不惑わくわく日記

大阪でコンサートをあさっています。

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MIXIに移動しました

これからは、MIXIで、ぐすたふ、として、呟いて行くことにしました。

また、どこかでお会いしましょう。

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センチュリーの思い出

今改めて整理してみると、僕とセンチュリーの関わりは、2003年に聖響君が専任指揮者に就任する記念の定期が最初。そのあと、2004年に飯森君のフレッシュコンサートと、小泉さんのドイツレクイエムをきいただけだったのだが、その年に、C席が翌シーズンから定期席になることがアナウンスされて、その破格の安さ(確か1万3000円だったと思う)から、募集初日に電話をかけた、それがこのオケと関わるきっかけ。その素早さは、そのあとご一緒することになった隣の席のおばさま方から、「あっという間にその席、なくなってましたけど、あなただったんですね」と言われたくらい(笑)。

良い席だったんですよ。3階席だけど、横にもたれられて、そしてはっきり舞台も見えて、音も良く、そしてなにより安かった。2005年から、7年間維持したんだなあ。

通ったコンサートは、数えて41回。そのうちの21回は小泉さん。半分は小泉さんだったんですね。やはり、主席・監督、ということなんでしょう。

でも、7年間会員だったら、本来は70回行ってても良さそうなのに、なぜそうはなってないか、というと・・・・このオケ、危機が表面化するまで、定期演奏会の日程が本当に悪かったんですよ。ウィークデーのそれも火曜だとか水曜に平気でブッキングする。普通に働いてたら、そんなところに演奏会に行けませんって。加えて、水曜日は仕事の関係で、絶対に行けなかったんですよ。そんなもので、会員になっても半分も行かない年が続いたんです。でも、破格の安さだから、それでもいいか、って思ってた節は確かにあります。

おそらくは、シンフォニーホールと相談して、わざとそういう人気の無いところのスケジュールを埋めていたんじゃないかな。公共オケだから、民間を邪魔しないように、そういうことが言われていたらしいですからね。

曲目のリストを整理して眺めてみると、いろんなことを思い出す。この中で一番を選べ、と言われたら、やっぱり、沼尻君の「ジャンヌ・ダルク」だろうな。これは衝撃的な経験だった。おそらく、2度と経験できないと思います。

2番目は、カリユステの振った、デュルフレの「レクイエム」。こうして見ると、やはり声楽のはいった作品の印象が強い。こういう作品、よっぽどのことがないと接する機会がない、そのことが大きいと思うな。

このことを想う時、やっぱり興行的にどうであれ、定期演奏会には音楽的に意味のある(オケにとっても聴衆にとっても)作品をある程度やるべきだ、というのは事実だと思います。その「芸術体験」がなければ、聴衆も不幸だし、オケも不幸だと思う。

来季のプログラムに対する批判として、改めてここに書かせてもらいます。


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2011年の世界の地震

こんな記事を見つけました。

http://rocketnews24.com/2012/02/10/181141/

2011年の世界中におこった地震を、時間をぐっと圧縮して、世界地図上で見せています。3・11以後、とてつもない勢いで、環太平洋地域が地震の炎に燃え盛っているのがわかる。特に、アリューシャンから日本列島、インドネシアにかけてがすさまじい。

でも、これを冷静になって眺めていると、奇妙なことにすぐに気が付くのですが、このことは、誰もコメントしないのはなぜなのでしょう?

環太平洋が、それこそリング・オブ・ファイア、ならぬ、リング・オブ・アースクウェイクと化している、その輪の中、奇妙なまでに静かな一角があること。冷静になって考えれば、それはあまりにも「おかしい」。おかしいとするなら・・・・

この想像が、素人の馬鹿げた妄想であることを祈ります。

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「幻想惑星」「軌跡」

ネットサーフィンしてると、僕と同じような「軌跡」をたどっている、30年前に中学生だったおじさん(これが、間違いなくおじさんなんだ、おばさんは皆無!)たちのひとりごとに出あう。

その象徴が一つが、シンセサイザー音楽で・・・それは、冨田勲であるし、YMOであるし、そしてここにあげた二つの代表作をもつジャン・ミシェル・ジャールだろう、と思う。

この二つのアルバム、実はぐすたふくん、とても高くて当時買えなかったんですよね。「幻想惑星」が1976年、「軌跡」が1978年。で、最初に聴いたのは、「軌跡」の方。当時、NHKの「軽音楽をあなたに」というFM番組が、1週間連続でシンセサイザーの特集をやって、クラフトワーク、ヒューマンリーグ、ヘブンセヴンティーンと並んで、ある日、ジャンミシェルジャールの「軌跡」をかけたんです。これが衝撃的だった。

