不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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2011年の最後に、カラヤンのベートーヴェンを聴きながら

ベートーヴェン 交響曲全集・序曲集
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
録音 1975-1977

大植さんの演奏を聴くと、それこそもう一度その体験を反芻したい衝動にそのあと数日さいなまれることになる。それがかなわないから、他の演奏をとっかえひっかえ聴くことになるのだけれど。

うちにある第9といえば、ラトル・ウィーンフィル、バレンボイム・ベルリンシュターツカペレ、ジンマン・チューリヒトーンハレ、ノリントン・ロンドンクラシカルプレイヤーズ、チェリビダッケ・ミュンヘンフィル、コンヴィチニー・ゲヴァントハウス、イッセルシュテット・ウィーンフィル、そしてカラヤン・ベルリンフィルの1962年録音のレコード。

レコードは簡単には聴けないものだから、iTuneにとりこんであったカラヤン以外の演奏をそれこそ片っ端から聴いて行きました。聴くだに、昨日の演奏を反芻し、そしてその違いからそれぞれの演奏の美点を味わい・・・そんな一日。

で、そんなこんなしているうち、ついついiTuneを検索。そしたら、どうしてもカラヤンの1977年の録音が聴きたくなってしまい・・・ついつい、全集もろともダウンロード。あああああ、4500円が一瞬でぱああああっと・・・いつもながらの、極道ぐすたふくんの後先考えない衝動買い、でありますな。

いやでも、この演奏の何というゴージャスなことだろう。1970年代のクラシックのメインストリーム、それはこういう匂いと触感だったんだ。

1977年って言えば、僕は丁度14歳。ああ、偶然にも中学三年生の時!!でも、この新録音は高くて買えなかったんだろうなあ。1962年盤を買ったところだった、っていうのもあっただろうし。

この全集のことは、学校の図書館の雑誌棚にあったレコード芸術の特集記事で読んだのを憶えている。記者が、録音場所のフィルハーモニーホールに行ったら、ベースが8本も居たが、欠席した人間のことをマネージャーが尋ねていた、と言うくだりを妙な鮮明さで記憶している。なんで、こんなこと憶えてるんだろう?

その記事を読んでいたのは、学校の雑誌閲覧室。この記憶の僕の視界には、曇った空が広がっている。図書館の高い天井と、本の匂いと、そしてストーブの石油の匂いと。

カラヤンは、やっぱりその頃の僕にとってはスーパーヒーローだった。新譜が出れば、記事には必ず目を通していたけど、お金のない中学生にとっては、新譜は高根の花だったからね。

今の僕が、そんな中学生の僕が渇望していた演奏を、ひょいっとダウンロードして聴いてるんだなあ。

今、ヘッドホンからは、カラヤン美学炸裂の豪華絢爛たる演奏の奔流。これはこれで、何と魅力的なことだろうか。そんな演奏を、聴きたいと思ったら、自宅にいままにしてすぐに聴くことができる、そんな時代になるだなんてそのころの僕には想像もつかなかっただろう。

でも、今この演奏を今の僕が聴いたって、そこには、あの時にあの時の僕が聴くことができた場合の、その何分の1の価値しかそこには無いような気がする。

聴いているだろうか、中学生の僕。時間もなく、お金もないけれど、想いばかりは大きく、それを必死で追いかけるだけで幸せだった君に、今の僕からささやかなプレゼントができたなら、うれしい。

もうすぐ年が変わる。不惑40代、最後の年が始まる。

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村上・小澤の対談集を読む

話題の新刊本です。今日、買って読みました。

いつも思うのだけれど、村上春樹という人はどうしてこうも真っ直ぐでいられるのだろう、と。その姿勢にまた真っ直ぐに応える小澤さんも凄い。この二人の姿勢が、やはりこの本を一級の読み物にしているように思います。

願わくば、僕もこのように生きることが出来たなら、音楽に対して、このように真っ直ぐに向かいあえて行けるなら、と思います。

ただ、マーラーのくだりは、マーレリアンとしては、何をいまさらこんなことぐだぐだゆっとんねん、という思いもしましたが(笑)。

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エイリアンにハンソンの交響曲2番

BSでエイリアンをやってたので、ついつい見てしまいました。こわいですねえ、何回見ても。

シガニーウィーバーの若い肢体の眩さ、そしてその演技と圧倒的な存在感に、改めて感嘆。

そして、最後の最後、彼女の安堵を包み込むような優しい音楽・・・これってもしかして・・・

やっぱし、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」!!!

