この演奏会、できればポジティブな気分で聴きたかった・・・センチュリー特別演奏会

真に感動的な力演。
大阪 ザ・シンフォニーホール
センチュリー創立20周年記念特別演奏会II
沼尻竜典指揮 大阪センチュリー交響楽団
ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団・岸和田市少年少女合唱団(合唱指揮 本山秀樹・松尾卓郎)
カティア・レフコヴィチ(ジャンヌ・ダルク)、ミシェル・ファヴォリ(ドミニク修道士)
谷村由美子(Sp)・渡辺玲美(mSp)・竹本節子(Ar)・田村由貴絵(mSp)
高橋淳(Ten)・望月哲也(Ten)・片桐直樹(Bs)
オンド・マルトノ 原田節
オネゲル:劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌダルク」(演出 小須田紀子)
こうやって書き出してみても、ものすごい数のキャスト・スタッフ。これ以外にも、副指揮者に4人の稽古ピアノをはじめ、映像・舞台監督から大道具・小道具・照明・音響・・・・エトセトラ・エトセトラ。こりゃ、コンサートというよりも、まさにオペラ公演、ですよね。加えて、字幕を実相寺昭雄がやってるわ、曲目解説を片山杜秀がやってるわ・・・どれだけの時間と金と労力を費やしてるんやろ?まさに、「特別演奏会」、ここに極まれり、でありますな。
これだけの公演、できれば満員の入りで迎えてあげたかったが・・・残念ながら7割程度の入り、ぐらいかな?(まあ、でも、大フィルの60周年記念公演の一連のものにくらべれば、ずっと入っていたとは言えるが)オネゲルの名作の誉れ高い曲の貴重な公演、だというのになあ・・・でも、これにこの程度しか客が入らない、のが大阪の現実なんでしょう。逆に、京響の「グレの歌」にしても、今日の公演演目にしても、東京ならいっぱいになるんだろうか?誰かに訊いてみたい気もしますが。
ともあれ、公演としては、極めてハイレベルのもの。正直、脱帽、です。
バルコニーにピラミッド状に積み上げられたホワイトボード、その前に二人の役者が陣取り、ホワイトボードに映し出される映像をバックに演じていく、というのが基本的なライン。合唱団は、少年少女合唱団も含めて黒ずくめ(これはそろいのプリント柄の黒のTシャツで、終演後に、ロビーで売ってました)、ソリストは舞台上もしくはホワイトボードの横あたりに出たり入ったり。そして、ホワイトボードが照明で赤く染まったり青く染まったりしつつ、舞台演劇的効果を上げていき、最後には十字架がそのボードから分離して、ジャンヌダルクの背後に立ち上がる、という趣向。
こういう演出は、確かに興味深いもので、それなりの効果を上げていたけれど、僕にとっては、ちょっと邪魔、だったかもしれない。逆に、こういう演出、実際に鳴っている音の響きの透明さ・深さに比較して、あまりに安っぽくて下世話に感じられるんですよね。
そんなものなくても、演奏そのものの力で心が揺さぶられること、十分以上、と言っていい。特に、第7幕でカトリーヌとマルグリートが現れてからの音楽の歩みのドラマティックなことと言ったら!!沼尻君、これでもか、これでもか、と畳みかけるように、ぐいぐい、とドライブしていきます。
そして到達した「ジャンヌの剣」や「トリマゾ」での透徹した哀しみ・・・・ぐすたふくん、少女の声とジャンヌが互いに呼び交わすくだりで、不覚にも涙をこぼしてしまいましたもんねえ。
とにかく、ジャンヌ役のレフコヴィチ嬢の声がいい・・・この鼻にかかった潤んだ地声で、フランス語独特のくぐもった響きが放たれるときの、何とも言えない官能の匂い・・・もう、ほとんど「エロティック」ですね、怒られそうだけど。
また合唱も秀逸。なんで、カレッジオペラハウス合唱団なんだろう、と思っていたが、実は、11月にこの合唱団、カレッジオペラで同じ演目をやってるんですね。合点がいきました。この難曲、ほぼ望みうる最上の出来で仕上げてきた、と称賛されてしかるべき。最後の「ジャンヌ!ジャンヌ!」の荘厳な大合唱と、そのあとに続くピアニッシモの「愛する者にみずからの生命を与えるより大きな愛はなし」との美しさの対比の見事さ。