テープにとって、それこそ擦り切れるほど聴きましたよ。まさに、これが僕が15歳、中学3年生から高校1年生の時だった。

ふと、思い出してiTuneで検索すると、ちゃんとあるじゃないですか!!で、早速衝動ダウンロード。

深いエコーが聴いた70年台シンセサイザーサウンド。懐かしいなあ。これが、その当時の音、なんですよ。これを聴くと、やっぱり僕はあのころに還って行く。一方で、カラヤンのベートーヴェンにどうしようもなく憧れていた、そして僕の人生で最も幸せな時間を過ごしていた、あの頃の僕に。

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僕がヒンデミットが好きな理由

ぐすたふくん、中学2年生の時にマーラーの「復活」にやられて以来、当然のようにマーレリアンで、マーラーが好きなのは本当です(いまさら、ですよね)。

でも、当時(1970年代後半)ではマイナーな存在だったマーラーも、いまや超メジャー作曲家。いまさら、マーレリアンだなんて言っても、まあそらそうでしょう、それで?って感じになっちゃいました。

マーラーがそうなっちゃったもんで・・・・村上春樹のプーランクが好きだっていう文章を読んで、そういう極めてパーソナルな、他の人があまり知らない、宝物のような作曲家がいる、そのことがうらやましく思えちゃったんですよ。そう言える作曲家が、改めて僕にもあったらいいなあ、って思ってたんですけど・・・・ようやく、このごろ、それって僕にとってはヒンデミットなんじゃないかなあ、って思うようになりました。

実はヒンデミットはかなり多作の作曲家で、そうでありながら録音が少なく、そういう意味では、僕がどの程度ヒンデミットを聴いているか、と言われると、ううむというところ無きにしもあらずだけれど・・・でもまあ、ほとんどの管弦楽作品と、重要な室内楽作品・ヴィオラ作品・ピアノ曲には耳を通しているし、実際大学時代に弦楽四重奏のための小品も弾いているので、まあ平均的なクラシックリスナーよりは聴いている方といっても良いんじゃないかなあ。

この人の魅力は、その独特の「味」ですね。苦み、と表現するのがぴったりな、それこそ「大人の味」(「画家マチス」の独特の和声なんかが、良い例)。モダンジャズに通じるものもあるような気がするなあ(カンマー・ムジークなんて、ほとんどコンボ・ジャズみたい)。そして、バッハに比肩するほどの、対位法の見事な構築性。それが、なんとも幾何学的な美しさを湛えるんですよ。「ピアノ・ソナタ」なんて、音を間違えたバッハと言われたこともあったらしいが、そこがまたいいんですって。

弾いたときも、なんともいえない「弾く愉しみ」が改めてそこにあるのを感じて、驚愕した思い出がある。これが、ヒンデミットが演奏者に好かれる(グールドがヒンデミットを偏愛していたのは有名)所以なんでしょうねえ。

でも、他の人に聴いてほしいとは思いません。だって・・・・パーソナルなものにしておきたいんだもん(笑)。

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ろんろんが高校を卒業する

ちょうど、大植・大フィルの定期演奏会に重なってしまったので、記事にするのが遅くなったけれど、ろんろんが先週の金曜日に高校を卒業しました。

このブログを始めた時、彼はまだ小学生で、星野監督の阪神タイガースを見に行ったり、ろんろんの絵のページがあったり、ろんろんのブログがあったりしたんだよね。

もう一人で歩いて行くんだなあ。

このブログも、「我が家の風景」も、

彼の卒業とともに

そして大植さんの監督からの卒業とともに

長原君のコンマスからの、大阪からの卒業とともに

終わろうと思います。

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グールドのブラームス間奏曲集

このアルバムのことはずっと以前から知っていて、坂本龍一がどうしても一枚だけ選べと言われれば、迷わずにこの1枚を選ぶと言っていたのを聞いて以来、激しく気にはなっていました。でも、なんだかんだで今日まで聴かずに済ましていたもの。

で、この間の冬の演奏会で念願のラヴェルのソナチネを弾いてくれたこすもすが(感謝感激、本当に弾いてくれるとは!!日々、この曲が自宅で弾かれることのなんと幸せなことだったろう!!)、次の夏の演奏会で僕にとって究極の音楽の一つである「間奏曲 作品118の2」を弾くつもりだと言ってくれた時の雷に打たれたような感慨は、到底言葉では言い尽くせない。

で、買いましたよ、このアルバム。究極の曲の究極の演奏。これを聴かずして、何を語ることができるだろうか?