いやああ、知らずに見てましたねえ。初めて見た当時、てっきりオリジナルの映画音楽と思っていたけれど違ったんだ。

しかし、この選曲、抜群ですね。

名作に名曲、映画音楽って20世紀ならではの財産だと思います。

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MTT/SFS、マーラーチクルスの最後のCDを買う

MTT/SFSマーラーチクルスの12タイトル目(1-9+大地+嘆きの歌で11タイトル、その次ですな)、待望の、と言いたいところだが、正直言って、あんまり待望では無かったりしたんですね。無くても良いんじゃないかと(ごめんなさい、MTT(笑))

「Songs with Orchestra」というタイトルで、「さすらう若人の歌」「リュッケルトの詩による5つの歌曲」「角笛から抜粋」の3部構成。おそらくは、「大地」も「嘆きの歌」もシリーズに入れたんだから、オーケストラ伴奏つき歌曲を3番とカップリングした「亡き子」だけにしておくわけにいかないやろ、ということだったんでしょう。

ただ、それなら「角笛」を全曲網羅して2枚組にしてほしかったなあ。

ただ、そうなると音源としてのコンサートが組みにくい、という実際上の都合があったんだろうけど。「角笛」からの5曲は、「塔の中の囚人の歌」→「少年鼓手」→「トランペットが美しく鳴り響くところ」→「レヴェルゲ」→「原光」の抜粋でうまくアレンジされていて、たしかにコンサートピースとしては秀逸。でも、せっかく角笛から編むのに「魚に説教する聖アントニオ」だとか「この世の生活」といったマーラーを語る上で欠かせないピースが入らないのは、マーレリアンぐすたふくんとしては、ちょっと・・・という感じなんですよね。

最初、歌曲集がこのチクルスの最後にリリースされることが決まった、というニュースを聴いたときはさすがMTT!!!「嘆きの歌」を入れただけのことはある!!!と拍手喝采したのだけに、実際にリリースされた内容を知った時の落胆は大きかった。まあ、でも「角笛」まで録音する人はほとんどいないから、ちょっとでもやってくれただけ良しとしましょうか。

この「角笛」抜粋で特記すべきなのは、最後の「原光」がバリトンで歌われているところ。これは、さすがMTTで、チクルスで一度「復活」の4楽章として録音してるんだから、同じものを録音する愚を避けているわけですね。ここらへん、師匠バーンスタインが「角笛」抜粋のCDで、最後の「原光」を何のためらいもなくメゾソプラノで録音しているのとは、やっぱり違います。

そして、このCDでの最良のものは「リュッケルトリーター」でしょう。とにかく、音の・響きの美しいことと言ったら!!素晴らしいサウンドです。

これは、MTTの丁寧な音作りと、SFSの繊細な音と、そしてなにより録音スタッフの優秀さ、この三位一体によって成し遂げられたと言って、過言ではないでしょうな。出だしが「私は柔らかな香りを嗅いだ」から始まるのだが、この出だしの音の透明さなど、これ以上のものがこれまであっただろうかとまで思ってしまうし、3曲目に置かれた「美しさゆえに愛するのなら」の堂々たる絶唱は「Don't Cry for me, Arzentina」を彷彿とさせる感動的なもの。4曲目に「真夜中に」を置いて、5曲目に「私はこの世に忘れられ」を置く並びは、たぶん「私は柔らかな香り」とのシンメトリーを意識したのだろうと思われる。静寂のなかから始まった連作歌曲が、また静寂の中に溶けていく過程の、これまた何という美しい響き!!