本当は、ぐすたふくん、このジャンヌ・ダルクの物語自体は好きじゃないんです。あまりに残酷な話だし、人間の獣性というものを嫌というほど思い知らされるし、それをして倒錯的な聖性に至るあたり、キリスト教のマゾヒシズムの極致を見る思いがするし・・・できるなら、敬して遠ざけておきたい物語、なんですよね。
そういう物語をここまで浄化して・・・それこそ、蒸留して熟成させ、真に感動的な音楽劇に仕上げたオネゲルという作曲家(それを言えば、台本を書いたクローデルも只者ではないのだろうが)、やはり只者ではない、と改めて思い知りました。すごい作曲家だわ、やっぱり。
しかしまあ、それにもまして沼尻竜典という指揮者、その才能にも改めて瞠目する思い、です。実はこの人、こういう「ドラマ」にこそ真の力を発揮するんだなあ・・・・それは、この間のタコ11でうすうす感じていたが、今日の公演で確信しましたね。徹頭徹尾「オペラ」「演劇」の人なんですよ。逆に言えば、抽象的・絶対的な音楽では、その魅力は十分に発揮されない。しかも、音や響きの感覚がかなり「モダン」だから、今日のような作品、まさに彼のためにあるような作品でしょう。
ただ、惜しむらくは、昨今の状況がなければ、この公演をしてセンチュリーの一つの到達点・大阪オケ文化の最良の果実という言葉で手放しで賞賛できたであろうに、ということですよね。どうしても、こんな贅沢が許されるのか、という醒めた視点が頭の後ろのほうでしてしまうんですよ。
だから、というわけではないけれど、もっと多くの人がこの会場に足を運んでほしかった、そして何かを感じてほしかった・・・・心から、今、そう思っています。


MTT/SFS、グラミー賞受賞、おめでとうございます。うれしいです、ホントに。
で、お祝いの気持ちを込めて、これまでのぐすたふくんの、MTT/SFSがらみの記事の一覧を作ってみました。
(何をやっとんねんな、という話がございますが)
http://gustav369.blog101.fc2.com/blog-entry-20.html
http://gustav369.blog101.fc2.com/blog-entry-11.html
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200908290000/
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200907270000/
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200812130000/
http://plaza.rakuten.co.jp/gustav369/diary/200812100000/
あれえ、こんなもんだったっけ?
7番のCDのこと、確か、前の前の日記に書いてたんだよなあ・・・・もう無くなっちゃったもんなあ・・・・
でもって、今は無きODNマイページの記事の中からとってあったものをガサガサとさがして、わざわざ出してきました(これくらいしか見つけられなかった・・・)
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MTTのマラ9を聴く 2005年08月13日
今日は、前々から買おう買おうと思っていたのだが、梅田のワルティで3500円で出ていたのでMTT/SFSのマラ9を購入。
前にも書いたかもしれないが、このMTT/SFSのチクルス、SFSのプライベート盤で、メジャーなレーベルの販路には乗っていない。だから購入するには、SFSのサイトもしくはamazon.comから購入して輸入するか、それともたまにCDショップの輸入盤コーナーに出ているのを見つけて買うことになるのだが、本来30ドル前後の値段であるはずのこのCD、どういうわけかショップの輸入盤になると5000円を超える値段がつく(!!)。で、そんなもん買ってられるかということで、僕はこれまでネットで購入していた(それでもoverseaの船便で頼んで、着くのに3週間もかかって、しかも6ドルから7ドルの運搬費用がかかる。ま、これは他のCDとの抱き合わせをすれば薄まるわけだけど)。
ところが、ワルティではこのマラ9だけがどういう訳か3500円!!他の、3番や6番は5300円なのに・・・・一体どういうからくりになってるんだか?