で、聴いてます。聴いてますけど・・・結局、何も語れないような気がする。言葉にしてしまえば、それは嘘になりそうで。

ほとんど崩れ落ちる寸前までの演奏、でもそれがぎりぎりのところで品位をもって踏みとどまっている・・・その様、その有り様、それ自体の圧倒的な存在感・・・それは、それ自体が、ブラームスと言う人、グールドと言う人、もっと言ってしまえば「人間」という存在そのものの根源に根ざしているようで、真に畏敬の念と深い共感を聴く人のなかに呼び起こすように思う。

やはりこの演奏は、深夜、一人きりで聴くに相応しい、ですね。何も言わずに。


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長原幸太退団!!

多分そうなるだろう、とは思っていたものの、実際にそうなってみるとやはりショックですね。

長原君は大植さんの一本釣りで大フィルに来たわけだし、大植さんが辞めると同時に辞めよう、ときっと決めていたんだろう、と思います。

あのブラ4の衝撃、大阪クラシックでの獅子奮迅の活躍、この間の第9での中腰での奮闘など、目を閉じれば、今今のように思い出します。

大植さんと長原君と過ごしたこの年月、僕の人生の中でこれほど充実し濃密にひとつのオケと過ごした時間はなかったです。また、おそらくこれからもない、と思います。

本当にありがとう。

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中学3年生の時の第9

僕の人生で最も幸せな時間があったとするなら、それは中学3年生の時だったんじゃないかと思う。

あの時のクリスマス、前の日記にも書いたけれど、24日のイブの18時からタブローがあって、中学生はその前にクラスで集まって、クラス会をするっていうのが習わし。どういうわけか、これは中学だけで、高校になったらなくなってしまったんだけれど。多分、中学一年生が全員参加でその日に出席することになるから、出席日数を合わせるために、中2と中3はキャストで出演する以外の人間については、クリスマス会で出席扱いにしてたんだろうな。これは想像だけれど。

クラス代表が、近くのマクドナルド(まだできたばかりで珍しかった)で、フィレオフィッシュとチーズバーガーを買ってきて、みんなで食べて解散。なんか、他にないんやろか、って感じだけど、それが70年代後半、だったんですよね。

それで、そのクラス会の前に講堂でちょっとした演奏会なんかのイベントがあって、即席のバンドを組んで演奏なんかをしてたんですよ。その年、僕はオケの同級生に誘ってもらって、カルテットのセカンドを弾かせてもらったんですよね。

アイネ・クライネを全曲やって、そしてチャイコフスキーのアンダンテカンタービレをやって、クリスマスキャロルを数曲やって・・・・中2から始めた僕を他の3人(彼らは中1から始めてたんだけど)はホントに大事にしてくれて、僕が劣等感を持たないよう、どれだけ心配りをしてくれたかわからない。有難かったなあ。これが、僕の弦楽四重奏曲の初体験だったです。

オケを初めて2年目、聴くもの弾くもの初めての曲ばかり。でも、せっかくオケに出会ったからには、是非とも第9を実演で聴いてみたい。そう言ったら、その時、チェロをやってた友人が、教えてくれたんですよね。京響が何回か第9をやるけれど、その中で一番の聴きものは、市立芸大が合唱を受け持つ時だって。合唱が一番それがいいからって。

そう教えてもらった僕は、三条の十字屋に言って、生まれて初めてチケットを自分のお小遣いで買ったんです。でも、その時思ったのは、席ってこれだけしかないのかって。ホントに一列の一部しか十字屋には置いてなくって、ええええって思ったのを憶えてます。今から思えば、市立芸大がほとんどのチケットを抑えていた公演だったんでしょうけどね。

そして、予習に選んだレコードはグラモフォンのカラヤン・ベルリンフィル。これも高かった。何回、お昼を抜いて、弁当代をためたことだろう。買って帰ってからは、毎日このレコードを聴く日々。それこそ一日が、帰ってこのレコードを聴くためにあるかのよう。

クリスマスのコンサートも、そしてクラス会も終わって、その次の日だったんじゃないかな。学校は休みになってたけど、タブローの後片付けにつきあって、制服のままで学校から直接、京都会館に向かったんじゃないかと思います。

