぱりこれは一級のそれだ、と・・・ただ、その一方で、ひどく平凡でいらいらするようなところも少なくない。こういうところが、最初から最後まで一貫したパースペクティブで貫かれて、弛緩しないようになるには、それなりの年季を要するのだろうなあ。ただ、この指揮者がこれから大きくなっていくなら、彼の今を聴かせてもらったことは、聴衆としては得難い機会なのかもしれないけれど。

ただ、ショスタコが徹底的に嫌いなこすもすには、ただただ「勘弁してもらいたい」「耐えられない」演奏であったようではありました(^^;;)。まあ、これには決して反論はいたしませぬ(笑)。

一方、キラルの「オラワ」という曲は、これこそ「お国もの」を聴く楽しみの最たるもの。短い断片的な音細胞が、延々と繰り返されるうちに変容を遂げていく、ミニマルミュージックライクな、いわゆる「いちめんのなのはな」音楽なのだが、これが非常に面白くて・・・こすもすとも意見が一致したのだが、今日一番の掘り出し物、ですね。ヤブロンスキ君の棒も、冴えたものです。

で、こすもすと一番意見が分かれたのは、何を隠そうショパンのコンチェルト。これねえ・・・・

正直、ぐすたふ君、面喰いました。僕が思っている「ショパンのコンチェルト」とは、あまりにもかけなはれたもの。徹頭徹尾、ピアノはくぐもったような、それこそ東欧の曇った空のようなサウンドに終始し、オケもまたその微妙な陰影の移り変わりを邪魔しないように背景に徹する、という演奏。そこには、ほとんどと言っていいほど、華麗なピアニズムやコンチェルトに求められるはずの名技性の披歴といったものは見られず、まるで小さな部屋でひかれる「ピアノ独奏曲」を聴いているようである。

こすもすは「これこそが、ショパンのピアノの本質よ!!ショパンって、こういう音楽なのよ!!」とのたもうておられたが、僕は少々当惑を隠せない。

そのヤブロンスキ氏の「ショパン」は、アンコールにおけるマズルカでも一緒で・・・コンサートホールに背を向けたような、極めて「パーソナル」と言っていいような音・・・ショパンって、こんな音でひかれるべきものだったろうか?

僕にとってのショパンとは、ポリーニの弾くエチュードのそれ、そして中村紘子が弾くコンチェルトのそれ、だったのだが・・・・華麗な響き、ピアニズムの極致・・・・それは実は、間違ったイメージの産物なのだろうか??

ヤブロンスキ氏、今回の演奏に際しては、今はやりのナショナルエディションではなく、過去のいわゆるパデレフスキ版を用いているとのことだが、ここらあたり、それこそ自分の「レパートリー」に対する確固たる自負のようなものを感じる。スウェーデン生まれということだが、ヤブロンスキというラストネームが意味するように、おそらくはこの人、ポーランドの出自を持つのは間違いない。その彼が、ショパンを演奏するということ、おそらくはそのこと自体が、僕たちが想像することもできない重い意味と思いがそこにあるのかもしれない。

でも、こすもすの感激・感嘆の言葉を聴いているうちに思ったのは、結局、僕は所詮シンフォニー・コンサートゴーアー、ピアニストではない。故にショパンという作曲家、僕にとってはひときわ「異邦人」なのかもしれないですね。ショパン、僕の中ではいまひとつ明確な像を結んでいない、理解しているとは到底いえない、ということなのかなあ、と思い知った次第でありますね。

来年はショパン生誕200年、ここはひとつ、あまり守備範囲とはいえないピアノ音楽の巨匠、正面切って取り組むのもいいかもしれないなあ・・・・実は、うちにはショパンの全ピアノ作品を網羅した全集があるわけで・・・・ううううむ、不惑わくわくプラス6、来年の課題が見えてまいりましたねえ。

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コミュニティ・コンサート、ですね。

去年はこすもすだけ行った、小さなコミュニティコンサートです。今年は、ふたりででかけました。

京都 某お寺の本堂(^^)
ヴィオラとピアノによるミニコンサート
ヴィオラ 安積宜輝・大槻桃子
ピアノ 安積伸子
バッハ:メヌエット(BWV.114/115/116)
ボアモルティエ:ソナタ
ライネッケ:幻想小曲集よりロマンス
メンデルスゾーン:歌の翼
バルトーク:44の二重奏から「マラマリシュの踊り」「悲嘆」「前奏とカノン」
ドビュッシー:月の光
フランク・ブリッジ:ラメント

お寺のお堂、本尊様の前の広間に座布団をひいて座り、演奏を聴くという、確か前に京都市内の寺院で長原君のカルテットでも同じようなコンサートがありましたっけ。

じつは、これ以外にも、「どんぐりころころ」と「ゆうやけこやけ」を同時に歌う、とか、みんなで「もみじ」をヴィオラオブリガートつきで歌うとか、いかにも小さなサロンコンサートならではのお楽しみもあって、それはそれで楽しかったんだけど、演奏自体もなかなかの聴きもの。

特筆すべきは、このなかで唯一、オリジナルからヴィオラ・デュオのために書かれたフランク・ブリッジの「ラメント」。このときの、ヴィオラの安積さんの迫力はちょっとこちらが気圧されるぐらいのもの。なかなかこのひと、コンサート・プロとしてはかなりのレヴェルの人、と聴きました。残念ながら、相方の大槻嬢の出来がそこまででなく(音の出だしの切れが、明らかに劣る)、このひたすら内面に向かおうとする渋い曲、もう少し厳しいところまでいけるかなあ、という感は無きにしも非ず。でもまあ、そこまでやると、コミュニティコンサートを逸脱してしまいますわな(笑)。逆にいえば、こんなコンサートにこんな曲を選んでくるあたりも、安積さんのアーティストとしての尖がり具合の証左でありましょう。

それと、やはりバルトークのデュオも出色。この曲、もともとヴァイオリンデュオのために書かれたもので、僕も楽譜を持っているのだが、実際のところここまでの曲とは知りませんでした(笑)。土着民謡の匂いと体臭、そしてモダンな響きを、ここまで切り詰めた編成と構成でやってのけれるものなんだ。これも、こんなコミュニティコンサートに持ってくるには先鋭的な選曲ではありますよね。

ヴィオラのお二人、兵庫PACオケのメンバーとのことだが、これからますます期待、ですね。こんな近所で、それこそ膝を突き合わせ、一級の音聴かせてもらえて、感謝であります。来年もまた、ご縁があれば。

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