で、はれて手に入れたこのCD、わくわくとかけてみたわけだけど・・・・
この振りからしてもうお察しのこととは思うが、今回はハズレです。こうしてみると、グラミー賞の審査員の耳も確かだなあと思う。だって、これまでこのコンビのマーラーは出た順に6番→1番→3番→4番→2番→9番と来ているが、6番と3番がグラミー賞を取っていて、確かに僕が聴いても、この二つが図抜けている。6番は憑かれたような一種往ってしまっているような演奏だし、3番はティルソン・トーマスの音画作家としての魅力が炸裂で、丁寧な造形が本当に魅力的。
対して、1番は1楽章は良いものの終楽章でSFSが息切れ、4番は平凡な演奏、2番は目論んだであろう仕掛けが不発、といった具合で、必ずしもみんな良い出来というわけではない。誤解無きように付け加えるが、演奏自体はどれも極めて立派なもので、とてもコンサートライブとは思えない。録音もどのCDをとっても秀逸の極み、ホールトーンの豊かさとダイナミクスレンジの広さには下を巻く。ただ、強いて言うのであればという感じである。
で、今回のハズレの評価も、相対的に見て・・・ということと思ってもらってかまわない。というより、今回もSFSの演奏は現在のマーラー演奏の水準を軽くクリアする素晴らしいもの。これに文句をいうのもはばかれるくらいなのだが・・・
ただ、今回は、ティルソン・トーマスのマーラーに見られる丁寧な造り込みが逆効果になってるような気がする。やっぱり、9番は一筋縄ではいきませんな。
とにかく、演奏時間が約90分と、おそらくは9番の演奏時間の中では最長でしょう。のべつまくなしに遅いわけではなく、それなりにメリハリをつけてはいるのだが、遅いところは本当に遅い。で、こういうところでティルソン・トーマスがやりたい音楽は充分に伝わってくるのだが、いかんせんSFSがついてこれない。やっぱり息切れしちゃってるんですよ。だから、大きな大きな一息でまくし立てなければならないところ(特に4楽章)で音がぶちぶちと切れてしまって、聴いているこっちの方が「おおおおお、大丈夫か、おおお、がんばれがんばれ」状態になってしまう。これは、もう仕方がないかなあ。もともと極めて機能的ではあるがそれほど重厚なサウンドではないこのオケにこれだけの音を出させようとする無理が解ってしまうんですよね。
また、2楽章と3楽章も丁寧に丁寧にとするあまり、この二つの楽章にある魔的な魅力が激減してしまう。一発ここではキレないと・・・と僕は思うのだが、ティルソン・トーマスはそこまでやるには理知的に過ぎるのかもしれないなあ。
だから、全体を聴き通した感想としては、熱演ではあるが「熱演」とこちらが認識するに留まる、という感じである。9番はやっぱり(僕にとっても、そしてそれ自体の価値としても)特別な曲で、大脳皮質であれやこれや思えているような演奏は大したことがないんですよ。脳をすっ飛ばして、意識下に(もっと言えば魂にまで)直接入り込んでくるような演奏でなければ、マラ9の名演とは言えないでしょう(うううむ、そこまで言うか)。
で、あと5番と7番と8番がのこったこのシリーズ。7番はすでに録音済みとのこと。案外、7番が良いかもしれないなあ。8番も期待大。でも5番は、ここまでの流れをみるとはずれる可能性が大きいんじゃなかろうか(何となく)。
もし、この日記を見て興味を持たれたら、是非とも聴いてみてください。そして、感想など聞かせて頂ければ・・・・いろいろ批判めいたことも書きましたが、おそらく現在進行中のマーラーチクルスとしてはアバドのものと双璧のシリーズでしょう。21世紀最初のマーラーチクルスとしても、そして今最も旬のコンビによる記念すべき録音としても、充分すぎる価値のある演奏だとは思います。
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ティルソン・トーマスのマーラー最新盤がサンフランシスコから届く 2005年11月05日
実は、もうずいぶんと前に着いていたのだけれど、全部を通して聴いたのが最近になってからになってしまったので・・・・本年10月10日過ぎに発売されたばかりの、ティルソン・トーマス&サンフランシスコ響のマーラーチクルス最新盤、7番です。待ちきれずに、SFSストアに注文して送ってもらった次第。
まず、CD1枚に収まっていることに驚く。そして、聴いてみてまたびっくり。これはまあ、なんて言うか・・・いままでの、遅い遅いマーラーを予想していた僕には衝撃的でしたね。両端楽章のなんて早いこと早いこと!!