その日は、丁度今年みたいにこの時期にしては寒い日が続いていたときで、天気もあまりよくなかったと思う。雪でもちらつきそうな曇り空、三条京阪から歩いて京都会館に一人で(!)向かう僕は、生まれて初めて一人で疏水横の喫茶店に入って(よくまあ、制服で入ったもんだ)メニュー見てその高さに仰天しつつ、カレーだかサンドイッチだか食べたような記憶がある。自分で買ったチケットで行く初めてのコンサート、っていう高揚感が僕をそうさせていたんじゃないかしら。

指揮者は、小泉和裕(!!)。生まれて初めて実演で聴く、1楽章冒頭の空虚5度。制服姿で一人で京都会館の1階席、真ん中から少し右側によったところにちょこんと座っていた僕を、周りの人はどう見ていたのかしら。

生まれて初めて聴く、4楽章の合唱。vor Gott!!の昂揚・・・・中学3年の僕は、その時ずっとこの音楽の中に包まれていたい、と本当に心の底から思っていた。出会いの奇跡、心の震えと、少年からの青年への変容と。

今年は33年ぶりに、京都で第9を聴くことができそうです。

京都の冷気は、あの時と今も変わらない。一方で、京響は変わったし、指揮者も変わった・・・でも・・・僕の心があのころと変わらず、この曲に震えることができますように。



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クリスマス・タブロー

今年は、30年ぶりに母校のこの行事に行きたかったんです。でも、調べてみると、僕が在校していた時とちがって、今は16時から開始で18時に終わるとのこと。しかも、クリスマスイブではなく、23日。この時間、りんりんのピアノの発表会とばっちりかちあってて、残念ながら行けないです(涙)。なんでこんな時間なんだ。

時間が経ったんですね。僕が在校していた時、タブローはクリスマスイブの18時から。ほとんど21時近くまでかかる長丁場。そして、そのあと、修道会のクリスマスミサに途切れることなく続く一連の行事だったんですけどね。

でも、このキリストの生誕を無言劇で再現するというイベント、昔も今も画期的なのは、「学校行事」じゃないってことなんですよね。ミッションスクール独特の行事なんだけれど、絶対参加なのは中学一年生だけ。後のキャストもスタッフも、みんな「自主参加」。先生が、「お前やれ」と決めるんじゃない。それにもかかわらず、毎年毎年、百数十人の中学生・高校生が、自分から参加するんですよ。

僕は、この行事に高校1年生と2年生の時、照明のスタッフとして参加しました。同じ学年の友人3人と、わいのわいの言いながら。高校一年生の時は、当然2年生の人がいて、色々と教わって。そして高2の時は高1の後輩ができて、いろいろと話し合いながら。同級生の一人が演劇部の部長で、でも演劇部の他の人間は参加しなくって・・・・別に僕は彼を助けようと思ったわけじゃない(彼は、口には出さなかったけれど、すごく感謝してくれていたらしい)。ただ、参加したいな、なにか裏方で手伝いたいなって思ってたら、たまたま彼がそこに居たから。僕の親友と二人、いつの間に彼の横で、舞台を照らすスポットライトのスイッチを握り、そして舞台照明の電源コードを引きずりまわしていたんですよね。

誰かが何を言うわけでもない。それでも、何かこの行事に関わりたいなっていう生徒が、自然発生的に集まってきて、そして祈りの輪ができ上って行く。その経験が、学年から学年へと引き継がれていく。生徒から、生徒へと。バトンを渡すように。

クラブでもない、クラスでもない、この行事でしか知りあうことが無かっただろう先輩が居て、そして後輩が居る。そして、24日が終わると、みんなそれぞれの日常に戻って行く。何も言わずに。ただ、じゃあ、と挨拶をかわしただけで。

・・・神の御子は今宵しも
ベツレヘムに生まれたもう
いざや、友よ、諸共に
急ぎ行きて おがまずや
急ぎ行きて おがまずや

最後の客席も含めた全員の合唱、これが終わって舞台に幕が下りると、照明が全部落ちる。僕は、息を潜める。キャンドルサービスの中学一年生だけが浮かび上がり、O Holly nightを口ずさみながら退場してく音を遠くに聴きながら、ふとそのわずかな明りに浮かび上がる舞台の上をみやると、そこには中学1年生から高校2年生まで、あるものは衣装に身を包み、あるものはジャージ姿で、同じように粋を潜めて座っている。

誰にやれと言われたわけでもない、ただそこに居たいから。その輪の中に居たいから、僕たちはそこに居たんだ。

今年もまた、彼らのそんなささやかな思いが、そこに集う人々の祈りを神のもとに運んで行くのだろう。

頑張れ、みんな。



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