この5曲を聴くだけでも、このCDの価値は十分にある、と思います。

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ブルックナーの9番と、ヴァント・WDRの全集

この話は、以前にもどこかで書いたことがあるかもしれない。

僕がちょうど今のろんろんの年齢だったころ(おそらくは高校1年生から高校2年生だったと思うのだが)、僕はラジオの深夜放送にどっぷりと浸かっていた。いわゆる、ながら族、という奴(いまや、死語、かなあ)。聴いていた番組は、当時の若者の例にもれず、オールナイトニッポンだとかABCヤングリクエストだとかヤングタウンだとか欽ドンだとか、そういうもの。でも、好んで聴いていた中にFM大阪の番組もあって、それは例えばジェットストリームだったり、「あいつ」(この番組、憶えている人いるかなあ?)だったりしたのだが、そのうちの一つに「クラシック・メディテーション」という、たしか水曜日深夜(木曜早朝、とも言いますわね)2時から3時までの番組があった。

この番組のオープニングが、シェーンベルクの「浄夜」第2部分の出だしの、あのヴィオラ以下のなんとも印象的なむせぶような旋律。いかにも「深夜」の「濃密な夜の香り」!! 当時、僕はこれが「浄夜」のそれとは分からなくって、この美しい曲は、一体、誰のなんという曲なんだろう、と思いつつ、真っ暗な自室で、イヤホンを左耳に突っ込みつつ、蛍光灯のスタンド光の下、カセット・テープレコーダーに向かって頬杖をついて聴いていたんですよね。

そんなある日のこと、それは多分番組開始15分ほど過ぎたところだったと思うのだが、ナレーションの女性がこんな言葉を呟いた。

「第9は一つの限界のように思われる。
それは、一種の超えてはならない壁のようなものだ。
第9を書いた者は、神の領域に近づきすぎたのだ」

もう30年もまえのこと、正確にはほとんど憶えていないが、大体このような文言だったように思う。そして突如、闇を突いて吹きあがるように、ヴァイオリン群がG線上でのlow HからCへの9度跳躍による絶唱を始める・・・・

これが僕が聴いた初めてのブルックナーだった。

もうお分かりと思うが、これこそが9番の3楽章の開始。実に、1時間のこの番組の半分にもなんなんとする時間がこの曲ただ一曲!!(今から思えば、なんちゅう選曲や、と思うけど)。その間中、僕は身動き一つ出来なかった。なんという音楽だろう!!!彼岸と此岸との間に峻厳として横たわるかのような、それこそ「この世のものとは思われない」音楽!!深夜の真っ暗な部屋のしんと静まり返った空気の中、それはまるで天啓のごとくに僕の体を撃った・・・

この時の体験が、僕のブルックナー感を決定づけたと言っていいですね。

だから、僕にとってはブルックナーといえば、この曲、なんです。他のどの曲が無くなっても、一向に構わない。この曲さえあれば・・・・この曲だけ、特別、なんですよ。

というより、この衝撃の出会いのあと、ブルックナーのどの曲を聴いても、全然ピンと来なくって、はあああ?なんですかこれ? 長いばっかりで、つまらん曲ばかり!! ホンマに同じ作曲家か?、という状態が長く続きました。9番以外の曲をFMでエアチェックしても、物理的に耳には曲は入ってくるのだが、脳に届かない、そんな状態。

だから、高校生の間は、ほとんど9番ばっかり聴いてたんじゃないかなあ。後で調べて、このとき放送された演奏が、カラヤン・ベルリンフィルのものだったということを知ったのだが、当時の僕にはこのレコードを買おうにもお金がない。そんなもので、友人が持っていたヨッフム・ベルリンフィルの廉価盤をカセットに録音して、それこそ擦り切れるくらい聴いてました。

だから、僕の中では、ヨッフムのこの演奏が定点としてある。剛直で真っ直ぐでダイナミック、その一方悠揚迫らざる大きな存在感も湛えた演奏。残念ながらこの演奏、単体でCDになっていない。数年前に同じヨッフムでシュターツカペレ・ドレスデンとのEMIの全集を買って、わくわくしながら9番から聴いたのだが、この演奏とは全然違うもので、滅茶苦茶がっかりしたんです。全然、とまで言うか、という話もあるかもしれないが、この9番と言う曲、ほんのちょっとの違いで、そこに「立ち現れるもの」がガラリと変わってしまうんですよね(そう思うのは、僕だけなのかしら?)