ティルソン・トーマス、7番は昔から得意だったというのはいろいろと噂では聞いていたものの、ここまでとは・・・とにかく、まあ、これまでの彼のマーラーの交響曲のなかでは最も破天荒というかハチャメチャというか・・・個性的きわまりない演奏です。
とにかく、鳴らす鳴らす、歌う歌う、その一方、飛ばすとばす、かと思えば、突如粘る粘る、止まる止まる・・・・いやあ、その指揮についていくサンフランシスコ響の巧さにも舌を巻きます。
ここまでのチクルスでは、ティルソン・トーマスの要求に息切れする場面も多々見られたこのオケ、この曲では、本来の高機能性を存分に発揮して、うまいのなんの・・・水を得た魚のよう、という表現がぴったりですね。
ある意味、6番や3番とは対極の意味で、ベストの演奏じゃないかしら??これがグラミー賞をとったら、さすがグラミー賞、はずしませんねええと改めて感心すると思うが、さああ、どうなりますやら。
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以上、すべて原文のまま。いま読み返してみても、7番の文章は、面白いですね(笑)
でもまあ、こんなところにひそかに応援している不惑のおじさんがいる、ということ、海の向こうにちょっとだけ、届けばいいなあ、などと思ったりするのでありました。

グラミー賞、発表になりました!!
で、なんと、MTT/SFSは、
Best Classical Album (Best Choral Performanceも同時受賞)
Best Engineered Album, Classical
の2冠(もしくは3冠)達成!!!!!
いやあ、とるだろうとは思っていたが、2ジャンルにわたる受賞とは恐れ入りました。でも、Best Engineered Albumはとるだろうという予言は当たったものの、Best Classical Albumには届かないかもしれない、という予言は外れ。
ううむ、取るとだけ言っておけばよかった・・・・
でも、グラミー賞の審査員って、やっぱりその審美眼、確かですねえ。しみじみ。
尾高忠明とエルガーの組み合わせはやはり日本では無二のもの

いい演奏会だったと思うけど、客の入りは良くなかったなあ・・・・
大阪 ザ・シンフォニーホール
大フィル 第434回定期演奏会
尾高忠明指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
メゾ・ソプラノ 重松みか
エルガー:海の絵 作品37
エルガー:交響曲第2番変ホ長調作品63
オールエルガー、しかもマイナーな2曲という極めて渋いプログラム。これで、客は入らないだろうと思っていたが、実にその通りで、正面バルコニーはほとんど誰もいないという状況。全体の入りも、推して知るべしです。
でも、今日の演奏、僕は本当にいいものを聞かせてもらったなあ、と思います。正直。
「海の絵」は、3曲目が秀逸。なんていうんだろう、「ブリティッシュ・クラシック」という言葉で済ませられればどんなに楽だろう、と思ったりするのだが・・・・要するに、そういう言葉が指し示すような、一種独特の、「高貴な」「香気」がそこにあって、それを嗅ぐことの幸せ、それが一番でしたね。
1曲目も立派な演奏で、ここまでは、これこそ知られざる佳曲、後期ロマン派のオーケストラ伴奏つき歌曲というものの存在感に圧倒される思いで聞いていたのだけれど、残念ながら、5曲目が安っぽくていけませぬ。5曲目の出来が良ければ、シュトラウスの「4つの最後の歌」と並ぶ名曲となっていたかもしれませんな。
尾高忠明の達者ぶりは、この前半の歌曲から全開で、後半の2番においても、陶然とするぐらいのもの。この曲、この日記を読んでいる人ならご存知の通り、以前湯浅さんの指揮で関西フィルの定期、わざわざ聴きに行って失望して帰ってきたんですよね。その時の演奏に比較すると、実際のアゴーギグやアーティキュレーションは湯浅さんのほうがずっと濃厚であるにもかかわらず(それは、冒頭のB音の引き伸ばされる時間ひとつとっても明らか。湯浅さんのほうが倍近く長かったんじゃなかろうか?)、音楽の豊かさ・豊饒感は、ずっと今日のほうが上。
むしろ、湯浅さんのほうが、エルガーを英国出身の指揮者が指揮したときにそこに生じる、ある種「イギリスなまり」と言っていいような「癖のある」歌い回しを忠実になぞっていて(それは例えば、上行の早いパッセージの後に微妙なタメをおく、といったものだけれど)、その意味では、より「エルガーらしい」演奏だっただろう。
でも、そういう「小手先」の工夫よりも、もっとずっと大きな「英国精神」というものがこの2番の交響曲の背後にはあって、それが見通せるか見通せないか、がこの曲の演奏の成否に大きく掛っているように、僕は思うんです。だって、普通にこの曲を振っても、はっきりいって何が面白いんだか、一体どこに行こうとしているのか、さっぱりわからない、どうということのないのんべんだらりとした物で終わって仕舞いかねない。その意味では、極めて「やっかい」な曲ではないか、と僕は思ってるんですよね。実際、僕だってこの曲の美しさというもの、実感をもって感じられるようになるのに、かなりの時間を要しましたもん。
その意味で、尾高さんの指揮にはある種の「確信」が感じられて、曲の持つ「精神性」が(それが具体的に書けるなら、曲を聴くという行為の意味が無くなるでしょう、やっぱり)オーラのように胸にしみる、一級という言葉をもって賞賛してもなんら恥じることのないものだったです。
もちろん、それに応えた大フィルの健闘もたたえてしかるべき。特に、最後の引き伸ばされた和音を見事に吹き切ったホルンセクション、今日は心から拍手を送りたいです。
でもまあ、こういう演奏をこそ、大阪のみなさん、聴いていただきたいものでありますけれどねえ、ぐすたふくんとしては。

あけましておめでとうございます。
コンサートゴーアー8年目に突入いたしました。これもひとえに、皆様のおかげでございます(笑)。
今年の目標は・・・・アムステルダム・コンセルトヘボウ!!これです。
でも、京都公演の曲目がいまひとつ・・・・こうなったら、他の公演にしようかしら?などと思っていたりするのでありまする。
でも、2万円以上のチケット代が・・・・こすもすぅ、ヘルプミー!!
今日から我が家は無線LAN
は?今までどうしてはったんですか、と言われそうですが・・・・こすもすの意向により、実はずっと有線LAN。長い長いコードを引きずりまわしておりました。
ところが、我が息子のコンピュータがほとんど崩壊寸前。電源部分がお釈迦になりかけで、熱をもつと電源が落ちるという状態。最近では、そとから扇風機で風を送ってなんとか使っているというありさま。それで、あまりにかわいそうなので「買い換えようか?」と家族会議。するとろんろん、「無線LANがやりたい」と叫び、こすもすを説得。そうすると、あっさりと許可。おおい、なんなんやそれ。
で、本当は今日は市場調査だけのはずで出かけたミドリ電化(おおいええんか、こんなこと書いて)、今日買っていただけるならお安くしておきますよのセールストークに、あっさりこすもす・ぐすたふともに陥落。無線LANともども一式のノートパソコン、チーン、お買い上げ!
もともとぐすたふくんのノートパソコン、無線LANデバイス内臓でありまして、ルータをセットアップすれば、それでおしまい。で、いまは、らくらく無線LANでコードレス。どこへでも持って行けます、これでこそラップトップ!!!うははははははははは!!!!!!