そんなもので、この全集に限って言うと、9番はほとんど聴かずじまい。ほかの初期のもの(前にも書いたが、1番と2番が秀逸)ばかり聴いていたんだけれど・・・そしたら今回、ヴァントがWDRオケを振った全集が廉価の限定盤でリリース。ユングさんがネットで絶賛していたので、随分前から予約していたんです。ところが、発売が延期に次ぐ延期、やっとのことで昨日送られてきた次第。そこでぐすたふくん、期待半分・不安半分、9番から聴いてみたんだけれど・・・・

!!!!これよ!!これこれ!!これですって!!!これが聴きたかったんだ!!

9番に限らず、この全集、どの演奏をとっても、毅然・剛直、終始一貫前のめり。早めのテンポをとり、豪快にブラスを鳴らしていて、エネルギッシュかつ生命感にあふれたもの。ある意味、「ごつごつした」肌触りがする。そうでありながら、独特の何とも言えない「存在感」がある・・・「体臭」と言い換えても良いかもしれない。音も良く、その点でもヨッフム全集のEMIのART処理に感じる違和感が無いのがうれしい限り。いい全集です、これ。

遅いテンポでじっくりと聖性を練り上げ、彼岸の存在を現出させる行き方もあるだろうけれど、僕はこういうのが好きだなあ・・・・そんなことを思いつつ、今日の日曜日は日がな一日、ヴァント三昧なのでありました(笑)。

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吉松隆のピアノ協奏曲

吉松隆の曲のCDは手に入る限りは手に入れているんですね、ぐすたふくん。これも、どちらかというと義務感、に駆られてという側面がないわけではない。コンサートーゴーアーになる、と決めた8年前、最初に現代曲初演に立ち会うことになったのが、関西フィルがやった「ケンタウルス・ユニット」。そこで初めて、僕はこの「吉松隆」という作曲家に出会い、こんな曲(ちょっと言い方は悪いですが)が「現代曲として存在しうる(いや、演奏されうる、と言った方がいいか?)」状況になったことに(久しくコンサートホールに足を運ばないうちに!!)、驚嘆したんですよ。

そこから、関西での吉松作品の演奏会には可能な限り足を運び、CDを買って既発表の曲にはなるたけ耳を通してきました。

ビートルズもさだまさしもそうだが(何に例えるんや(笑))、この人もやはり初期の曲が図抜けていい。だんだんと良くない、と思ってるは僕だけかしら。ただ、これら初期の曲には、どこか「死の匂い」が漂っていて、それが聴いていてつらく感じられることがある。その辛さに耐えられる精神状態の時には聴く気になれて、その「死の匂い」の上に漂う白い響きの美しさが心を打つのだけれども。

だから、実際に好んで聴く、となると中期の曲の方を手に取ることが多くなるんですよね。この人のCDの中ではタイトルに書いたピアノ協奏曲が含まれたCDを一番好んで聴くんです(交響曲では、4番のシンフォニーだけど・・・そういえば、似たところがありますね、この2曲)。確かに、このピアノ協奏曲にも「死の匂い」はまだ残っているのだが、それが雪のような氷のような空気の中に「腐臭」を昇華し消し去っていて、素直に胸に落ちるんですよ。この点、下敷きにしたと作曲家が公言している、モーツァルトの27番のコンチェルトとの類似性を濃厚に感じますね。そういう、「本歌取り」の効果もある、と思います。

ただ、このピアノ・コンチェルト、シンフォニーオーケストラをバックにする「協奏曲」ではない、ですね。極めて「パーソナル」な音楽で、むしろ小編成で、それこそ25人くらいのオケをバックに、100人足らずの聴衆を相手に奏されるのが相応しいような気がします。

出来ることなら、そんな演奏会が実現されて、その場に居合わせることができたならなあ。どこかやってくれないかしら?

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けいおん!!