・・・不惑わくわく、いくつになっても、男は子供でありまする(笑)。

さてさて、今年もオオトリのコンサートとなりました。
京都 コンサートホール
京響特別演奏会
井上道義指揮 京都市交響楽団
ペンデレツキ:広島の犠牲者への哀歌
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」
ペンデレツキ、久しぶりに聴いたけれど、この曲、実際の音より楽譜を見てる方が面白い(笑)。今回も、3階のバルコニーから楽譜が見える位置で聴かせてもらったのがよかったかなあ。最後の最後、すべてのパートの楽譜が真っ黒に塗りつぶされる瞬間が出現するのだが、そこに向かって空間に音を散らしていく、というのがこの曲の趣向で、そこまでをどう演出するかにかかっている。ミッキーの獅子奮迅の指揮が実に「見もの」でありました。
第9ですが・・・・極論すれば、4楽章の最後、プレストの追い込みからアダージョの合唱へのつながり、ここがすべてだった、といってもいいと思う。圧巻のティンパニが猛然と鞭を入れるものすごい速さのプレスト(ヴァイオリン群の必死の形相!!)、そこから極端にテンポを落とした(ここまでの落差は、今まで聴いたことがあったかどうか)アダージョに突入した瞬間、慰撫するかのような合唱がそれこそ「空から降って」来る!!ここで、まるで天使ガブリエルの降臨を感じたのは、的外れではありますまい。そして、そのあと再度プレストに突入してからの突進性・エナジー、もうこれはミッキーならでは、でありますね。「精霊の乱舞」というに、躊躇のない音楽。
ただ、他の部分では、やはり京響弦セクションの響きの薄さにうううう・・・と思うところ多数。やっぱり物足りないんですよ。もっと分厚い響きもほしい、上質のカシミアのような触感もほしい。頑張ってはいるけれども、量感・質感ともに、「違う」「足りない」んですよね。ミッキーの棒もまた、弦セクションからこういう音を引き出すには何かが欠けているんだろうなあ・・・・かつて、ボッセ翁が引き出して見せた音を現出させるのには。
一方で、さっきも書いたが、横に並んだティンパニとペットが秀逸。ここが、がしっと一本の筋を通すので、音楽が「ぶれない」。これがあるのが、京響の美点。そして、フルートの美しさも今日はいつも以上。これを聴きに来ても、損はないです。
まあ、通して聴けば、「終わりよければすべてよし」。僕の今年も「終わりよければすべてよし」。コンサートの後も、あっと驚く展開があったし・・・(笑)。
みなさん、また来年です。よいお年を。

来年の大フィル定期のラインアップ、ぐすたふくんが開封一番叫んだのは・・・・
・・・・来た!来た!やった!!!!
来ましたねええ。満を持して、大植英次の勝負曲、「コープランドの3番」!!!しかも、アルペンの次に持ってくるあたり、それこそ「大勝負」。
これは買いです、買い!!絶対に買いです。
2回ともいきます。ええええええ、行きますとも!!!
それなりに良かったと思うんだけどなあ・・・センチュリー定期

思ったよりもずっと良かった、けどなあ・・・・
大阪 ザ・シンフォニーホール
センチュリー第147回定期演奏会
沼尻竜典指揮 大阪センチュリー交響楽団
舞楽:天王寺楽所雅亮会
西村朗:オーケストラのための<蘇莫者>(委嘱作品、世界初演)
フランク:交響曲ニ短調
けどなあ・・・と書いたのは、ひとえに客の入りの悪さゆえ。まあ、仕方がないかなあ。でも、会員の方々、やっぱりこういう演奏会こそ聴きに来ましょうよ、せっかく会員なんだから。
プログラミングとしては、20周年委嘱作品のための演奏会、フランクは付け足し、でしょう。でも、現代曲を最後に持ってきて終わるわけにもいかない、じゃあ後ろに何をもってくればいいか、ううううう、困ったなあ、沼尻さんどうしましょ、じゃあ、思い入れのある曲で、かつ委嘱作品に失礼のない、どちらかといえばマイナーで渋い曲なら、これでどないで?みたいな感じで決まったんじゃなかろうか、と思わせる選曲。
結果として、フランクが後ろに控えることで、西村朗のサウンドの美質(いかに美しい倍音に満ちていることか、上手く鳴るとどれほど豊かに拡がる音場を創り上げるか)が一層鮮明となった、様に思う。特に、1楽章の前奏曲と6楽章の後奏曲の響きの美しさは、ライブでなければ到底わかりますまい。
舞楽を伴っていたが、そのことは音楽の理解のためのヒントになりはしたが、舞楽そのものはそれほど魅力のあるものではなかったです(これは、まあ僕の方の問題、だろうけど)。どうしても、こういう現代曲、ある程度の具体的なイメージやとっかかりがないと音を楽しむところまでいけない。その意味で、こういう演出は必要でしょうね。でも、舞楽の存在なしでもやっていけるだけの十分な存在感や魅力、この曲は湛えていると感じました。力作ですね。
やっぱり西村朗、なんだかんだいっても、優秀であります。20周年記念事業、でもお金もないのにこんなことやっていいのか、委嘱作品なんかで無駄使いするよりほかにすることがあるんとちがうんか、などと散々これまで書いてきたが、いざ実際の作品を前にしてその力に圧倒されると、「委嘱作品なんか」という言説がくだらない繰りごとのように思えてしまう。ここらあたりが、「芸術の力」なんだろうなあ。
はっきり言ってしまって、この委嘱作品がすべて、といっていい演奏会だった、と僕は思うのだが、さて実際の聴衆はどう聴いたのかしら?この演奏会の意味、やはり歴史が証明することになるんだろうけれど。
だから、フランクはあまりこれといった感想はありません。ただ、以前聴いた阪哲郎・大フィルよりも、かっちりと締まった、緩みのない、好感のもてる演奏であったとは思う。これは沼尻君の美質、ですね。ただ、いかんせん、この曲、響きがくすんでいてあまり鳴らない。まあ、その独特のくすんだ色加減や、それが3楽章になって明るさを増すあたりが魅力で、この3楽章のドライブ感や法悦感を沼尻君が上手く引き出していたあたりも、そこそこ楽しみはしました。でも、前半プロの引き立て役、になってしまった感が強く、逆に割りを食ったんじゃなかろうか。演奏会後の感触としては、どうも中途半端な感じが抜けきらなかったです(なにを偉そうなこと書いてるんや、という話があるが)。
でも、こんなこと思ったの、僕ぐらいかもしれないけどなあ・・・・
ただ、昨今の状況がなければ、この委嘱初演、もっと手放しで喜び、大きな拍手を送れたんじゃないかと思うと、何かとてもさみしい気持ちがします。

さて、あと予定しているコンサートは二つのみ(来週のセンチュリーと26日の京響の第9)。結局、総計で43の演奏会に出かけたことになりました(もしくは、なる予定(笑))。これは、去年と同数。
振りかえってみると、コンサートゴーアー元年の2003年を除いて、2004年以降この6年はほぼ演奏会総数で横ばい、ですね。2007年が47と突出して多いのだが、これはこの年が大フィルの60周年で、特別演奏会に歯を食いしばって出かけていたからです(笑)。なんとこの年、大フィルの演奏会だけで21も出かけてますもん。
今年の特徴は、とにかく室内楽をたくさん聴いたこと。演奏会数で、8演奏会。これは、この7年間で断トツです。
で、ですね、ぐすたふくん、来年からこの傾向をさらに強めようかなあ、と。やっぱり、僕、弦楽の響きが好きなんですよ、それを今年は再確認しました。それには、やはり弦楽四重奏曲、ですよね。
今日、フェニックスホールの休憩時間、ホールの方が舞台に出てきてしゃべっておられたが、どうもカルテットや室内楽の聴衆、それから演奏者の数、そのどちらも頭打ちになっているようで、今一つ伸びていかない。このことは、あまりいいことではない、と。
それは、僕も同感ですね。ピアノのリサイタルはたくさんあるのに、カルテットの演奏会は数えるほどしかないし、いつもガラガラ・・・・まあ、これはひとえに構造的な問題もあるのだろうけれど。でも、カルテットこそはアンサンブルの細胞、細胞がしっかりしていないことには、その上部構造も支えられますまい。
大阪の聴衆になる、と決めたからには、やはりこういうところに僕も力をいれたい、そんな風に思います。