いい年をした不惑オヤジが何を書くんや、と思われましょうが・・・・ろんろんとりんりんがこのアニメ、大好きなもので、家族で今回のシリーズ、全部見通してしまいました。

でね、このアニメ・・・・なかなか、泣けるんですよね、これ。

特に、今回の第26話(番外編第2話)など、なんとも切ないんですよ。

卒業アルバムを先生に見てもらいに、風邪で休んだ先生の自宅を訪ねるメンバー、そしてメンバーたちが、先生のために夕食を用意している間、そのアルバムのなかのメンバーの写真をそっとなでる先生の表情、だとか

4人のメンバーが卒業するために、一人残される在校の後輩が、部室で一人必死でギターをさらっている、それをドアの外でメンバーが聴き、そして邪魔をしないように帰っていくくだりだとか

最後、太陽に向かって駆けていくメンバーのスナップ、だとか

そのあとの人生、そんなに甘いもんじゃない、そんなことはわかりすぎるくらい、この不惑オヤジ、わかっていますよ・・・・でもね・・・・自分もあの時、同じように、甘い甘い時の中で(それこそ放課後ティータイム!!)、それはそれなりに一所懸命にやっていた、その「時間」に対する甘酸っぱい感傷を呼び起こすに、このアニメは十分な内容を持っている。

そして、明らかにこのアニメの時間は、現実世界から遊離した、このアニメを制作している世代(おそらく同世代!!)の「青春時間」の仮想世界。それは、そこに登場する録音機器が、なんとカセットテープであることに如実に表れている。(一方で、デジタルビデオがDVDもしくはCD-Rに焼かれるのに!!!)

現在リアルタイムに「青春」を謳歌している世代と、かつての「高校生」がここで同じ仮想現実を共有し、同じ思いを共有することができる・・・そのことに、素直に感謝。

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オケ老人

高校の後輩が最近、作家になったらしく、この夏、関西ジャニーズの子の主演(錦戸亮くん、という人らしい)で、彼が原作の「ちょんまげぷりん」というのが映画になるらしいです(http://www.c-purin.jp/)。へええええ、がんばってるんやなあ。

それで、彼の書いた「オケ老人」という小節を買ってきて、読みました。

いやあ、懐かしいなあ。僕の高校の匂いがする。みんな、それぞれ、小節に手を染めるんだよねえ。そして、みんなで回し読みして、お互い楽しんでたんだよね。

その中でホントに作家になっていく奴もいるんだ。この荒木源君もそうだし、同級生で友人の井上剛も賞をとってデビューしたもんなあ(「マーブル騒動記」、これはホントに面白くて泣かせるいい小説です)。みんな偉いよね。

このオケ老人、アマオケをやってた人なら、にやりとしたり、うんうんとうなずいたりするところ満載の楽しい小説です。このブログ読んでる人で、興味があったら読んでください。

久しぶりに、昔のことを思い出しました。荒木君、ありがとう。

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ルノワール展に行く

今日は、家族みんなで大阪まで。国立国際美術館でルノワール展をやってるんで、こすもすの発案で出かけることになったんですよね。

ぐすたふ君、実は絵画の方にはとんと疎くて、ルノワールが印象派の画家だなんて実はぜんぜん知りませんでした。印象派、というとモネの(それこそ)印象が強く、ルノワールといえば、「ピアノレッスン」や「ダンス」に代表される、女性の肌の色が綺麗な画家、という認識しかなかったんですよね。

国際美術館、これも今回初めてでかけたのだが、どうせたいしたことないやろと高をくくっていたら、どうしてどうして、なかなかのボリューム。全部見るのにせいぜい1時間もかからないだろうと思っていたのだが、とんでもない話で、気が付いたらあっという間に1時間半。ろんろんはさあああっと飛ばして行ってしまい、待ち合わせを1時間半たったら、ということにしていたので最後の方はかなり焦りましたね。結局、2時間近く見ていたことになると思う。それでも、かなり端折ってます。

でも、来てよかったなあ。これだけの量(80点前後が出品されていたらしいが)をまとめて見ることが出来て、すごく勉強になりました。特に、最初印象派からスタートして、そのあとギリシャ美術にインスパイアされ、そこから画風がぐぐぐっと変わっていくあたり、まるで現代音楽でスタートして古典に回帰していく同じころの作曲家(ちょっとずれるかもしれないが、「春の祭典」の原始主義から新古典主義へと大きく舵を切ったストラヴィンスキーだとか、アヴァンギャルドから実用音楽へと舵を切ったヒンデミットとか)を思い起こさせて、非常に興味深いものがあります。

芸術の分野でも、社会の分野でも、人の営みっていうのは、それぞれが全く独立しているわけではなく、歴史の風というもの、そう言ったものに同じようにさらされているんだ・・・そういうことを、改めて思わされた気がしました。

死の直前にかかれた「3人の裸婦」、そこでの背景と人物が混然一体となった光のなかに溶けていくイメージ・・・今日の一番を上げろといわれたら、ぐすたふくん、これを選んでしまいますね。確かに、「可愛いイレーヌ」における髪の毛のマチエールの強烈さは、生でみて初めて感じられるものではありましたけれども。

今日の展覧会を見てしまうと、これはぜひ「モネ展」があったら見に行きたいなあ、と・・・・でも、無理なのかしらん?






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MTT/SFSグラミー賞受賞記念

MTT/SFS、グラミー賞受賞、おめでとうございます。うれしいです、ホントに。

で、お祝いの気持ちを込めて、これまでのぐすたふくんの、MTT/SFSがらみの記事の一覧を作ってみました。
(何をやっとんねんな、という話がございますが)

http://gustav369.blog101.fc2.com/blog-entry-20.html
http://gustav369.blog101.fc2.com/blog-entry-11.html
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200908290000/
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200907270000/
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200812130000/
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200812100000/

あれえ、こんなもんだったっけ?

7番のCDのこと、確か、前の前の日記に書いてたんだよなあ・・・・もう無くなっちゃったもんなあ・・・・

でもって、今は無きODNマイページの記事の中からとってあったものをガサガサとさがして、わざわざ出してきました(これくらいしか見つけられなかった・・・)

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MTTのマラ9を聴く 2005年08月13日

今日は、前々から買おう買おうと思っていたのだが、梅田のワルティで3500円で出ていたのでMTT/SFSのマラ9を購入。

前にも書いたかもしれないが、このMTT/SFSのチクルス、SFSのプライベート盤で、メジャーなレーベルの販路には乗っていない。だから購入するには、SFSのサイトもしくはamazon.comから購入して輸入するか、それともたまにCDショップの輸入盤コーナーに出ているのを見つけて買うことになるのだが、本来30ドル前後の値段であるはずのこのCD、どういうわけかショップの輸入盤になると5000円を超える値段がつく(!!)。で、そんなもん買ってられるかということで、僕はこれまでネットで購入していた(それでもoverseaの船便で頼んで、着くのに3週間もかかって、しかも6ドルから7ドルの運搬費用がかかる。ま、これは他のCDとの抱き合わせをすれば薄まるわけだけど)。

ところが、ワルティではこのマラ9だけがどういう訳か3500円!!他の、3番や6番は5300円なのに・・・・一体どういうからくりになってるんだか?

で、はれて手に入れたこのCD、わくわくとかけてみたわけだけど・・・・

この振りからしてもうお察しのこととは思うが、今回はハズレです。こうしてみると、グラミー賞の審査員の耳も確かだなあと思う。だって、これまでこのコンビのマーラーは出た順に6番→1番→3番→4番→2番→9番と来ているが、6番と3番がグラミー賞を取っていて、確かに僕が聴いても、この二つが図抜けている。6番は憑かれたような一種往ってしまっているような演奏だし、3番はティルソン・トーマスの音画作家としての魅力が炸裂で、丁寧な造形が本当に魅力的。

対して、1番は1楽章は良いものの終楽章でSFSが息切れ、4番は平凡な演奏、2番は目論んだであろう仕掛けが不発、といった具合で、必ずしもみんな良い出来というわけではない。誤解無きように付け加えるが、演奏自体はどれも極めて立派なもので、とてもコンサートライブとは思えない。録音もどのCDをとっても秀逸の極み、ホールトーンの豊かさとダイナミクスレンジの広さには下を巻く。ただ、強いて言うのであればという感じである。

で、今回のハズレの評価も、相対的に見て・・・ということと思ってもらってかまわない。というより、今回もSFSの演奏は現在のマーラー演奏の水準を軽くクリアする素晴らしいもの。これに文句をいうのもはばかれるくらいなのだが・・・

ただ、今回は、ティルソン・トーマスのマーラーに見られる丁寧な造り込みが逆効果になってるような気がする。やっぱり、9番は一筋縄ではいきませんな。

とにかく、演奏時間が約90分と、おそらくは9番の演奏時間の中では最長でしょう。のべつまくなしに遅いわけではなく、それなりにメリハリをつけてはいるのだが、遅いところは本当に遅い。で、こういうところでティルソン・トーマスがやりたい音楽は充分に伝わってくるのだが、いかんせんSFSがついてこれない。やっぱり息切れしちゃってるんですよ。だから、大きな大きな一息でまくし立てなければならないところ(特に4楽章)で音がぶちぶちと切れてしまって、聴いているこっちの方が「おおおおお、大丈夫か、おおお、がんばれがんばれ」状態になってしまう。これは、もう仕方がないかなあ。もともと極めて機能的ではあるがそれほど重厚なサウンドではないこのオケにこれだけの音を出させようとする無理が解ってしまうんですよね。

また、2楽章と3楽章も丁寧に丁寧にとするあまり、この二つの楽章にある魔的な魅力が激減してしまう。一発ここではキレないと・・・と僕は思うのだが、ティルソン・トーマスはそこまでやるには理知的に過ぎるのかもしれないなあ。

だから、全体を聴き通した感想としては、熱演ではあるが「熱演」とこちらが認識するに留まる、という感じである。9番はやっぱり(僕にとっても、そしてそれ自体の価値としても)特別な曲で、大脳皮質であれやこれや思えているような演奏は大したことがないんですよ。脳をすっ飛ばして、意識下に(もっと言えば魂にまで)直接入り込んでくるような演奏でなければ、マラ9の名演とは言えないでしょう(うううむ、そこまで言うか)。

で、あと5番と7番と8番がのこったこのシリーズ。7番はすでに録音済みとのこと。案外、7番が良いかもしれないなあ。8番も期待大。でも5番は、ここまでの流れをみるとはずれる可能性が大きいんじゃなかろうか(何となく)。

もし、この日記を見て興味を持たれたら、是非とも聴いてみてください。そして、感想など聞かせて頂ければ・・・・いろいろ批判めいたことも書きましたが、おそらく現在進行中のマーラーチクルスとしてはアバドのものと双璧のシリーズでしょう。21世紀最初のマーラーチクルスとしても、そして今最も旬のコンビによる記念すべき録音としても、充分すぎる価値のある演奏だとは思います。

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ティルソン・トーマスのマーラー最新盤がサンフランシスコから届く 2005年11月05日

実は、もうずいぶんと前に着いていたのだけれど、全部を通して聴いたのが最近になってからになってしまったので・・・・本年10月10日過ぎに発売されたばかりの、ティルソン・トーマス&サンフランシスコ響のマーラーチクルス最新盤、7番です。待ちきれずに、SFSストアに注文して送ってもらった次第。

まず、CD1枚に収まっていることに驚く。そして、聴いてみてまたびっくり。これはまあ、なんて言うか・・・いままでの、遅い遅いマーラーを予想していた僕には衝撃的でしたね。両端楽章のなんて早いこと早いこと!!

ティルソン・トーマス、7番は昔から得意だったというのはいろいろと噂では聞いていたものの、ここまでとは・・・とにかく、まあ、これまでの彼のマーラーの交響曲のなかでは最も破天荒というかハチャメチャというか・・・個性的きわまりない演奏です。

とにかく、鳴らす鳴らす、歌う歌う、その一方、飛ばすとばす、かと思えば、突如粘る粘る、止まる止まる・・・・いやあ、その指揮についていくサンフランシスコ響の巧さにも舌を巻きます。

ここまでのチクルスでは、ティルソン・トーマスの要求に息切れする場面も多々見られたこのオケ、この曲では、本来の高機能性を存分に発揮して、うまいのなんの・・・水を得た魚のよう、という表現がぴったりですね。

ある意味、6番や3番とは対極の意味で、ベストの演奏じゃないかしら??これがグラミー賞をとったら、さすがグラミー賞、はずしませんねええと改めて感心すると思うが、さああ、どうなりますやら。

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以上、すべて原文のまま。いま読み返してみても、7番の文章は、面白いですね(笑)

でもまあ、こんなところにひそかに応援している不惑のおじさんがいる、ということ、海の向こうにちょっとだけ、届けばいいなあ、などと思ったりするのでありました。


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